聖書 — 口語訳 (1955)

コリント人への第二の手紙 5

概要

コリント人への手紙第二5章で、パウロは死について穏やかに語ります。私たちのからだは幕屋であり、永遠の住まいに取り替えられます。私たちはキリストのさばきの座の前に立ちますが、キリストの愛が使徒を駆り立てています。キリストにある者は新しく造られた者です。神はキリストによって世を和解させ、信者に和解の務めをゆだねられました。信者はキリストの大使です。章は十字架の交換で結ばれます。キリストが私たちのために罪とされ、私たちが神の義となるためです。

この章の4つの区分

  1. 1-10節地上の幕屋から天の住まいへ
  2. 11-15節キリストの愛が私たちを駆り立てる
  3. 16-17節キリストにあって新しく造られた者
  4. 18-21節和解と、大使としての務め

1わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っている。

2そして、天から賜わるそのすみかを、上に着ようと切に望みながら、この幕屋の中で苦しみもだえている。

3それを着たなら、裸のままではいないことになろう。

4この幕屋の中にいるわたしたちは、重荷を負って苦しみもだえている。それを脱ごうと願うからではなく、その上に着ようと願うからであり、それによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためである。

5わたしたちを、この事にかなう者にして下さったのは、神である。そして、神はその保証として御霊をわたしたちに賜わったのである。

6だから、わたしたちはいつも心強い。そして、肉体を宿としている間は主から離れていることを、よく知っている。

7わたしたちは、見えるものによらないで、信仰によって歩いているのである。

8それで、わたしたちは心強い。そして、むしろ肉体から離れて主と共に住むことが、願わしいと思っている。

9そういうわけだから、肉体を宿としているにしても、それから離れているにしても、ただ主に喜ばれる者となるのが、心からの願いである。

10なぜなら、わたしたちは皆、キリストのさばきの座の前にあらわれ、善であれ悪であれ、自分の行ったことに応じて、それぞれ報いを受けねばならないからである。

11このようにわたしたちは、主の恐るべきことを知っているので、人々に説き勧める。わたしたちのことは、神のみまえには明らかになっている。さらに、あなたがたの良心にも明らかになるようにと望む。

12わたしたちは、あなたがたに対して、またもや自己推薦をしようとするのではない。ただわたしたちを誇る機会を、あなたがたに持たせ、心を誇るのではなくうわべだけを誇る人々に答えうるようにさせたいのである。

13もしわたしたちが、気が狂っているのなら、それは神のためであり、気が確かであるのなら、それはあなたがたのためである。

14なぜなら、キリストの愛がわたしたちに強く迫っているからである。わたしたちはこう考えている。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのである。

15そして、彼がすべての人のために死んだのは、生きている者がもはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえったかたのために、生きるためである。

16それだから、わたしたちは今後、だれをも肉によって知ることはすまい。かつてはキリストを肉によって知っていたとしても、今はもうそのような知り方をすまい。

17だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。

18しかし、すべてこれらの事は、神から出ている。神はキリストによって、わたしたちをご自分に和解させ、かつ和解の務をわたしたちに授けて下さった。

19すなわち、神はキリストにおいて世をご自分に和解させ、その罪過の責任をこれに負わせることをしないで、わたしたちに和解の福音をゆだねられたのである。

20神がわたしたちをとおして勧めをなさるのであるから、わたしたちはキリストの使者なのである。そこで、キリストに代って願う、神の和解を受けなさい。

21神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである。

鍵となる聖句

7節
わたしたちは、見えるものによらないで、信仰によって歩いているのである。

パウロは信仰の生活を要約します。私たちは見えるところによってではなく、信仰によって歩んでいます。この章の希望は、まだ見えていることではなく、神の約束にあります。

10節
なぜなら、わたしたちは皆、キリストのさばきの座の前にあらわれ、善であれ悪であれ、自分の行ったことに応じて、それぞれ報いを受けねばならないからである。

すべての信者は、善であれ悪であれ、行ったことに応じて報いを受けるために、キリストのさばきの座の前に現れます。多くの人はそれを、キリストにある者にとっての断罪ではなく、真実の時と見ています。

17節
だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。

キリストにある者は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去り、すべてが新しくなりました。この節は、努力に先立って受ける身分について語っています。

18-20節
しかし、すべてこれらの事は、神から出ている。神はキリストによって、わたしたちをご自分に和解させ、かつ和解の務をわたしたちに授けて下さった。 すなわち、神はキリストにおいて世をご自分に和解させ、その罪過の責任をこれに負わせることをしないで、わたしたちに和解の福音をゆだねられたのである。 神がわたしたちをとおして勧めをなさるのであるから、わたしたちはキリストの使者なのである。そこで、キリストに代って願う、神の和解を受けなさい。

神はキリストによって世を御自分と和解させ、そのメッセージを子どもたちにゆだねられました。大使という言葉は、他の方の名によって、与えられた任務を持って語ることを示します。

21節
神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである。

十字架を要約する節です。罪を知らない方が私たちのために罪とされたのは、私たちがこの方にあって神の義となるためです。和解の土台です。

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説教が語っていること

死から命へ ― キリストにあって回復されるあなたのアイデンティティアドリアンは、十一年間身分のなかった一人の男性の話から、私たちは自分の身分を何に根ざしているのかと問います。身分は受けるものであり、イエスによって可能になった死からいのちへの移り変わりから生まれると示します。要約を読む →キリストにある新しい被造物の肖像ジェリー・イェブエ・クアメは、復活祭からペンテコステの間に、新しい契約から生まれた新しく造られた者の肖像を描き、だれもが自分の人生の中にそれを見分けられるようにします。要約を読む →和解への一歩を踏み出したのは神様でしたステファン・ギエは、コリント人への手紙第二5章11節から21節を読みます。普通は加害者が赦しを求めますが、ここでは被害を受けた神がすべての一歩を踏み出されました。この和解が私たちを大使にします。要約を読む →キリストの大使 ― あなたの大使館はどこにあるかタバナクル教会は、使命を重荷ではなく信頼のしるしとして示します。遣わされるとは、神を深く知ることになる務めを神から受けることです。要約を読む →携挙のあと、天であなたを待っているものジャン・クロード・ヴィラは、終わりの時についての特定の読み方を示しますが、他のキリスト者はそれを共有していません。天で起こる三つの出来事、その中にキリストのさばきの座を挙げ、何よりも、あなたは備えができているかと問います。要約を読む →

コリント人への第二の手紙5章についてよくある質問

コリント人への手紙第二5章17節はどういう意味ですか。

この節は、だれでもキリストにあるなら、新しく造られた者であり、古いものは過ぎ去り、すべてが新しくなったと語ります。信じる人の生活に、神ご自身がもたらす実際の変化があることを語っています。パウロは、すべてがすでに完成したとは言わず、出発点が新しいと言っています。

キリストの大使であるとは、どういうことですか。

大使は国を代表して、その名で語ります。パウロは、神が私たちを通して勧めており、私たちはキリストに代わって願う、神と和解させていただきなさいと言います。これはすべての信者に託された使命です。

コリント人への手紙第二5章10節のキリストのさばきの座とは何ですか。

パウロは、私たちはみなキリストのさばきの座の前に現れ、善であれ悪であれ、行ったことに応じて報いを受けると書いています。キリスト者の理解はさまざまです。多くの人は、救いはキリストにあるという問題とは別の、信者の行いの評価だと見ています。

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