はじめに
「一つになる唯一の方法は、イエスにつながっていることです。」これは、Église Évangélique Paris Métropole の最初の早朝デボーションのメッセージの中心です。断食と祈りの一週間の初日で、テーマは「集められた者たち」でした。この朝は、特に神の前に集められることに焦点が当てられます。
使徒行伝1章12-14節です。イエスの昇天の後、弟子たちはオリブ山から戻り、屋上の間に上がって、心を合わせて祈りに専念します。そこには女たち、イエスの母マリヤ、そしてイエスの兄弟たちも一緒にいました。聖書は名前の一覧を記しています。ペテロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、ピリポ、トマス、バルトロマイ、マタイ、アルパヨの子ヤコブ、熱心党員シモン、そしてユダです。
説教者はこの名前の一覧に目を留めます。この人たちはどんな人だったのか。どうして一緒にいられたのか。彼の答えは一言で言えます。彼らを一つにしたのは、イエスに従うことでした。そして今日も、私たちを一つにしてくださるのはイエスです。
メッセージの流れ
1. 屋上の間に集められて
- イエスは天に上げられ、弟子たちに聖霊の約束を残されました。もう肉体のイエスとは一緒にいませんが、彼らはみな、いつも祈るために集まっていた屋上の間に一緒にいます。
- 聖書は、彼らが「心を合わせて」祈りに専念していたことを強調しています。ただ同じ部屋にいるということではなく、イエスの言葉、イエスの約束、そしてイエスが託された使命のもとに心を一つにすることです。
- そこで、この時間の初めの祈りはこうです。主が、私たち自身の利益を脇に置き、一致を深めることを助けてくださいますように。
2. 祈りの夜を経て選ばれた十二人
- この名前の一覧を理解するために、ルカの福音書6章12-16節にさかのぼります。イエスは祈るために山に行き、夜を徹して神に祈られました。夜が明けると弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選んで、使徒と名づけられました。
- 説教者は、イエスが夜通し祈られたと書かれているのは聖書の中でここだけだと指摘します。神の言葉がそれをわざわざ伝えているのですから、それは大切なことだということです。
- この弟子たちは、行き当たりばったりで選ばれたのではありません。「それは本当に神の選びでした。」イエスは、三年間ともに歩む者が誰なのかを、父が示してくださることを望まれたのです。
3. 正反対の人たちのチーム
- 私たちはこの十二人の名前をよく知っています。しかし細かく見ると、イエスが互いにまったく違う人たちを選ばれたことに気づきます。
- 熱心党員シモンは、ローマ人と激しく戦ったユダヤ人の民族主義者で、支配する権力に反抗する人、「デモ参加者」のような人でした。同じチームに、イエスはローマのために働く取税人マタイを選ばれました。ユダヤ人から見れば裏切り者です。「人生ではほとんど敵同士」だった二人が、並んで立つことになったのです。
- 地域や文化、伝統の違いもありました。ユダヤ出身の者もいれば、ガリラヤ出身の者もいました。ガリラヤ人は評判がよくありませんでした。ヨハネ1章46節の問いがそれを物語っています。「ナザレから何のよいものが出ようか。」一方のユダヤ人は、自分たちのほうが上だと感じていました。
- 説教者は、彼らの立場に身を置いてみるよう促します。「イエスがあなたを使命のために選んだと想像してください。おそらく世界で最も大切な使命です」。ただし条件があります。「いわば敵」、つまり我慢できない人、別の文化の人、「もしかするとあなたを軽蔑している人」と一緒にそれを果たすのです。
4. 緊張があっても三年間ともに
- 三年間、彼らはともに食べ、ともに眠り、ともにイエスと群衆に仕え、ともに苦しみ、ともに歩みました。「それが弟子たちの交わした契約です。」イエスに従うことを選んだとき、彼らは最初は知らないまま、自分とはまったく違う人たちと働くことを選んだのです。
- 緊張もありました。マルコの福音書9章で、弟子たちは誰が一番偉いかを議論します。イエスは一人の子供を彼らの真ん中に立たせて言われました。「だれでも第一になろうと思うなら、すべての人の後になり、すべての人の僕とならねばならない。」そしてこの場面を、こう結ばれます。「互にやわらぎ合いなさい。」
- 最後の食事で、イエスは新しい戒めを与えられます。「互に愛し合いなさい。」「もし互に愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が知るであろう」(ヨハネ13章34-35節)。「それは本当の命令です。」
- その直後に、ヨハネ17章の祈りが続きます。イエスは、父と御自身が一つであるように、弟子たちも一つになるようにと求められました。教会の始まりとなり、福音をあらゆる所で宣べ伝えることになるこの十二人への、イエスの思いでした。彼らが一つに、ともに、同じ心になるようにということです。
5. 一つになる唯一の方法はイエスを見上げること
- 説教者は認めます。自分たちに似ていて、共通点があり、性格も近い人たちと神に仕えるほうが、はるかに簡単でしょう。「でも、神が教会をそのようにご覧になったわけではありません。」
- 十二人を一つにしたのは、彼らがイエスに従うためにそこにいて、イエスを見上げ、イエスとともに歩んだことでした。「本当にともに歩み、本当にともに仕えることができる唯一の方法は、イエスを見上げることです。」イエスが私たちの第一の目標であり続けるなら、イエスは私たちを一つにしてくださいます。
- 人の心には、あるグループに属したいという願いがあります。コリントでは、ある人たちは「わたしはパウロにつく」と言い、別の人たちは「わたしはアポロに」と言いました。パウロは議論の軸を戻します。わたしは植え、アポロは水をそそいだ。しかし、成長させてくださるのは神である(1コリント3章4-7節)。中心は神です。
- 「教会を建てるのはイエスです。今朝、私たちを集めてくださったのもイエスです。」私たちがつながるのはイエスのためであり、祈り、宣べ伝えるのもイエスです。心を合わせようとする人間の努力は良いもので必要ですが、イエスに集中することによって、イエスが私たちを一つにしてくださるのです。
6. グループに託された使命
- これこそ、イエスが教会に残された使命に応える唯一の方法です。「それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたことを、すべて守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」(マタイ28章19-20節)。
- イエスが「行って」と言われるとき、それは一人の個人に語っているのではありません。三年間ともに歩むことを学んだ、あの違いのある弟子たちというグループに語っておられるのです。
- 三年間は、イエスが肉体をもってそこにおられることが彼らを一つにしていました。イエスが去った後は、イエスの言葉が彼らを一つにします。エルサレムにとどまること、力を受けること、そしてイエスの証人となることを、イエスは語っておられました(使徒行伝1章4-8節)。この言葉が、毎日彼らを屋上の間に集めるのです。
- そしてペンテコステが来ます。「教会の始まり」です。聖霊が彼らを訪れ、ペテロが語り、何千人もの人が回心します。「しかしペンテコステは、違いがあるにもかかわらず、一つになることを選んだ人たちのグループの実りでした。」イエスの約束のもとに集まった実りです。
- 説教者の励ましはこうです。「イエスの言葉によって、一つにされましょう。」今日もなお、私たちを一つにするのは、イエスの臨在とイエスの言葉です。
7. 愛と奉仕と使命のために祈る
- 説教者は、メッセージを三つの祈りの課題へと広げます。一つ目は新しい戒め、互いに愛し合うことです。愛は御霊の実です。「人間的には、私たちは愛し合うことを知りません。」教会の中で受けた傷も含め、私たちの先入観や裁き、傷を超える超自然的な愛を求めるのです。
- 二つ目は奉仕です。イエスは弟子たちの足を洗われ、先生であるイエスがそうされたことに弟子たちは衝撃を受けました(ヨハネ13章)。「誰が一番か、誰の賜物が一番優れているか、誰の立場が一番良いかを知るために互いを踏みつけ合う」ことではなく、相手の必要に目を向け、自分のためよりも他の人のために多く祈ることです。
- 三つ目は使命です。人生の激しい流れの中で、「特にこのパリでの生活で」、活動やキャリアに追われて、イエスが私たちをともに弟子づくりへと召しておられることを忘れてしまうことがあります。教会の中の多くの対立は、「自分自身を見すぎているから」生まれます。弟子をつくるのはイエスであり、イエスは私たちを通してそれをしたいと願っておられます。「主よ、私たちは用意ができています。私たちの人生をお用いください。」
大切なポイント
- イエスは一晩中祈った後に十二人の弟子を選び、あらゆる点で対立しうる人たちを一つに集められました。
- 一つになる唯一の方法は、イエスにつながり、ともにイエスを見上げることです。
- 教会を建てるのはイエスです。パウロは植え、アポロは水をそそぎますが、成長させてくださるのは神です。
- 弟子をつくる使命は、孤立した個人ではなく、グループに託されています。
- ペンテコステは、違いがあっても、イエスの約束のもとに一つになることを選んだ弟子たちの実りでした。
個人への適用
- あなたの教会で、自分とあまりに違うために、ともに歩むのが難しい人は誰ですか。
- あなたはまず自分に似た人たちのそばにいようとしていますか。それとも、イエスが隣に置いてくださった人たちとともにイエスを見上げようとしていますか。
- イエスはあなたをすべての人の僕として召しておられるのに、どんな場面で「一番」になろうと争っていますか。
- 教会で受けたどんな傷を神にゆだね、あなたの裁きを超える愛を求めることができますか。
- 活動やキャリアの中で、弟子をつくるという召しを見失わせているものは何ですか。
引用された聖書箇所
- 使徒行伝1章12-14節
- ルカの福音書6章12-16節
- ヨハネの福音書1章46節
- マルコの福音書9章33-50節
- ヨハネの福音書13章1-15節
- ヨハネの福音書13章34-35節
- ヨハネの福音書17章21-22節
- コリント人への第一の手紙3章4-7節
- マタイの福音書28章19-20節
- 使徒行伝1章4-8節
- ガラテヤ人への手紙5章22節
よくある質問
なぜイエスはこれほど違う弟子たちを選ばれたのですか。
ルカの福音書6章によれば、イエスは十二人を選ぶ前に夜通し祈られました。この選びは偶然ではありませんでした。それでもイエスは、ローマに反対する民族主義者の熱心党員シモンと、ローマのために働く取税人マタイを、また評判の悪いガリラヤ人と自分たちを上だと感じるユダヤ人を、一つに集められました。彼らを結びつけていたのは、イエスに従うことでした。
教会で一つになる唯一の方法は何ですか。
説教者によれば、一つになる唯一の方法は、イエスにつながっていることです。心を合わせようとする人間の努力は良いものですが、みなでともにイエスを見上げることによって、私たちはともに歩むことができます。パウロがコリントの人々に思い起こさせたように、ある者は植え、ある者は水をそそぎますが、成長させてくださるのは神です。
屋上の間で、弟子たちを一つにしたものは何ですか。
三年間は、イエスが肉体をもってそこにおられることが弟子たちを一つにしていました。昇天の後は、イエスの言葉が彼らを一つにしました。イエスは、力を受けるためにエルサレムにとどまるようにと語っておられたのです。彼らはともに祈りに専念し、ペンテコステは、違いがあっても一つになることを選んだグループの実りとなりました。