真理は敬虔に至る:テトス1章1-4節に学ぶ

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はじめに

この学びは、パウロのテトスへの手紙を扱う小さなシリーズの始まりです。三章からなる短い手紙で、パウロの他の大きな書簡ほどには知られていません。まず手紙全体への一般的な導入を行い、その後、最初の四節、すなわち序文だけに立ち止まります。この数行の中で、パウロは自己紹介をし、自分の働きの意味を説明し、テトスに挨拶を送っています。単なる形式的な挨拶ではありません。パウロはすでにこの挨拶の中に、手紙全体の色調を告げる神学的な深みを織り込んでいます。

メッセージの概要

1. テトスへの手紙への導入

  • 「牧会書簡」と呼ばれる三通の手紙(テモテへの第一の手紙、テモテへの第二の手紙、テトスへの手紙)の一つです。まず牧師に宛てられた手紙ですが、共同体全体にも読まれることを意図しています(結びの挨拶「恵みがあなたがたと共にあるように」は複数形です)。
  • 著者はパウロです。現代の一部の専門家はこれを疑問視しています(語彙の違い、より落ち着いた語調、使徒言行録の中に位置づけにくい年代記など)。しかし、これらの論拠はどれも本当に説得力があるわけではありません。編集を担った書記の存在、個人的な文脈、より後年の働きといった要素で十分に説明でき、神学的にもパウロの路線にしっかりと沿っています。
  • 推定執筆年代:紀元63〜64年頃、パウロの最初のローマ捕囚(60〜62年)の後です。テモテへの第一の手紙とテトスへの手紙は、ほぼ同じ時期に書かれたと見られています。
  • テトスとは誰か。パウロのギリシア人協力者で、新約聖書の中に12回言及されています。パウロとバルナバと共にエルサレムにいた(ガラテヤ書2章)、コリントの対立を鎮めるための使者として派遣された(コリントの信徒への第二の手紙)、パウロから「わたしの真実の子」と呼ばれています。
  • 執筆の背景:パウロはクレタ島で福音を宣べ伝え、新しい信者たちを教え、教会を組織するためにテトスをそこに残しました。テトスの働きは「有期契約」のようなもので、パウロが後任者を送り次第、テトスはニコポリスでパウロに合流することになっていました。

2. 序文(テトス1.1-4)の構造

  • 1節前半、著者の自己紹介:「神の僕、イエス・キリストの使徒パウロ」。
  • 1節後半〜3節 · パウロの働きの目的:神に選ばれた者たちを信仰と真理の完全な知識へと導き、永遠の命の希望へと導くこと。
  • 4節 · テトスへの挨拶:「わたしたちの共通の信仰による真実の子テトスへ」、そして「父なる神とわたしたちの救い主イエス・キリストから恵みと平安があなたにあるように」という祝福。

3. パウロの働きを構成する要素

  • パウロは自分自身のメッセージを宣べ伝えているのではありません。それは神から来るメッセージであり、パウロはその仲介者にすぎません。このことは、パウロの働きとテトスの働きの両方に価値を与えます。二人とも、神が選んだ者たちを召し出すための神の道具なのです。
  • パウロは自分自身を伝道者(信仰へと導く者)であると同時に牧者(敬虔に沿った真理の完全な知識へと導く者)と見なしています。今日、私たちはこの二つの働きをあまりにしばしば分けてしまいますが、救う福音と成長させる福音は同じものです。
  • 選びについて:誰が選ばれているかを決めるのは、パウロの役割でも私たちの役割でもありません。聖書は選びを強く肯定していますが、それは人間の責任も、救いの申し出の誠実さも打ち消すものではありません。主イエスを信じる者はみな救われます。これは確かな約束であり、そこに罠はありません。
  • 誰もこの救いに値する者はいません。これは恵みの問題です。この側面が気に入らないからといって否定してもいけませんし、逆にこれにあまりにも取りつかれて、これが神の秘められた計画に属することを忘れてもいけません。

4. 「敬虔に沿った真理」

  • パウロにとって、教理(真実なことを信じること)と生き方を切り離すことはできません。新約聖書において、この二つの側面は常に共にあります。
  • 私たちが信じることは、生き方に影響を与えます。イエス・キリストの真理を知ることは、敬虔な生活を励まし、促します。これは好循環です。
  • 福音の理解を伴わない敬虔への努力は、救いにも真の敬虔にも至らず、むしろ対立、欲望、反抗に至ります(この主題は手紙の後半で再び取り上げられます)。自分自身の力で義しくあろうとしても、神の前での義には至りません。
  • 逆に、イエスのメッセージを理論的には受け入れている人々が、明白かつ悔い改めのないまま、持続的に罪に陥っていく場合、それはほとんど常に、ある時点での教理的なずれに結びつけることができます。唇では真理を告白し続けていても、真理がもはや生活の中心にないのです。

5. 原動力としての永遠の命の希望

  • パウロがこの希望を強調するのは、それが新約聖書において、特にパウロにおいて、クリスチャンの生活の強力な原動力だからです。それは世からの逃避という意味ではなく、堕落した世を超える地平を開くという意味においてです。
  • 復活したイエス・キリストを知ることは、単に日々の羅針盤を持つということではありません。永遠の神との交わりに入ることです。このように物事を見れば見るほど、現在の試練の中で耐えることができます。
  • もしあなたが、神との人生の目的を「人生で成功すること」だと考えているなら、困難が襲うたびに神に対して怒りを覚えるでしょう。もしその目的がイエス・キリストの知識において成長することだと理解しているなら、あなたにははるかに確かな忍耐の理由があります。
  • この希望は確かなものです。なぜなら神は嘘をつかれないからです。あなたは神の確かな言葉に基づいて生きることができます。

6. 「適切な時に、神は御言葉を明らかにされた」

  • 「適切な時」とは、イエス・キリストの到来のことです。これはエフェソの信徒への手紙を思い起こさせます。パウロは他の使徒たちと共に、預言者たちが受けたものよりも広範な神の計画の啓示を受け、このキリストの奥義をすべての民に宣べ伝える務めを託されました。
  • 神は、ご自分が選んだ時に、それまでは予告されるだけだった満ち満ちたものを啓示されました。パウロは、救いの歴史のこの転換点を宣べ伝える務めを託されたことを、特権であり幸いなことと感じています。
  • 最終的な成就は永遠の命において起こります。しかしキリストの御言葉が宣べ伝えられるたびに、この救いの申し出が繰り返されます。福音が宣べ伝えられるたびに、この転換点が反響するのです。ですから私たちは、福音が告げ知らされるたびに、深く感謝し、驚嘆すべきなのです。

7. テトスへの挨拶(4節)

  • 「わたしたちの共通の信仰による真実の子」:テトスの霊的な父であるパウロは、自分の協力者に対する愛情を語っています。それは、容易でない務めを託す相手を励ます一つの方法です。
  • 「わたしたちの共通の信仰」:テトスの信仰は孤立したものではなく、一つの系譜の中に位置づけられています。信仰の歩みの困難な時に、自分は一人ではないこと、自分が作り出したものを信じているのではなく、あらゆる国の男女が2000年前から信じてきたことを信じているのだと思い出すことは、大きな助けになります。
  • 「父なる神とわたしたちの救い主イエス・キリストから恵みと平安があなたにあるように」:父なる神との、そしてパウロとテトス共通の救い主であるイエス・キリストとの個人的な関係。

覚えておきたいポイント

  • パウロは厳粛な思いをもって手紙を書き始めています。自分自身の働きの意味を思い起こすことで、テトスが自分自身の務めを最大限の真剣さと神への畏れをもって受け止める備えをしています。
  • キリスト教の働きは、「伝道者」と「牧者」に人為的に分けられるものではありません。救い、また成長させる福音は同じものです。
  • 選びは神の秘められた計画に属します。安心のためにそれを否定することも、福音を聞くすべての人を神が誠実に招いておられることを忘れるほどそこに没頭することも、どちらも避けるべきです。
  • 真理と敬虔は切り離せません。従順のない教理は告発となり、福音のない従順は死をもたらす律法主義となります。
  • 永遠の命の希望は逃避ではありません。それは、神が嘘をつかれないゆえに、現在の試練の中で耐え抜く力です。

個人的な適用

  1. あなたにみことばを告げる人々を神の道具と見なしていますか、それともまずその話し方で評価していますか。
  2. あなたのクリスチャン生活は、信じていることと生き方との間の「好循環」になっていますか、それともどちらか一方が漂流するままにしていますか。
  3. 試練があなたの人生を横切るとき、最初の反応は何ですか。神に約束された成功を要求することですか、それとも復活したイエス・キリストの知識こそが真の目的であることに立ち返ることですか。
  4. 福音が告げ知らされているという、ただそれだけの事実に驚嘆できますか。あなたのもとで、あなたの周りで、世界の中で。
  5. あなたは自分の信仰を孤立したものとして生きていますか、それとも使徒たちにまでさかのぼる「共通の信仰」の中に位置づけられていることを思い起こしていますか。

引用された聖句

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よくある質問

パウロがテトスへの手紙を書いたことは確かですか。

現代の多くの専門家は、パウロによる著作であることを疑問視しています(語彙の違い、より落ち着いた語調、使徒言行録の中に位置づけにくい年代記など)。しかし、これらの論拠はどれも本当に説得力があるわけではありません。ある程度の編集の自由を持った書記の存在、共同体的というよりも個人的な文脈、使徒の高齢化、最初のローマ捕囚の後の最後の宣教旅行、これらすべてがこの違いをよく説明します。神学そのものは、恵みによる救いと律法主義への反論という強調点とともに、パウロの正統な路線に沿っています。

宿命論に陥ることなく、選びをどう理解すればよいですか。

誰が選ばれているかを決めるのは、パウロの役割でも私たちの役割でもありません。選びは神の隠された領域に属します。聖書が肯定しているのは、選びが人間の責任も救いの申し出の誠実さも打ち消さないということです。主イエスを信じる者はみな救われます。「わたしは信じているが、選ばれていないかもしれない」といった罠はありません。神の約束が確かであるからこそ、まさに救いの確信を持つことができるのです。

なぜパウロは、序文ですでに永遠の命について語っているのですか。

永遠の命の希望が、パウロにおいて、クリスチャン生活の強力な原動力だからです。それは世からの逃避という意味ではなく、堕落した世を超える地平を開くという意味です。それは私たちが経験すること、特に試練に意味を与えます。もしあなたの目的が「人生で成功すること」であれば、困難のたびに神に対して怒りを覚えるでしょう。もしあなたの目的がイエス・キリストの知識において成長することであれば、神との永遠の展望を待ちながら忍耐する確かな理由があります。この希望は確かなものです。なぜなら神は嘘をつかれないからです。

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