はじめに
収穫感謝の祭りでは、果物やナッツ、かぼちゃ、花、おいしい食事を思い浮かべます。一年の間に育ったものすべてに感謝をささげます。しかしMarkus Wüthrich(Markus Wüthrich)は、とても単純なことを思い出させてくれます。「水がなければ、何も育ちません。清らかな水がなければ、いのちはありません。」
このメッセージは、FEG Luzern Süd で、タミル語教会 House of Peace との合同礼拝の中で語られ、タミル語に通訳されました。説教者は、エゼキエル書47章1〜12節の幻を追っていきます。神殿から流れ出た川がしだいに深くなり、ついには死海の水をいやす、という幻です。
説教者は三つの場所で足を止めます。泉がわき出る神殿、ますます深くなる川、そしていのちが戻る死海です。その確信は一言に集約されます。神もまた、この世界のために見事な灌漑のしくみを持っておられる、ということです。
メッセージの流れ
1. 水を引く人間の知恵
- 説教者は、人間が昔から水を利用する方法を見つけてきたことを、すばらしいと語ります。農業を栄えさせ、電気を生み出し、生きていくためです。
- 人は、雨の多い地域から乾いた地域へ水を運ぶことを学びました。ローマ人は水道橋を建設しました。モロッコの人々はアトラス山脈から水を引き、マラケシュまで運んでいます。
- スイスでは、雪が山に降り、水がそこにたくわえられ、やがて国中を流れる湖や川や小川に集まります。スイスには地下水が豊富にあり、ヨーロッパの淡水資源の約6%を占めています。
- スリランカでは、島全体に均等に雨が降るわけではありません。二千年も前に、エランガ(Ellanga)と呼ばれるしくみが考え出されました。小さな貯水池が水を集め、あふれた水が次の貯水池へ、またその次へと流れていきます。この水は稲作や発電に使われ、もちろん飲み水にもなります。
- 「神もまた、この世界のために見事な灌漑のしくみを持っておられます。必要なのは清らかな水であり、生ける水です。」
2. エゼキエルの背景:神の栄光が神殿に戻る
- エゼキエルは四大預言者の一人です。彼は、私たち人間には生ける水が必要だと語りました。私たちは心を新しくされなければならず、土地全体も新しくされなければなりません。多くの罪が土地を滅ぼしているからです。エゼキエルは、この世界に介入しようとされる神について、しばしば語っています。
- 預言者が生きた時代、エルサレムの神殿は破壊されていました。それ以前の幻で、彼は神がその栄光とともにエルサレムを去り、神殿から離れていくのを見ていました(エゼキエル書10章)。
- なぜでしょうか。神殿の中に偶像が立っていたからです(エゼキエル書8章)。イスラエルの民は生ける神を礼拝せず、その戒めを守らなくなっていました。神は「わたしに立ち返れ」と呼びかけられましたが、民は聞こうとせず、神は退くことを決められました。
- のちに、エゼキエルは新しい幻を受けます。神殿が建て直され、一人の人が測りながら神殿の中を案内してくれます。神殿は美しく清らかで、エゼキエルは、神が栄光のうちに戻り、神殿を満たすのを見ます(エゼキエル書43章)。
- そのとき、彼は神殿の敷居の下から水が流れ出し、祭壇の南を通り、外側の壁をぬけて、新しい泉のようにわき出るのを見ます。
3. 第一の場所:泉は神殿にあり、それはイエスである
- この壁は、内側の聖なる場所と、外側の世界とを隔てています。しかし壁は水を通します。いのちの水は壁を越えて外へあふれ出ます。それは私たちの力、ビジョン、人生の意味、そして知恵の源となります。
- 私たちは、人生を前に進めるさまざまな源を持っているかもしれません。学校で教わったから、あるいは家族から受け継いだから、そのように行動しています。タミルの文化とスイスの文化も、まったく同じではありません。
- けれども、私たちに必要な中心となる源がひとつあります。それが私たちの人生を健やかにします。その源は神殿からわき出ます。神が人と契約を結ぶ場所、聖なる方として臨在し、私たちを御自身と和解させてくださる場所、そして「わたしのところに来なさい。あなたを赦したい」と呼びかけてくださる場所です。
- この神殿とは何でしょうか。聖書自身が説明しています。イエスの時代、エルサレムでは仮庵の祭りが祝われていました。葉の茂った枝で作った小屋や天幕で過ごす一週間の祭りです。最終日に、祭司は水を取って注ぎ、エゼキエル書47章を思い起こさせました。神は、神殿から生ける水が流れ出る時を与えてくださる、と。
- まさにそのときイエスは立ち上がられました。「祭の終りの大事な日に、イエスは立って、叫んで言われた、『だれでも渇く者は、わたしのところにきて飲むがよい。』」(ヨハネによる福音書7:37)。イエスは、生ける水が流れ出るこの神殿の成就は御自身である、と宣言されたのです。
- イエスはまた、御自身の体が神殿であり、三日で建て直されると言われました(ヨハネによる福音書2:19-21)。ここから神と人との出会いが始まり、ここに生ける水の源があります。
- 「いのちに渇く人は、イエスのところに来なければなりません。赦しに渇く人は、イエスのところに来なければなりません。健やかな人間関係に渇く人は、イエスのところに来なければなりません。希望に渇く人は、イエスのところに来なければなりません。イエスのところに来てください。」
4. 第二の場所:ますます深くなる川
- 水は神殿の壁から出て小川になり、やがて川となり、大河になります。右にも左にも、一年中緑を保つ木々が茂っています。これが神の灌漑のしくみです。
- ヨハネによる福音書は、イエスが立ち上がって「わたしのところに来なさい」と言われた場面で、この生ける水が何を意味するかを説明しています。「わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。イエスは、彼を信じる人々が受けようとしている御霊をさして、こう言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ下っていなかったのである(ヨハネによる福音書7:38-39)。
- イエスは十字架につけられ、三日後によみがえられました。それ以来、私たちは健やかな信仰者として、多くの良いことを行い、御霊の実を結ぶことができます。愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制です(ガラテヤ人への手紙5:22-23)。
- それはまた、私たちが健やかな教会となり、イエス・キリストによる神との和解の福音を宣べ伝えることができる、という意味でもあります。
- 川の右と左に植えられた木々は、「あなたと私」です。詩篇1篇にも、主のおきてを喜ぶ人は、流れのほとりに植えられた木のようだとあります。
- イエス・キリストへの信仰は人を変えます。私たちは新しく生まれることができます。自分自身をすり減らしていく古い人が脱ぎ捨てられ、聖霊に満たされた新しい人を着ることができます(エペソ人への手紙4:22-24)。そのとき、私たちの内から生ける水が川となって流れ出すのです。
- 説教者は問いかけます。私たちにとって、この川は、渡るとくるぶしに届くほどの小さな流れでしょうか。もう少し深く、ひざまででしょうか。さらに深く、腰までの深さで、渡るのに気をつけなければならないほどでしょうか。それは神の力だからです。「この世界のために、神の灌漑のしくみになりましょう。」
5. 第三の場所:死海にいのちが戻る
- 川は神殿から流れ出し、アラバの平野、つまりヨルダン渓谷に注ぎ、やがて死海に注ぎます。塩分のためにあらゆるいのちを阻んでいたこの海が、健やかになります。
- Markus Wüthrichにとって、この幻は、神の支配が私たちの世界に流れ込むことを意味し、教会もその一部です。「この川の流れて行く所では、すべてのものが生きる」(エゼキエル書47:9)。House of Peace 教会のある場所でも、FEG Luzern Süd のある場所でも、そしてあなたの家でも、いのちが現れることができます。
- 「飢えた人に心を開く教会になりましょう。」人々を気づかい、着る物のない人に寄り添い、住む家のない人を迎え入れて居場所を与え、虐げられた人が正義を得て、主の恵みが宣べ伝えられる教会です。
- これらはイエスが語られたことであり、イエスの民であることを示すしるしです(マタイによる福音書25:35-36)。これこそ、この死海のような世界に流れ込む生ける水です。人々が祝福され、いやされるのです。
6. 食べ物となる実、諸国民をいやす葉
- エゼキエルのまなざしは、再び川に戻ります。川の両岸には木々が育ち、その実は食べ物となり、葉は薬となります(エゼキエル書47:12)。
- これは預言的な幻であり、聖書の最後の書にも、よく似た幻が記されています。「御使はまた、水晶のように輝いている命の水の川を、わたしに見せてくれた。この川は、神と小羊との御座から出て」(ヨハネの黙示録22:1)。
- この川は大通りの中央を流れています。その両岸には、いのちの木があり、十二種類の実を結び、毎月新しい実をみのらせ、その葉は諸国民をいやします(ヨハネの黙示録22:2)。
- 使徒ヨハネは、もろもろの民、諸国民をいやす葉を見ています。神は、御自身の民だけでなく、諸国民のいやしを望んでおられます。イエスは弟子たちに言われました。「あなたがたは行って、すべての国民を弟子として」(マタイによる福音書28:19)。
- イエスの教会は、ただ一つの民だけでできているのではありません。イエスのもとには、さまざまな生き方がありますが、「私たちに与えられた大きな使命はただ一つ」です。食べ物となる実と、諸国民をいやす葉をもって、この世界の死んでいるところにいのちを運ぶことです。
- 「そうです、死海にも生きている魚がいます。」霊的に言えば、イエス・キリストへの信仰によって、私たちの世界に新しいいのちがあるのです。
7. あなたが持ち帰るもの
- 説教者は、このメッセージから一人ひとりが何を持ち帰るかを問いかけて締めくくります。
- 渇きは、いつもイエスのもとでいやし、ほかのところでは求めないこと。
- 実を結ぶ健やかな木となり、神の生ける水をこの世界に運んで、そのいやしのために用いられること。
- 最後の祈りで、説教者は、イエスが立ち上がって、御自身がいのちの源であると語ってくださったこと、そしてこの生ける水は御自身の聖霊であると説明してくださったことを感謝しています。この日が諸国民のいやしへの貢献となり、教会が人を養う実を結ぶことができるように、と願っています。
心に留めたいこと
- 神はこの世界のために灌漑のしくみを持っておられます。神殿から流れ出し、聖なる場所と世界とを隔てる壁を通り抜ける、生ける水です。
- 源はイエスです。いのち、赦し、健やかな人間関係、希望など、何に渇いていても、イエスのもとに来てください。
- 生ける水とは聖霊です。聖霊はあなたを、流れのほとりに植えられ、どの季節にも実を結ぶ木にします。
- 教会がこの水を流すところには、いのちが戻ります。飢えた人は養われ、家のない人は迎え入れられ、虐げられた人は守られます。
- 実は人を養い、葉は諸国民をいやします。すべてが死んだように見える場所にいのちを運ぶ、というただ一つの大きな使命です。
あなた自身への問いかけ
- 今、あなたは力、ビジョン、人生の意味を、どこから汲んでいますか。学校、家族、文化、それともイエスでしょうか。
- 今、あなたは何に渇いていますか。赦し、健やかな人間関係、希望でしょうか。イエスのもとに行って飲むことを妨げているものは何ですか。
- あなたの人生では、川はくるぶし、ひざ、腰のどこまで届いていますか。何がそれを深くするでしょうか。
- あなたの周りの、家庭や職場や教会で、生ける水を必要としている「死海」はどこにありますか。
- 今週、誰かを養い、迎え入れ、そのいやしに寄り添うために、どんな具体的な行動ができるでしょうか。
引用した聖句
- エゼキエル書47:1-12
- エゼキエル書8章
- エゼキエル書10章
- エゼキエル書43:1-5
- ヨハネによる福音書7:37-39
- ヨハネによる福音書2:19-21
- ガラテヤ人への手紙5:22-23
- 詩篇1:2-3
- エペソ人への手紙4:22-24
- マタイによる福音書25:35-36
- ヨハネの黙示録22:1-2
- マタイによる福音書28:19
よくある質問
エゼキエル書47章で、水が流れ出る神殿は何を表していますか。
Markus Wüthrichによれば、神殿とは、神が人と契約を結び、人を御自身と和解させてくださる場所です。聖書自身がその鍵を示しています。仮庵の祭りのとき、イエスは立ち上がり、「だれでも渇く者は、わたしのところにきて飲むがよい」と叫ばれました(ヨハネによる福音書7:37)。イエスこそ、生ける水が流れ出るこの神殿の成就です。
エゼキエル書47章とヨハネによる福音書7章で、生ける水は何を意味しますか。
ヨハネによる福音書7:39がそれを説明しています。イエスは、御自身を信じる人々が受けようとしている御霊について語っておられました。説教者はここから、霊的に健やかで御霊の実を結ぶ信仰者、そして神との和解の福音を宣べ伝える健やかな教会という結論を導いています。
なぜ死海に生きている魚がいると言うのですか。
幻の中で、川はいのちの存在できない死海に注ぎ、その水は健やかになり、おびただしい数の魚がいるようになります。Markus Wüthrichにとって、これは神の支配が私たちの世界に流れ込む姿を表しています。霊的に言えば、すべてが死んでいるように見えた場所に、イエス・キリストへの信仰によって新しいいのちがあるのです。