はじめに
光の中を歩むことと、光そのものであることの間には違いがあります。マル・ビアルタ牧師は、ヨハネによる福音書8章12節を基に、この違いを説き明かしました。「わたしは世の光である。わたしに従う者は、闇の中を歩くことがなく、命の光を持つ。」この約束は二重です。もはや闇の中を歩まないこと、そして内側に命の光を受け取ることです。ですから、キリストに従うことは信心深い人のための選択肢ではなく、信じる者自身が諸国民のためにこの光を運ぶ者となるための道なのです。
あなたはもしかすると、何年も教会に通いながら、自分の人生が形になっていくのを見られずにいるかもしれません。祈り、仕え、賛美していても、何かが行き詰まったままなのです。この説教は、あなたの心を、創世記の初めの地のように見つめることを提案します。すなわち、形なく、空しく、神の霊がその表面を動いているだけで、まだその内側には入っていない状態です。この状態に対する神の答えは、まずあなたを作り変えることではなく、光を入れることです。あとはついてきます。
エレミヤ書1章、ヨハネによる福音書8章、コリントの信徒への手紙二4章、そしてマタイによる福音書13章の種蒔きのたとえを通して、牧師はひとつの道筋を描きます。自分の預言的アイデンティティを認めること、旧約聖書の数々の予表がただの影にすぎず、キリストこそ真の光であると理解すること、そして、従うことに代償が伴うときでも、従い続ける弟子となることを受け入れることです。
説教の概要
1. あなたの預言的アイデンティティ:あなたの国について語ること
エレミヤ書1章5節からメッセージを始めます。「あなたを母の胎内に造る前から、わたしはあなたを知っていた。あなたが胎から出る前に、わたしはあなたを聖別し、諸国民の預言者として立てた。」これを自分自身のこととして受け取ってください。神は、あなたが生まれる前から、いや、身ごもられる前から、あなたを知り、聖別し、預言者として立ててくださったのです。あなたの人生は偶然の産物ではありません。
6節にはエレミヤの抵抗が示されています。「ああ、主なる神よ、わたしは語ることを知りません。わたしは若者にすぎません。」コリントの信徒への手紙一13章11節によれば、子どもを子どもたらしめるのは、その話し方、考え方、判断の仕方です。自分の状況について子どものように語り続けている限り、その状況は動きません。預言者は語ります。牧師は会衆に、この国について、家族について、同僚について、みことばを宣言するよう招きます。
2. 従うことによる五つの恵み
キリストに従うことは、飾りではありません。牧師は、従う者に与えられる五つの聖書的な保証を挙げます。
- 神の臨在。 マタイによる福音書28章19〜20節。「行って、すべての国の人々を弟子にしなさい……わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
- 御国の奥義を理解すること。 マルコによる福音書4章34節。「たとえによらないでは何もお話しにならなかったが、ご自分の弟子たちには、ひそかにすべてを説明された。」神は、とどまり続ける者たちのために、ある種の説明を取っておかれるのです。
- 祈りが聞かれること。 ヨハネによる福音書15章7節。「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にとどまっているなら、何でも望むものを求めなさい。そうすれば、かなえられる。」従うことはまた、聞かれた祈りを受け取るだけでなく、それを保ち続けるための伴走をもたらしてくれます。
- 主のそばの場所。 ヨハネによる福音書12章26節。「わたしに仕えようとする者は、わたしに従いなさい。そして、わたしのいる所に、わたしに仕える者もいることになる。」
- ひとりでは勝ち取れない戦い。 牧師は自分の妻の話でこれを説明します。仕事上の強いプレッシャーのために辞職しかけていた妻は、本人も気づかないうちに牧師たちのもとを訪れていました。同じ年、彼女は会社のCEOの署名入りの表彰を受け取ります。従うということは、ひとりでは決して得られなかったであろう恵みにあずかることなのです。
3. キリスト、真の光:影ではなく
ヨハネによる福音書8章12節を語られたのは、荒野の旅を記念する仮庵の祭り(スコット)の期間中、神殿の境内でのことでした。その庭には、イスラエルを導いた火の柱を思い起こさせるための、二つの大きな燭台が灯されていました。その燭台を前にして、イエスはこう宣言されました。「わたしは世の光である。」言い換えれば、「荒野であなたがたを導いた火の柱、それはすでにわたしだった」ということです。この燭台はただの影にすぎません。実体は、今あなたがたの目の前にあるのです。
多くのクリスチャンは、自分だけの「スコット」にとどまり続けています。過去の体験、古い霊的な思い出、十五年前にうまくいったことです。彼らは従う代わりに、記念し続けているのです。神がこれから先に備えておられるものは、あなたがすでに経験したものをはるかに超えています。イザヤ書42章6節のメシア預言は、諸国民の光を告げていました。ヨハネによる福音書8章58節で、イエスはさらにこう言われます。「アブラハムが生まれる前から、わたしはある。」イエスは時間に縛られていません。イエスは永遠の「わたしはある」なのです。
4. 光は闇のただ中から輝く
コリントの信徒への手紙二4章5〜6節で、パウロは、あなたの解放についての考え方を揺さぶる原理を語っています。「『闇の中から光が輝き出よ』と言われた神は、わたしたちの心の中に輝いて、……光を与えてくださいました。」光は外側から闇を追い払いにやって来るのではありません。光は、闇のまさにただ中から湧き上がってくるのです。
これが具体的に意味することはこうです。あなたの人生の困難な領域はすべて、そこから立ち去るための理由ではないということです。状況が暗くなったとき、あなたの最初の反応は、逃げることです。仕事を辞める、関係を断つ、教会を離れる、国を出る。しかし神は、まさにあなたが今いるその場所に、光を昇らせようと決めておられるかもしれません。太陽の光が地球に届くまでに8分30秒かかるのと同じです。もし一分後にあなたがそこを離れてしまえば、光は届いても、あなたはもうそこにいません。祈りにおける忍耐とは、光があなたに追いつくまで、十分に長くとどまり続けることなのです。
5. あなたの心、初めの地
初めに、地には三つの特徴がありました。形がなく、空しく、そして神の霊が水の面を動いていたということです。水の「面」であって、その奥深くではありません。マタイによる福音書13章の種蒔きのたとえは、人間の心の中に、この同じ状態を描き出しています。踏み固められた道端、浅い岩地、みことばを覆いふさぐ茨です。
この形なく空しい地を前にして、神は「形を持て」とも、「満たされよ」とも、「御霊を奥深くまで入らせよ」とも言われません。神が言われることはただひとつ、「光あれ」です。なぜなら、神は光のない場所では働かれないからです。あなたが密かに隠しているものを光のもとに出しなさい。そうすれば、あとはついてきます。形、中身、御霊の深さ、そのすべては、あなたが入らせた光から流れ出てくるのです。
覚えておきたいポイント
- あなたの口があなたの状況を左右します。 預言者は諸国民について語ります。あなたが自分の小ささを告白し続けている限り、その状況は小さいままです。
- 従うことは恵みを増し加えるものです。 臨在、啓示、祈りの答え、守り。これらの五つの保証は、とどまり続ける弟子としての姿勢にかかっています。
- キリストこそ実体であり、影ではありません。 過去の霊的な体験は、たとえそれが本物であったとしても、神が今日あなたに与えたいと願っておられるものの予表にすぎません。自分のスコットに腰を据えてはいけません。
- 闇から早まって逃げてはいけません。 神は、闇のまさにただ中から光を輝かせると約束されました。その光が届くまで、祈りの中で忍耐し続けましょう。
- あなたの心を光のもとに出しなさい。 あらかじめ自分を作り変える必要はありません。隠されているものをさらけ出しなさい。あとは神がなさいます。
個人へのあてはめ
主とともに静まる時を取り、これらの問いにあなたの心を働かせてもらいましょう。
- どのような状況について、あなたは今も「子どものように」、つまり神のみことばではなく自分の弱さを告白し続けていますか。
- あなたは、神が今与えたいと願っておられるものを受け取れなくなるほど、過去の霊的な体験に執着していませんか。
- 仕事、人間関係、教会など、神があなたをそこに置いて光を輝かせようとしておられるのに、あなたが逃げ出したくなっている場所はありませんか。
- あなたの人生のどの領域が、これまで一度も光のもとに出されたことがありませんか。牧者にそれを話すことを妨げているものは何ですか。
- 牧師が描いた三つの状態(形なく空しい、膨らんではいるが表面的、高く上っていく弟子)のうち、今のあなたの歩みを正直に言い表しているのはどれですか。
引用された聖句
- エレミヤ書1章5〜6節・誕生前の預言的な聖別
- コリントの信徒への手紙一13章11節・子どものように語り、考え、判断すること
- マタイによる福音書28章19〜20節・大宣教命令と臨在の約束
- マルコによる福音書4章34節・弟子だけに与えられる説明
- ヨハネによる福音書15章7節・キリストにとどまり、祈りが聞かれること
- ヨハネによる福音書12章26節・仕え、従い、キリストのいる所にいること
- ヨハネによる福音書8章12節・世の光であるキリスト(中心聖句)
- ヨハネによる福音書8章58節・「アブラハムが生まれる前から、わたしはある」
- イザヤ書42章6節・諸国民の光
- ローマの信徒への手紙8章28節・神を愛する者たちのためにすべてが益となる
- コリントの信徒への手紙二4章5〜6節・光は闇のただ中から輝く
- 創世記1章2〜3節・形なく空しい地、「光あれ」
- マタイによる福音書13章・四種類の地のたとえ
- 箴言28章13節・自分の背きを隠す者は栄えない
よくある質問
この説教によれば、「キリストに従う」とは具体的に何を意味しますか。
従うとは、単に信じることや教会に通うことではありません。それは、説明を受け取り、聞かれた祈りを保ち続け、牧者の戦いから恵みを受け取る、弟子としての関係の中に身を置くことです。牧師は「従うこと」を「表面にとどまること」と対比させます。親密さを持たずに教会に来るだけでは、山あり谷ありの浮き沈みの激しいクリスチャン生活を生み出してしまいます。従うことには、あなたが知られ、正され、寄り添われる霊的な家族への関わりが伴います。
なぜイエスはまさにこの瞬間に「わたしは世の光である」と言われたのですか。
イエスがこう語られたのは、荒野の旅を記念する仮庵の祭り(スコット)の期間中、神殿の境内でのことでした。夜にイスラエルを導いた火の柱を思い起こさせるため、二つの大きな燭台が庭に立てられていました。イエスはその燭台を前にして、それらはただの影にすぎず、自分こそがその実体であると宣言し、ヨハネによる福音書8章58節でこう断言されます。「アブラハムが生まれる前から、わたしはある。」イエスは、永遠の「わたしはある」、創世記における最初の光として、ご自身を示されたのです。
「光は闇のただ中から輝く」を、どのように実生活に適用すればよいですか。
コリントの信徒への手紙二4章6節の原理は、困難な状況から自動的に逃げ出さないようにあなたを招いています。状況が暗くなったとき、あなたの最初の反応はしばしば、立ち去ることです。仕事を辞める、関係を断つ、教会を離れる。しかし神は、まさにあなたが今いるその場所から、光を湧き上がらせようと決めておられるかもしれません。太陽の光が地球に届くまでに8分30秒かかるように、その光が届くまで、十分に長く祈りの中にとどまってください。忍耐し、隠されているものをさらけ出し、あなたの夜のただ中で、神に光を昇らせていただきましょう。
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