列王記下19章 ヒゼキヤの祈り、神が聞かれる祈り

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はじめに

二十五、六年前のこと、荻野倍弘牧師の次男が、三、四歳でまだ幼稚園にも通っていなかったころ、仕事中の牧師のところにやって来ました。「パパ、大人の礼拝でね、だれかが礼拝のために祈っていて、その祈りのあいだにほかの人たちが『アーメン、アーメン』って言うでしょ。あれはどういう意味?」父親は、「アーメン」とは「はい、そのとおりです」という意味で、祈る人の言葉が自分の思いも言い表している、ということだと説明しました。子どもはとてもがっかりした様子でした。「アーメン」は「お祈りが長すぎるよ、早く終わって」という意味だと思っていたのです。

「新しい解釈ですね」と牧師は微笑み、今でも人の祈りのあいだに「アーメン」と言うときは、最初の意味で言っていると付け加えます。息子に説明しながら、自分自身も教えられたそうです。祈りは心を尽くしてするものだ、ということです。これが、2026年9月20日に沼津のシオン・キリスト教会で語られた、列王記下19章14-20節のヒゼキヤ王の祈りに基づくこのメッセージの主題です。

牧師はそこから三つの点を引き出します。祈りとは、心にあることを神に率直に申し上げる場であること。神が聞かれる祈りは賛美から始まること。そして、主は聞いて答えてくださること。

メッセージの構成

1. 聖書に二度語られている出来事

  • 同じ出来事が、列王記下19章とイザヤ書37章に記されています。聖書が二度記しているのは、それが信じる者にとって大切であり、イスラエルの民にとって忘れられないものだからです。
  • 北王国イスラエルはアッスリヤ帝国に滅ぼされました。その勢いに乗って、説教者によれば紀元前720年ごろ、アッスリヤは南王国ユダを攻め、町を次々と奪いました。
  • 残ったのはシオン、エルサレムだけで、アッスリヤの軍勢に取り囲まれ、今にも陥落しようとしていました。
  • 牧師は、家で19章全体を読み返すよう勧めています。

2. 祈るとは、心にあることを率直に申し上げること

  • 「ヒゼキヤ王はこれを聞いて、衣を裂き、荒布をまとって主の宮に行った」(列王記下19章1節)。主の宮とは礼拝をささげた神殿のことで、私たちにとってはこの教会です。もはや祈るほかありません。
  • 緊急のときも日々の祈りでも、祈るとは、本当に思っていることを神に率直に申し上げることです。1節から14節がそれを教えています。
  • ヒゼキヤは一人で祈るのではありません。自分が祈り、家来たちにも祈るよう求め、さらに預言者の祈りの助けを求めます。「それゆえ、あなたはなお残っている者のために祈をささげてください」(列王記下19章4節)。
  • 追いつめられたとき、あるいは祈りの課題が重くのしかかるときは、一人で抱え込まないでください。信仰の兄弟姉妹や牧師に祈ってもらうよう頼みましょう。恥ずかしいことではありません。心を合わせた祈り、一人より二人、二人より三人の祈りは、神が耳を傾けてくださる力です。

3. 互いのために祈る:祈る人が最初に祝福される

  • 十年以上前のこと、この礼拝の前半で証しをした教会の兄弟が、自分が世話をしている集まりの子どもたちの名前の一覧を、祈ってもらうために牧師に預けました。かけがえのない子どもたちで、兄弟が心を注いでいる子どもたちです。牧師は今も週のうちにその子たちのために祈り続けており、その兄弟にも、お返しにあなたのためにも祈っていますと伝えています。
  • 沼津でも、横浜でも、ほかの場所でも、祈りの課題を分かち合い、互いのために祈っています。「そこにこそ教会の力があり、教会の存在理由さえあると私は思います。」
  • 牧師になって約33年、ときどき別の教派の教会に招かれて説教することがあります。その教会の一人の姉妹は、今は主のもとにおられますが、いつも自分の牧師と同時にあなたのためにも祈っていますと言いに来てくれました。牧師が彼女のために祈りましょうかと申し出ると、「私のためではなく、この教会のために祈ってください」と答えたそうです。彼女にとっては、牧師もまた自分たちの教会の牧師だったからです。励ましを受けるとともに、重い責任も感じたといいます。きっと今も天から祈ってくれていると思っています。「祈りは、祈る人を祝福します」と牧師は語ります。
  • 教会から離れていて戻ってきた人から、どうすれば神から離れずにいられるのかと尋ねられたとき、牧師はいつもこう答えます。自分と家族のために祈ること、そして教会の週報にある課題のためにも、病気の人や試練の中にある人のためにも、まだ救われていない身近な人のためにも祈りなさい、と。「人のために祈っていると、つまずいている暇がありません。」
  • 自分は「心が狭い」と言う牧師は、疲れや落胆と無縁ではないと打ち明けます。しかし、沼津でも横浜でもシオン教会全体でも、厳しい困難の中にあり、健康のために闘い、家族の苦しみを担いながら、それでも主と教会と人々に忠実に仕えている人たちのために祈っていると、富士山のように大きく見えていた自分の問題が、道ばたの小石よりも小さくなるのです。
  • 最近、ある姉妹が、牧師が事故に遭わないように毎朝祈っていますと打ち明けてくれました。心配をかけてすみませんと謝ると、彼女はこう答えたそうです。「本当に心配なので、家族のために祈る前に、まず先生のために祈っています。」牧師は微笑みます。「心配してもらいたい方には、牧師になることをお勧めします!」そして、もっと真面目に、この姉妹のためにいっそう心を込めて祈らなければと思ったといいます。人のために祈ることは、自分自身が祈りに担われていることを経験することです。

4. 神が聞かれる祈りは賛美から始まる

  • ヒゼキヤは自分でも率直に祈ることを知っていました。だからこそイザヤの祈りも求めたのです。彼の祈りの内容は15節から20節にあります。
  • 聖書には、ネヘミヤ、モーセ、ペテロ、パウロをはじめ、神のしもべたちの多くの祈りが記されています。牧師はあえて言います。神が聞かれる祈りは賛美から始まる、と。
  • 「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、主よ、あなたはただひとり、地のすべての国々の神です。あなたは天と地を造られました」(列王記下19章15節)。ヒゼキヤは旋律に乗せて歌っているのではありませんが、主をほめたたえています。これは賛美です。
  • 神にすべてを願い、求め、打ち明けてかまいません。ただ、まず感謝から始めてください。イエスの名によって祈ることができること、十字架で示された大きな愛によって救われ、神の子とされたこと、生きていること、星や太陽や空や海を見て、それを造られた神がおられると知っていることを。
  • 賛美と感謝から始まった祈りは、たとえ後から振り返って願いがかなり利己的に思えても、決して不平やわがままで終わりません。信仰の筋道を保つからです。神はすべてを治めておられ、天と地を造られたお方は、すべてのことを働かせて益としてくださいます(ローマ人への手紙8章28節)。
  • ダニエルの三人の友は、王の像を拝むことを拒んだために火の燃える炉に投げ込まれようとしたとき、神は救い出してくださる、「そうでなくても」、ただ神だけを拝むと宣言しました(ダニエル書3章17-18節)。神にすべてを打ち明けたあとで、あなたもこう言うことができます。「私は、すべてが主にあって益に変えられると信じます。すべてをあなたの御手にゆだねます。」

5. 大胆に祈る

  • 牧師は、これまでの歩みを振り返ってこうまとめます。「思いどおりになることは何ひとつありませんでしたが、すべてが私の願いを超えていました。」それは「丸い三角形を描いて」と言うようなものだと認めつつ、祈る者にはそれが真実だと分かっているのです。
  • 物事は思いどおりに運ばないかもしれません。しかし、あなたが願ったことの三十倍、六十倍、百倍もの祝福に変えられます(マルコによる福音書4章20節参照)。「それは疑いありません。」
  • 「だから私は今日、ここに立っているのです。」この確信がなければ、説教はできない、まして沼津の兄弟姉妹の前ではしどろもどろになってしまう、と牧師は言います。けれども主は、すべてを益に変えてくださることを体験させてくださり、牧師の奉仕の背後には会衆の祈りがあります。そのことを牧師は感謝しています。
  • ですから、すべてのことを大胆に祈りましょう。ヒゼキヤはそうしています。「主よ、耳を傾けて聞いてください。主よ、目を開いて見てください。生ける神をそしるためにセナケリブがつかわした者の言葉を聞いてください」(列王記下19章16節)。丁寧に訳された新改訳2017でさえ、ここでは「送る」という動詞に、荒々しい口語的な言葉を当てています。原文はさらに激しいそうです。ヒゼキヤは自分の言葉で神に語りかけているのです。

6. 「わたしはあなたの祈りを聞いた」

  • 三つ目の点は、主は聞いて答えてくださるということです。「そこでアモズの子イザヤは人をヒゼキヤにつかわして言わせた、『イスラエルの神、主はこう仰せられる、あなたがアッスリヤの王セナケリブについてわたしに祈ったことをわたしは聞いた』」(列王記下19章20節)。
  • 今日、一つだけ節を覚えて帰るなら、20節の終わりを覚えてください。「わたしは聞いた。」ヒゼキヤにそう言われた神が、あなたにも同じように答えてくださいます。
  • この言葉を心に留め、家で祈るときに思い起こしてください。牧師自身も、祈りをこう結びます。「主よ、あなたは私の祈りを聞いてくださいました。聞いてくださったのですから、すべてを働かせて益としてくださることを感謝します。」そして立ち上がります。
  • 牧師は、結ぶことなく祈り続けるのではなく、祈りを結ぶ習慣をつけるよう勧めます。「主よ、聞いてくださいましたよね。あなたの御言葉で約束してくださいました。ありがとうございます。あとはあなたのものです。」それで十分です。

7. 神の目に尊い者

  • ヒゼキヤに答えたのはイザヤでしたが、神は同じ預言者を通して、私たち一人ひとりにも、よく知られた言葉でこう語っておられます。「わたしの目には、あなたは高価で尊く、わたしはあなたを愛し、あなたの身代りとして人を与え、あなたのいのちの代りに民を与える」(イザヤ書43章4節)。
  • 神はそれを、ひとり子を十字架に渡すことによって証明されました。イエスはそこで、私たちの罪のために、私たちに代わって死なれました。「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネによる福音書3章16節)。
  • 牧師である夫を主のもとに送った伝道者の女性は、こう言っていました。「夫は今、家族を残して天へ転勤中なんです。」牧師は、きっと夫は今もそこで、祈りと賛美の奉仕をしているのだろうと思いました。二人は永遠に離ればなれになるのではなく、再び会い、ともに生きるのです。
  • これほど大きな救いを与えてくださった父は、イエスの名によってささげられる祈りを聞いてくださいます。イエスはヨハネによる福音書でそれを繰り返されました。わたしの名によって祈りなさい、そうすれば父があなたがたに与えてくださる(ヨハネによる福音書15章16節)。牧師は、家でヨハネ15章を読み返すよう勧めています。
  • 「祈りは、現実の力です。」父は、イエスの名によるその祈りに、答えずにおられるはずがありません。

心に留めたいこと

  • 祈るとは、緊急のときも日々の生活の中でも、心にあることを神に率直に申し上げることです。
  • 重荷を一人で担わないでください。兄弟姉妹に祈りを求めることは恥ずかしいことではなく、人のために祈ることで自分の問題を見直すことができます。
  • 祈りを賛美と感謝から始めましょう。祈りは不平にとどまらず、信仰の筋道を保ちます。
  • 神はヒゼキヤに答えられたように、祈る者に答えてくださいます。「わたしは聞いた。」
  • あなたは神の目に尊い者です。神は十字架でそれを証明され、父はイエスの名による祈りを聞いてくださいます。

個人への適用

  1. 今日、あなたが一人で抱えていて、兄弟姉妹や牧師の祈りにゆだねられる課題は何ですか。
  2. 今週、定期的に祈ることができる相手はだれですか。病気の人、試練の中にある人、まだイエスを知らない身近な人でしょうか。
  3. あなたはふだん、どのように祈りを始めますか。賛美から始めたら、何が変わるでしょうか。
  4. 祈りの終わりに、聞いてくださったことを神に感謝し、立ち上がって、あとを神にゆだねる習慣をつけることができますか。

引用した聖句

よくある質問

エルサレムがアッスリヤに脅かされたとき、ヒゼキヤは何をしますか。

衣を裂き、荒布をまとって主の宮に入ります(列王記下19章1節)。自分で祈り、家来たちにも祈るよう求め、預言者イザヤにも助けを求めます。荻野牧師にとって、祈りとは、本当に心にあることを神に申し上げる場であり、重荷を一人で担わない場です。

なぜ祈りを賛美から始めるのですか。

ヒゼキヤは、主がすべての国々のただひとりの神であり、天と地を造られたお方であることを認めることから始めます(列王記下19章15節)。荻野牧師は、賛美と感謝から始まる祈りは、不平やわがままにとどまることがなく、神がすべてを治めておられるという信仰に立つのだと説明します。

ヒゼキヤの祈りから、どの節を心に留めればよいですか。

荻野牧師は、列王記下19章20節の終わり、「わたしは聞いた」を心に留めるよう勧めています。祈りのたびに、この約束を神に思い起こしていただき、聞いてくださったことを感謝し、立ち上がってあとを神にゆだねて祈りを結ぶよう勧めています。

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