あなたの終わりはどうなる? それは今日から築かれている

読了時間 11分

はじめに

「あなたの終わりはどのようなものになるでしょうか」。2026年10月13日の礼拝で、サミュエル・ペーターシュミット(Samuel Peterschmitt)は、La Porte Ouverte Chrétienneに集まった会衆にこう問いかけました。会場にはベルギー、ハンガリー、そしてフランス各地から来た多くの牧師たちもいました。彼は、隣の人にもこの問いを尋ねてみるよう促しました。簡単には答えられない問いです。「自分の終わりがどうなるかを知っている者は、よほど賢い人です」。

けれども説教者は、終わりが来る前にこの問いに答えることができると信じています。すべては、これまで自分の人生をどのように築いてきたかにかかっているからです。聖書に登場する何人もの人物の最期を通して、人は肉に従って生きるか、御霊に従って生きるかのどちらかであり、それは道の終わりに表れると語ります。

彼の呼びかけはシンプルです。目的をもって生き、新しく造られた者として生き、聖霊に満たされて「最後まで燃え続ける」ことです。

メッセージの流れ

1. 終わりは避けられない運命ではない

  • 伝道者の書にはこうあります。「事の終りはその始めにまさり、忍耐強い心は、誇る心にまさる」(伝道者の書7章8節)。病気や次々と起こる問題の中にいるときは、早く終わってほしいと願います。一方で、家族の祝いの席のように、いつまでも続いてほしい時間もあります。
  • 何かの終わりは、いつも新しい何かの始まりでもあります。人生の終わりでさえ、それ自体が悲劇ではありません。栄光に満ちた終わりもあるのです。
  • 終わりは総決算のときです。一日の終わり、一週間の終わり、一年の終わりに、私たちは振り返ります。結果は、私たちがしてきたことすべての総和です。
  • 「終わりは避けられない運命ではありません」。ただし、自分の行いや人生の進む方向、人生の築き方に目的をもっていなければ、運命のようになってしまいます。

2. パウロは自分の人生を足し算する

  • 自分の終わりが近いと感じたとき、パウロは足し算をするように振り返ります。「わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りぬきました」。そして線を引き、答えを出します。「今や、義の冠がわたしを待っているばかりです」(第二テモテ4章7-8節)。
  • パウロは、私たちのほとんどが経験しないような試練を通りました。それでも、状況に流されるだけではありませんでした。「多くの信者は、人生を耐え忍んではいても、人生を生きてはいません」。
  • 「今日どう生きるかが、あなたの終わりを決めます」。これは、個人の生活にも、夫婦にも、家族にも、そして教会をどう導くかという牧師たちにも当てはまります。
  • ヘブル人への手紙13章7節は、指導者たちのことを思い出し、その生活の最後を見るように勧めています。「見る」とは、吟味して評価し、そこから教訓を得ることです。
  • 「終わりは、生涯を通じて語ってきたどんな言葉よりも雄弁に語ることがよくあります」。サミュエル・ペーターシュミットは、霊的な指導者の一人だった父親の最期を思い出します。家族でともに過ごしたその最期は、神の臨在に満ちていて、まるで「別の次元」にいるかのようだったそうです。

3. コラ、サムソン、ユダ:肉に従って築かれた終わり

  • コラは、ダタンとアビラムとともに会衆をモーセとアロンに逆らわせます。大地が口を開いて彼らを飲み込み、彼らは生きたまま陰府に下りました(民数記16章19-33節)。
  • コラは多くのことを見てきました。エジプトの災い、守られたゴシェンの地、開かれた海。彼はレビ人で、幕屋で仕えていました。問題は妬み、高ぶり、嫉妬でした。彼は目にした神の栄光を通して、自分自身に栄光を帰そうとしたのです。「地面が裂けるとは、なんという最期でしょう」。
  • 私たちの終わりは、まず内側で築かれます。私たちの考え方、ときには隠れた動機が、いつか表に現れてきます。
  • サムソンには、使命と油注ぎ、そして神から与えられた力がありました。彼はその力を自分の欲望を満たすために使いました。その最期は、目をえぐられた奴隷として臼をひき、偶像の神殿の下で死ぬことでした(士師記16章21-30節)。「彼の終わりは、生涯を通じて決まっていきました」。
  • ユダはイエスの教えを受け、中風の人が立ち上がり、盲人が見えるようになるのを見ました。「師のそばにいながら、心の中では師から遠く離れていました」。お金への愛だったのか、政治的な野心だったのか、それは問題ではありません。彼の心は正しい場所にありませんでした。マタイによる福音書27章5節使徒行伝1章16-18節に記されています。
  • 三人とも、動機は肉でした。「教会にいても、毎週日曜日に福音を聞いていても[…]遠く離れていることがあります」。

4. アブラハム、モーセ、ヨブ、カレブ:証しとなる終わり

  • アブラハムは「高齢に達し、老人となり、年が満ちて息が絶え、死んでその民に加えられた」のです(創世記25章8節)。彼の人生は平坦ではなく、妻を妹だと偽った半分の真実もありました。それでも彼は、自分のために神を求めたことは一度もなく、神ご自身のゆえに神に従いました。
  • モーセの場合は、主ご自身が彼を葬られます(申命記34章5-6節)。説教者は笑顔でこう言います。「葬儀社を選べるなら、本当にこの方にお願いしたいものです」。「少し傷だらけ」の人生でしたが、「神は曲がった線でもまっすぐに書かれます」。
  • モーセは、肉的な利益も人気も求めませんでした。ファラオの娘の子と呼ばれることを拒んだのです(ヘブル人への手紙11章24-26節)。正しい理由で神に仕えた人です。「主よ、成功をください。主よ、祝福してください」としか祈らない人たちとは正反対です。
  • 主はヨブの後の半生を、前の半生よりも祝福されました。そしてヨブは「年老い、日満ちて死んだ」のです(ヨブ記42章12-17節)。日に満ち足りるとは、よい食事を終えたときのようなものです。どんなご馳走ももう欲しくならず、ただ「家に帰りたい」とだけ思います。説教者の父親も、日に満ち足りて、最後にこう言いました。「私が残るようには祈らないでください。もう家に帰ります」。
  • 「終わりはスーパーマーケットのようなものです。カートにたくさんの物を入れることはできますが、いつかはレジに行かなければなりません」。
  • イエスの最期は、人間の目には悲惨ですが、栄光に満ちています。百卒長は「ほんとうに、この人は神の子であった」と告白します(マルコによる福音書15章39節)。ヨハネはパトモス島の囚人でありながら、啓示を受けます(ヨハネの黙示録1章9-10節)。カレブは85歳になってもなお、あの山地を求めました(ヨシュア記14章10-12節)。

5. 聖さとは、新しく造られた者として生きること

  • この人々は皆、目的をもって生きました。ある者は肉のために、ある者は御霊のために。「偶然降りかかってくるものではありません」。神はあなたを祝福されますが、それにはあなたの意志が必要です。
  • パウロは書いています。肉にある者は神を喜ばせることができません。しかし、御霊によって体の行いを殺すなら、あなたがたは生きます。神の御霊に導かれる者は、神の子だからです(ローマ人への手紙8章8-14節)。
  • 十字架で、あなたは新しく造られた者になりました。「古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのだ」(コリント人への第二の手紙5章17節)。神はパウロを遣わして、人々を暗闇から光へと立ち返らせました(使徒行伝26章18節)。そこには、以前と以後があります。
  • 聖さとは、よりよい人になろうと努力することではありません。「それは改良ではありません」。新しい命に従って今を生きることです。以前は暗闇の中に生き、暗闇に従って行動していました。今は光の中に生き、光に従って行動します。
  • 説教者はよくこう祈ります。「主よ、新しいサミュエルを優先させてください」。多くのクリスチャンは、自分が新しく造られた者であることを理解していないために、罪責感の中で生き、何度も倒れてしまいます。

6. 最後まで聖霊に満たされて

  • 自分の力だけでは、自分と戦い、すり減り、疲れ果ててしまいます。サミュエル・ペーターシュミットはユーモアを交えて語ります。妻を変えようとしたことがあり、サーカスの出口で出会った虎使いにさえ、あきらめなさいと言われたそうです。他人を変えることはできませんし、自分自身を変えることもできません。聖霊が必要なのです。
  • これは使徒たちの関心事でもありました。サマリアでは、信者たちが聖霊を受けるように、使徒たちが手を置いて祈ります(使徒行伝8章14-17節)。エペソでは、パウロがまずこう尋ねます。「あなたがたは信仰にはいった時に、聖霊を受けたか」(使徒行伝19章2節)。
  • 礼拝の帰りに尋ねるべき問いは、「音楽は素晴らしかったですか」ではなく、「あなたは聖霊に満たされていますか」です。
  • 多くのクリスチャンは「ただ生き延びようとしているだけで、頭が水面に出たまま人生を終えられれば満足しています」。それは目標ではありません。「主に任せましょう。働いていただきましょう。聖霊に満たしていただけば、最後まで燃え続けることができます」。
  • 友人のラインハルト・ボンケはこう言っていました。「クリスチャンは飛行機のようであるべきです。滑走路の終わりで、飛び立つための力が最大になるのですから」。
  • 説教者の父親は、どこでもイエスのことを語りました。94歳のとき、森で出会った女性に創造主について語り、その人は主に人生をささげ、バプテスマを受けました。入院中の89歳の兄弟は、「宣教の働き」ができなくなったことを悲しんでいました。それは、毎日ヒッチハイクをして、乗せてくれた人たちにイエスのことを話すことでした。

7. 散らされても消えることのない教会

  • ステパノの死後、エルサレムで大きな迫害が起こり、使徒たち以外の全員が散らされます。「さて、散らされた人々は、御言を宣べ伝えながら、巡り歩いた」(使徒行伝8章1-4節)。
  • 彼らが「私たちはなんて哀れなのだろう」と言う姿は見られません。「悪魔が犯しうる最大の過ちは、聖霊に満たされた人々の教会を終わらせようとすることです。彼らを散らすことで、福音をあらゆる場所に広めてしまうからです」。終わらせようとして、かえって増やしてしまうのです。
  • 説教者は、10歳のころから知っていたラインハルト・ボンケの最期を語ります。彼の話によれば、数多くの奇跡を見てきたこの人は、がんを患い、治療で痩せて衰弱しながらも、亡くなるまで毎日ソーシャルメディアで福音を語り続けました。「たとい、わたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく」(コリント人への第二の手紙4章16節)。
  • メッセージは献身の呼びかけで終わります。御霊の命に立ち返り、パウロのように「わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りぬきました」と言えるようになることです。最後の祈りではこう語られました。「私たちは栄光のうちに終わります。栄光の中に生きることを選んだからです」。

覚えておきたいポイント

  • 終わりは避けられない運命ではありません。毎日何を築いているかの総決算です。
  • 終わりは、その人がどんな人だったかを明らかにします。コラやユダのように神の近くにいても、肉に従って生きることはあります。
  • よい終わりを迎える人は、神が与えてくださるものではなく、神ご自身のゆえに神に仕えた人です。
  • 聖さとは自己改良ではありません。キリストにあって新しく造られた者として生きることです。
  • 最後まで燃え続けられるのは聖霊によってだけです。そして聖霊に満たされた教会は、散らされようとしても福音を広めます。

個人への適用

  1. 今日、人生の総決算をするとしたら、足し算の線の下にどんな答えが出るでしょうか。
  2. どの分野で、人生を目的をもって生きるのではなく、ただ耐え忍んでいるでしょうか。
  3. コラの妬みやユダの野心のように、どんな隠れた動機があなたの終わりを内側で築いているでしょうか。
  4. 自分の力でよりよい人になろうとしていませんか。それとも、神があなたを造り変えてくださった新しい人として生きていますか。
  5. 礼拝の帰りに誰かから「あなたは聖霊に満たされていますか」と聞かれたら、何と答えますか。

引用された聖書箇所

よくある質問

自分の終わりがどうなるか、知ることはできますか。

サミュエル・ペーターシュミットによれば、できます。終わりは避けられない運命ではなく、これまで築いてきたものの総決算だからです。第二テモテ4章7-8節で自分の人生を足し算したパウロのように、私たちも今日の生き方によって、自分の終わりを備えています。それは個人の生活、夫婦、家族、そして教会においても同じです。

なぜ聖書は特定の人物の最期を記しているのですか。

最期は、その人がどんな人だったかを明らかにするからです。ヘブル人への手紙13章7節は、指導者たちの生活の最後を見るよう勧めています。コラ、サムソン、ユダは、神の近くにいながら肉に従って生きました。アブラハム、モーセ、ヨブ、カレブは神ご自身のために生き、その最期がそれを証ししています。

このメッセージによれば、聖さとは何ですか。

聖さとは、よりよい人になろうとする努力ではありません。キリストにあって新しく造られた者として、今を生きることです(コリント人への第二の手紙5章17節)。自分の力だけでは疲れ果ててしまいます。最後まで御霊に従って生きるには、聖霊に満たされることが必要です。

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