聖書 — 口語訳 (1955)
ペテロの第二の手紙 2
概要
ペテロの第二の手紙2章で、使徒は、イスラエルに偽預言者がいたように、信者の中にも偽教師が現れると警告します。彼らは誤った教えを持ち込み、多くの人を放縦へと引き込み、貪欲によって共同体を食い物にします。ペテロは、神が御使いたち、古い世界、ソドムをさばかれたこと、しかしノアやロトのような義人は救い出されることを思い起こさせます。そして、こうした偽りの教師たちの姿と、主を知ったあとで罪に戻る危険を描きます。
この章の4つの区分
1しかし、民の間に、にせ預言者が起ったことがあるが、それと同じく、あなたがたの間にも、にせ教師が現れるであろう。彼らは、滅びに至らせる異端をひそかに持ち込み、自分たちをあがなって下さった主を否定して、すみやかな滅亡を自分の身に招いている。
2また、大ぜいの人が彼らの放縦を見習い、そのために、真理の道がそしりを受けるに至るのである。
3彼らは、貪欲のために、甘言をもってあなたがたをあざむき、利をむさぼるであろう。彼らに対するさばきは昔から猶予なく行われ、彼らの滅亡も滞ることはない。
4神は、罪を犯した御使たちを許しておかないで、彼らを下界におとしいれ、さばきの時まで暗やみの穴に閉じ込めておかれた。
5また、古い世界をそのままにしておかないで、その不信仰な世界に洪水をきたらせ、ただ、義の宣伝者ノアたち八人の者だけを保護された。
6また、ソドムとゴモラの町々を灰に帰せしめて破滅に処し、不信仰に走ろうとする人々の見せしめとし、
7ただ、非道の者どもの放縦な行いによってなやまされていた義人ロトだけを救い出された。
8(この義人は、彼らの間に住み、彼らの不法の行いを日々見聞きして、その正しい心を痛めていたのである。)
9こういうわけで、主は、信心深い者を試錬の中から救い出し、また、不義な者ども、
10特に、汚れた情欲におぼれ肉にしたがって歩み、また、権威ある者を軽んじる人々を罰して、さばきの日まで閉じ込めておくべきことを、よくご存じなのである。こういう人々は、大胆不敵なわがまま者であって、栄光ある者たちをそしってはばかるところがない。
11しかし、御使たちは、勢いにおいても力においても、彼らにまさっているにかかわらず、彼らを主のみまえに訴えそしることはしない。
12これらの者は、捕えられ、ほふられるために生れてきた、分別のない動物のようなもので、自分が知りもしないことをそしり、その不義の報いとして罰を受け、必ず滅ぼされてしまうのである。
13彼らは、真昼でさえ酒食を楽しみ、あなたがたと宴会に同席して、だましごとにふけっている。彼らは、しみであり、きずである。
14その目は淫行を追い、罪を犯して飽くことを知らない。彼らは心の定まらない者を誘惑し、その心は貪欲に慣れ、のろいの子となっている。
15彼らは正しい道からはずれて迷いに陥り、ベオルの子バラムの道に従った。バラムは不義の実を愛し、
16そのために、自分のあやまちに対するとがめを受けた。ものを言わないろばが、人間の声でものを言い、この預言者の狂気じみたふるまいをはばんだのである。
17この人々は、いわば、水のない井戸、突風に吹きはらわれる霧であって、彼らには暗やみが用意されている。
18彼らはむなしい誇を語り、迷いの中に生きている人々の間から、かろうじてのがれてきた者たちを、肉欲と色情とによって誘惑し、
19この人々に自由を与えると約束しながら、彼ら自身は滅亡の奴隷になっている。おおよそ、人は征服者の奴隷となるものである。
20彼らが、主また救主なるイエス・キリストを知ることにより、この世の汚れからのがれた後、またそれに巻き込まれて征服されるならば、彼らの後の状態は初めよりも、もっと悪くなる。
21義の道を心得ていながら、自分に授けられた聖なる戒めにそむくよりは、むしろ義の道を知らなかった方がよい。
22ことわざに、「犬は自分の吐いた物に帰り、豚は洗われても、また、どろの中にころがって行く」とあるが、彼らの身に起ったことは、そのとおりである。
鍵となる聖句
しかし、民の間に、にせ預言者が起ったことがあるが、それと同じく、あなたがたの間にも、にせ教師が現れるであろう。彼らは、滅びに至らせる異端をひそかに持ち込み、自分たちをあがなって下さった主を否定して、すみやかな滅亡を自分の身に招いている。
ペテロは、危険は内側から来ると警告します。信者の中に滅びをもたらす異端を持ち込む偽教師です。外の敵ではなく、教師を名乗る人々のことです。
神は、罪を犯した御使たちを許しておかないで、彼らを下界におとしいれ、さばきの時まで暗やみの穴に閉じ込めておかれた。
神は、罪を犯した御使いたちを容赦されませんでした。彼らが捕らえられている場所の詳細については読み方が分かれますが、本文がとりわけ強調するのは、神のさばきが現実であり、確かであることです。
こういうわけで、主は、信心深い者を試錬の中から救い出し、また、不義な者ども、
主は、敬虔な者を試練から救い出し、不義な者をさばきの日まで留めておく方です。ノアとロトの例は、腐敗した世界のただ中でも、神がご自分の民を守られることを示しています。
この人々に自由を与えると約束しながら、彼ら自身は滅亡の奴隷になっている。おおよそ、人は征服者の奴隷となるものである。
彼らは自由を約束しながら、自分自身は滅びの奴隷になっています。「人は征服者の奴隷となるものである」。自分で治められないものが、やがて自分を支配するようになります。
彼らが、主また救主なるイエス・キリストを知ることにより、この世の汚れからのがれた後、またそれに巻き込まれて征服されるならば、彼らの後の状態は初めよりも、もっと悪くなる。 義の道を心得ていながら、自分に授けられた聖なる戒めにそむくよりは、むしろ義の道を知らなかった方がよい。
主を知ったあとで罪に戻ることは重大です。キリスト教の諸伝統は、これらの節が救いについて何を語るかを異なって理解していますが、いずれもそこに、最後まで忍耐するようにとの真剣な呼びかけを聞き取っています。
説教が語っていること
ペテロの第二の手紙2章についてよくある質問
ペテロの第二の手紙2章の偽教師とはだれですか。
自分をクリスチャンと称しながら、誤った教えを持ち込み、放縦な生活を送り、貪欲のために信者を食い物にする教師たちです。ペテロは、彼らが共同体そのものの中から出てくると述べています。その教え、行い、そしてお金との関わりという実によって見分けるよう勧めています。
なぜペテロは、ノア、ソドム、ロトを引いているのですか。
二つのことを示すためです。まず、神は御使いたち、古い世界、ソドムとゴモラの町々をさばかれたので、さばきは現実だということ。次に、そのさばきのただ中でノアとロトを救い出されたので、神はご自分の民を守る方だということです。これらの例は、信者を励まし、偽教師に警告します。
自分を征服したものの奴隷となるとはどういう意味ですか(ペテロの第二の手紙2章19節)。
偽教師は自由を約束しますが、自分自身は欲望のとりこのままです。この節は原則を語っています。人を支配するものが、その人の主人になるということです。これは新約聖書の教え、すなわち本当の自由は、罪の奴隷から解き放ってくださるキリストから来るという教えと重なります。
ペテロの第二の手紙2章22節の、犬と豚のことわざは何を意味しますか。
ペテロは後戻りの二つの姿を引いています。自分の吐いた物に帰る犬と、どろの中にころがって行く豚です。義の道を知ったあとで、もとの生活に戻る人々を描いています。これが救いに何を意味するかについてクリスチャンの間で議論はありますが、警告の重さについては意見が一致しています。
ペテロの第二の手紙 2を引用している記事
口語訳(1955年)— パブリックドメイン。