はじめに
「今朝のメッセージの題は、きっと忘れられないと思います。脱皮です。」米沢興譲教会の木村淳兄は、2026年10月25日の第一礼拝で、自らが「恵みの雨」と呼ぶ雨の朝に語りました。本文はわずか二節、使徒行伝6章3〜4節です。使徒たちが教会に、食卓のことに仕える七人を選ぶよう求め、自分たちは祈りとみ言葉に専念しようとする場面です。
木村淳兄は、スティーブン・ジョンソンの『Extra Life』という本からメッセージを始めます。日本語版の副題は問いかけています。なぜ百年で平均寿命が54年も延びたのか。牧師は、子どものころは人生五十年と言われ、六十歳や七十歳まで生きれば長寿だったことを思い出します。今では人生百年と言われます。
この進歩の要因の一つとして、本はコレラとの戦いを語ります。コレラは汚れた水を介して広がり、脱水によって命を奪う病気でした。あるインド人の医師は、煮沸した水に砂糖と塩を混ぜて飲ませ、体に水分を戻せばよいことに気づきました。1972年、バングラデシュからインドへ逃れてきた難民キャンプで、約3,000人の間にコレラが広がります。医師はたった一人でした。当時は、治療できるのは医師だけだという一種のプライドがあった、と木村淳兄は言います。その医師はボランティアの力を借りることにしました。「脳腫瘍の手術は誰にでもできるわけではありません。でも、水を飲ませることなら誰にでもできます。」これによって、キャンプの3,000人は救われました。
「小さな変化、小さな決断で、多くの人を助けることができます。」牧師はここに使徒行伝6章で起きていることを見て、変わることを学ぶための三つのポイントを挙げます。新しい器を備えること、新しい油注ぎを分かち合うこと、新しい流れに身を委ねることです。
メッセージの流れ
1. 祝福に満ちた教会が、問題に出会う
- イエスの昇天の後、聖霊が降り、教会が始まります。一日で3,000人が救われ、さらに5,000人が加わります。救いだけでなく、連れて来られた病人は「一人残らず」癒やされました。「これが教会の理想的な状態です。」
- 「けれども、問題が起こります。」どれほど栄えている共同体でも、人間が集まるところには問題が生まれます。人数が多ければなおさらです。
- あらゆる問題を避けようとするよりも、もっと先を見るよう牧師は勧めます。困難や壁にぶつかり、自分の限界を感じるとき、神はその向こうに次の祝福を備えておられることが多いのです。
- 使徒行伝6章1節は問題を描きます。ギリシャ語を話すユダヤ人たちが、日々の配給で自分たちのやもめがおろそかにされていると不平を言いました。「食べ物の恨みは怖いですね」と牧師は冗談を言います。説教でペテロとパウロを間違えても許されるけれど、教会の食事で食べ物が足りなくなると、不満はすぐに出てくるのです。二つのグループの間の不平等の問題だと見る人もいます。いずれにしても、ここから新しい流れが始まります。
2. 想像で読む聖書:ペテロ、ヨハネ、そして出エジプト記18章
- 木村淳兄は、ユーモアを込めて「想像の読み方」と呼ぶ聖書の読み方を紹介します。これは教会のある兄弟から、許しを得て借りたやり方です。ペテロとヨハネが、配給の一日を終えて家に帰る場面を想像します。
- 「ペテロ、今日の配給は大変だったね。最初は何千人も来てくれてうれしかったけれど、毎日だと疲れるよ。」ヨハネは、ギリシャ語を話すユダヤ人たちの苦情をとても感情的になっていた彼らから受け取り、カウンセリングの学校で学んだように、彼らの気持ちに寄り添ったと話します。事柄そのものよりも、目の前の人を大切にするのです。
- 二人は、まだデボーションの時間を持っていなかったことを打ち明けます。そこで聖書を開き、その日の箇所、出エジプト記18章13節を読みます。
- モーセはひとりで座って民をさばき、民は朝から晩まで彼のまわりに立っています。しゅうとのイテロは言います。「あなたのしていることは良くない。あなたも、あなたと一緒にいるこの民も、必ず疲れ果てるであろう。」イテロは、有能で神を恐れ、誠実で、不正な利得を憎む人々を選び、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長として立てるよう勧めます。小さな事件は彼らがさばき、大きな事件はモーセのところに持ってこさせるのです。「あなたの荷を軽くし、彼らにあなたと共に担わせなさい。」
- 想像の対話の中で、ペテロとヨハネは自分たちの姿に気づきます。「まさに私たちの状況だ。何でもひとりでするのは良くない。ほかの人たちに助けてもらおう。明日から試してみよう。」
- 牧師は、使徒たちがその日に出エジプト記18章を読んだのか、神が別の方法で示されたのかは分からないと述べます。「これは私の想像です。でも、内容は同じです。」使徒行伝6章2節で、十二人は言います。「わたしたちが神の言をさしおいて、食卓のことに携わるのはおもしろくない。」つまり、モーセのときと同じように、今のやり方は良くないということです。
3. 第一のポイント:新しい器を備える
- 使徒たちは七人を自分たちで指名することも、外から人を連れてくることもしません。「あなたがたの中から選びなさい」と言います。「これは大切な点です。神はすでに、集められた群れの中に、必要な協力者と助け手を備えておられるのです。」
- これは教会でも、職場でも、個人的な困難の中でも同じです。神は私たちのまわりに、働きの仲間を置いておられます。それなのに、自分ひとりで切り抜けなければと思ってしまいます。頼むのをためらい、負担になるのを恐れて、すべてを自分の手に握り続けるのです。
- 木村淳兄は自分もそうだと認めます。「私はそういうタイプです。人に任せることがなかなかできません。」まわりにはたくさんの人がいるのに、口からは「人が足りない」という言葉が出てきます。
- すべてを人に丸投げするということではありません。選ばれた人たちは使徒たちの前に立たされ、使徒たちは祈って彼らの上に手を置きます。このバランスの中で、神は新しい人を与えてくださいます。
- 「最も備えなければならない器は、あなた自身です。」私たちの中には、習慣や思い込み、ときには誇りがあります。キャンプの医師のようにです。あるいは、間違った方向に向かった責任感、「私がやらなければ」という思いです。
- 無意識の習慣もあります。両親から「そうじゃない、ちゃんとできていない」と繰り返し言われた人は、そのイメージを内面に取り込んでいます。頭では、ほかの人にもできると分かっています。けれども、身近な人ほど、たとえば自分の子どもや、自分の責任のもとで働く人に対して、無意識が表に出てきます。厳しくなったり、うまくいかないとすぐに自分で取り上げたりするのです。ある人は、何年もたってから後輩に「あの頃は本当に厳しかったですね」と言われたそうです。本人はまったく気づいていませんでした。
- 牧師は「無意識を意識化する」ことについて語ります。いつも同じことを繰り返していること、同じパターンに戻ってしまうこと、すべてをコントロールしたくなることに気づくのです。そして、それを認めます。私たちはすぐに自己批判に走りがちですが、そこには恵みの世界があります。そこでイエスに出会うのです。「それがあなたなんだね、あなたはそういう人なんだね。」イエスにそこへ来ていただき、触れていただくとき、私たちは解放されます。
4. 「あなたが去ってから、みんな生き生きしています」
- このメッセージを準備しながら、木村淳兄はある場面を思い出します。東京の教会で二十年ほど仕えた後、神は彼を米沢興譲教会と米沢へ導かれました。着任から約三年、コロナの時期の終わりごろ、以前の教会の青年が、山形方面に来たついでに会いに来ます。
- ロビーに座りながら、彼は心のどこかで、「あなたが去ってから大変だけれど、何とか頑張っています」という言葉や、自分が教会のためにしたことの思い出話を聞きたいと願っていました。ところが青年は言いました。「あなたが去ってから、みんな生き生きしています。」
- 青年は、千葉県市原のフィリピン人のグループの近況も付け加えます。木村淳兄はほぼ毎月、そこへ子どもたちを教えに通っていました。その子どもたちは成長し、学生になった子もいて、グループも前に進んでいます。
- 牧師は笑顔で、うれしいと答えます。けれども青年が帰った後、胸の中に落ち着かないものを感じました。「ああ、私がすべてを握っていたんだ。」それが本当の気持ち、今の自分の段階でした。そこで牧師はそれをイエスにゆだねます。成長させてくださるのは神だからです。
5. 脱皮:同じいのち、新しい姿
- どんな変化にも、内側の器が変えられることが必要です。だから題は「脱皮」です。青虫はさなぎになり、やがて蝶になります。「ご存じでしたか。青虫もさなぎも蝶も、同じDNAを持っています。同じ存在なのです。変わるのは姿だけです。」
- 青虫は、たくさん食べて栄養を蓄えるようにできています。蝶はもう食べず、花の蜜を吸います。体のつくりは変わっても、DNAは同じままです。
- 「私たちも主にあって変えられますが、あなたの存在は変わらずそのままです。」今この瞬間も、あなたは神に愛されています。そして、あなたが直面しているただ中で、神はさらに大きな祝福のためにあなたを造り変えておられます。
- 「今朝、一緒に脱皮しましょう。イエスが私たちを造り直してくださいます。」
6. 第二のポイント:新しい油注ぎを分かち合う
- 七人は「御霊と知恵とに満ちた」人だから選ばれます。御霊に満たされた彼らは、力を受けました。知恵によって、神の力をもって困難に立ち向かうことができます。「力と勢いがあっても、知恵がなければ……」と牧師は笑って言葉を止めますが、その両方が大切だと強調します。
- 彼らはまた「評判のよい人」でもありました。ほかの人々が信頼する人たちです。器として備えられると、聖霊の油注ぎが彼らの上に注がれます。
- 「御霊と知恵に満ちているとは、空っぽの器であるということです。」空っぽの器があれば、神はそこに力を注いでくださいます。
- 牧師はエリシャの話を思い起こします(列王紀下4章1〜7節)。預言者の仲間のひとりの妻が、借金に追われてエリシャのもとに来ます。子どもたちが連れて行かれようとしているのです。エリシャは、家と近所から空の器を集めるよう言います。油は流れ出て、すべての器を満たします。子どもがもう器はないと言うと、油は止まりました。彼女はその油を売って借金を返し、残りで息子たちと暮らしました。
- 「秘訣は、自分を空にすることです。」「もう知っている、自分にはできる」と思うとき、器は逆さまになっています。田中先生がよく言われるとおりです。それを元に戻さなければなりません。「私はまだ本当には分かっていません。主よ、教えてください。助けてください。」空の器とは、神の前にへりくだり、神に寄りかかることです。
7. 忍者たちと、世代間のバトンタッチ
- 日本では、教会でも他の場所でも高齢化が進み、世代間のバトンタッチがよく話題になります。木村淳兄は、別の教会が開いたこのテーマのセミナーを聞きました。結論は一言でした。バトンタッチとは、年長者と若い人が一緒にすることだ、というのです。
- 印象に残ったのは、高い壁を越える忍者のイメージでした。経験を積んだ忍者が壁の下に立ち、若い忍者が走ってきて、その手に足をかけ、上へと押し上げられます。全員が上がると、今度は若い人たちが年長者を引き上げます。「これがバトンタッチです。」
- 若い人たちが先に行って、年長者を下に残してしまうなら、問題です。年長者が踏み台になることを拒むなら、それも問題です。「一緒にするのです。」
- 神は多くの人に油を注ぎ、そのすべてを用いられます。多くのベテランも、成長している人たちも同じようにです。イエスは言われました。新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れる(マタイによる福音書9章17節)。古くて固くなった皮袋は、新しいぶどう酒が発酵すると裂けてしまいます。しなやかな心で、「一緒にやりましょう」と言える備えがあるとき、油注ぎは広がります。
- 使徒行伝6章7節は、その結果を示しています。神の言はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常にふえ、祭司の大勢の群れも信仰に従いました。「以前から、すでにすばらしかったのです。けれども、この問題に出会い、やり方を変えたとき、祝福はさらに広がりました。」個人のレベルでも同じです。主の挑戦を受け入れることで、あなたの人生への祝福は広がります。
8. 第三のポイント:新しい流れに身を委ねる
- この記事は、配給がうまく整理されたところで終わりません。使徒たちは祈りとみ言葉の務めに戻ります。教会が大きくなると、仕事に押しつぶされてしまうことがあります。それ自体は悪いことではありませんが、最も大切な祈りとみ言葉が、いつの間にかおろそかになります。彼らはそこに立ち返るのです。
- 七人は、御霊の油注ぎに満たされて、食卓のところにとどまりません。ステパノは不思議なわざを行い、殉教に至るまで福音を告げます。サウロという青年が、その死に立ち会います。彼はパウロとなり、世界宣教のために用いられます。ピリポは、サマリヤでリバイバルを起こし、多くの人が救われます。
- イエスは言われました。「聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」(使徒行伝1章8節)。祝福はエルサレムにとどまりません。使徒行伝6章のこの出来事は、その転換点です。
- 牧師は、礼拝の中で紹介された賛美の歌詞を読み上げます。「渇くときに慕い求める水の流れ、決して尽きない新しい流れ、変わることのないみ言葉、いのちを与えるキリストの流れ。」このキリストの流れが、初代教会に広がっていく様子を私たちは見ます。
- この流れは、一人ひとりがイエス・キリストのもとに立ち返るときにも始まります。救われていても、私たちはこの世や両親から影響を受け続けています。ローマ人への手紙12章2節は、この世と妥協してはならないと言います。この世に流されてはならない、と訳す聖書もあります。「あなたは役に立たない」「社会ではやっていけない」「あなたには価値がない」といった言葉を、私たちは耳にします。こうした誤った自分像を抱いたまま信仰を生きることは、「つらい」ものです。
- そこから新しい流れが始まります。「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである」(コリント人への第二の手紙5章17節)。あなたを迷わせてきたイメージや偽りから解放されて、あなたは神に愛され、その御手による見事な作品であり、あなたの人生は神のみこころの中で前に進めます。
- この先は大変だ、あれもこれも足りないと思うときにも、神はあなたのために最善の計画を持ち、すべてのことを共に働かせて益としてくださいます(ローマ人への手紙8章28節)。神は、ご自身のみわざにふさわしい輝きを与えてくださいます。あなたにしか生きられない人生です。
心に留めたいこと
- 問題は人が集まるところならどこでも起こります。けれども神は、困難の向こうに祝福を備えておられることが多いのです。
- すべてをひとりで担うのは良くありません。神はすでに、私たちのまわりの人々の中に協力者を置いておられます。
- 最初に新しくすべき器は、自分自身です。私たちの習慣、誇り、無意識の反応に、イエスは触れて解放してくださいます。
- 青虫が蝶になるように、私たちは姿を変えますが、存在は変わりません。私たちは変わらず神に愛されています。
- 空の器が油注ぎを受けます。神の前のへりくだり、しなやかさ、世代を超えて共に働くことが、新しい流れを開きます。
自分への問いかけ
- 神があなたを助けてくれる有能な人々をまわりに置いてくださっているのに、あなたは人生のどの分野で、すべてを自分の手に握っていますか。
- 育ちや経歴から受け継いだどんな無意識の習慣が、身近な人に対して特に現れますか。自分を責めるのではなく、それをイエスに差し出す用意はありますか。
- あなたの器は、「もう分かっている」と思って逆さまになっていませんか。それとも、神が注ごうとされるものを受ける用意のある、空の器でしょうか。
- 今週、別の世代のどの人と一緒に「壁を越える」ことができますか。
- キリストの新しい流れに入るために、自分の価値についてのどんな偽りの言葉を置いていく必要がありますか。
引用された聖書箇所
- 使徒行伝6章1〜7節
- 出エジプト記18章13〜23節
- 列王紀下4章1〜7節
- マタイによる福音書9章17節
- 使徒行伝1章8節
- ローマ人への手紙12章2節
- コリント人への第二の手紙5章17節
- ローマ人への手紙8章28節
よくある質問
使徒行伝6章では何が起こりましたか。
弟子の数がふえていく中で、ギリシャ語を話すユダヤ人たちが、日々の配給で自分たちのやもめがおろそかにされていると不平を言いました。十二使徒は会衆に、御霊と知恵に満ち、評判のよい人を七人、自分たちの中から選ぶよう求めました。使徒たち自身が祈りとみ言葉の務めに専念するためです。その後、神の言はますます広まっていきました。
木村淳兄はなぜ「脱皮」と言うのですか。
青虫もさなぎも蝶も、同じDNAを持っています。同じ存在でありながら、姿と生き方が変わるのです。牧師にとって、神は私たちを同じように造り変えられます。神に愛された子としての存在は変わりませんが、より大きな祝福に入るためには、私たちの習慣ややり方が変わらなければなりません。
使徒行伝6章と出エジプト記18章にはどんな関係がありますか。
出エジプト記18章で、イテロはモーセに、あなたのしていることは良くないと言います。朝から晩までひとりで民をさばき、疲れ果ててしまうからです。イテロは、有能な人々を立てて荷を分かち合うよう勧めます。木村淳兄は、ここに使徒行伝6章と同じ原則を見ています。何でもひとりでするのは良くなく、神はすでに御民の中に協力者を置いておられるのです。