イザヤ書40章:主だけがあなたの望みである理由

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はじめに

年の終わりです。過ぎ去った月日を振り返ると、喜びもあれば悲しみもあり、実を結んだ計画もあれば途中で崩れてしまった計画もあります。そして、もう新しい年が何をもたらすのかと考え始めていることでしょう。なかなか授からない子ども、長引く病、思っていたより長くなった独身生活、不安定な仕事、揺らぐ信仰。これらすべての奥底には、一つの問いがあります。私は何に、誰に望みを置いているのか、という問いです。

これはまさに、イザヤがこの言葉を語ったときのイスラエルの民の状態でした。分裂し、支配され、捕囚となった民です。2025年を締めくくるためにモメンタム教会で語られたこのメッセージの中で、イザヤ書40章12節から31節を開き、時代を超えた招きを語ります。「神の民よ、主こそがあなたの唯一の望みである。」この招きには二つの理由があります。主を礼拝すべき理由は数え切れないほどあり、そしてあなたが思い煩う理由は何一つない、ということです。

メッセージの構成

1. イスラエルの状況:望みが尽きかけた民

  • 主はアブラハムに約束をされました(創世記12章)。彼の子孫は祝福された国民となり、全世界を祝福する存在になる、という約束です。
  • しかしイスラエルは従わず、逆らい続け、近隣の国々の偶像に信頼を置いてしまいました。それゆえ神は、異邦の国々に彼らを支配させることをお許しになりました。
  • イザヤが預言したとき、民はすでに二つに分かれていました。北王国はアッシリアに押しつぶされ、南王国ユダは首都エルサレムを擁していましたが、後にバビロンへ連れ去られることになります。
  • イスラエルは打ち砕かれ、恐れの重みの下で、望みを見失いかけていました。しかし神は御自身の民を忘れてはいませんでした。イザヤ書40章から66章は、大いなる慰めの歌です。神は慰め、建て直し、立ち上がらせようとしておられます。
  • そしてこの箇所の中心に、厳かな招きがあります。「神の民よ、主こそがあなたの唯一の望みである。」

2. 主を礼拝すべき数え切れない理由(12〜26節)

アルメルはこんなイメージを提案します。VRゴーグルをかけて、神が示してくださる現実の中を歩いてみてください、と。神はご自分の偉大さを、あなたの心の座を奪おうとする四つの競争相手、すなわち自然、科学、諸国民、偶像と比較して示してくださいます。

自然

  • 「自然はよくできている」とよく耳にします。私たちは波や太陽、生き物の精巧さに感嘆し、ついには被造物そのものを神格化してしまいます。
  • しかし、だれが水を手のひらで量ったのでしょうか。だれが山々をはかりにかけたのでしょうか。エベレストは高さ約9キロメートルもあり、人間を魅了してやみません。けれども神の目には、それは御手のひらの中に収まるものにすぎません。
  • 自然に望みを置くことは、造られたものを礼拝することです。それを造られた方に望みを置くこと、それはまったく別の確かさです。

科学

  • 一秒で地球の裏側にメッセージを送ること。遠隔で患者を手術すること。私たちはこうした進歩に魅了される理由を十分に持っています。
  • しかし、地球と太陽の間の正しい距離を定めることを、だれが神に教えたのでしょうか。片方が燃え尽きず、もう片方が生命に必要なだけの光を受け取れるように。
  • フェイスブックやインスタグラム、現代医学を生み出した人間の知性は、どこから来たのでしょうか。それはすべての知性の創造主から来ています。神が科学を支配しておられるのは、神がその源だからです。

諸国民

  • イザヤの時代には、バビロン、アッシリア、エジプト、ローマ、そしてかの有名なレバノン杉。永遠に続くかに見えた大国です。
  • 今日で言えば、中国、ロシア、アメリカ、日本といった巨大な存在に、私たちはつい賭けたくなります。
  • ローマの何が残っているでしょうか。廃墟だけです。今日のアメリカに匹敵する超大国だった古代エジプトの何が残っているでしょうか。ピラミッドだけです。「風に舞う細かな塵」にすぎません。
  • 詩篇2篇ははっきりと語っています。地の王たちは神に逆らって立ち上がるが、天に座す方は彼らを笑われる、と。政府に最終的な信頼を置くことは、失望を保証されているようなものです。彼らは人間であり、右であれ左であれ、いずれ過ぎ去っていきます。

偶像

  • 偶像とは、人が自分の信仰を託すあらゆる人為的な表象のことです。それは人間が自分で神を作り上げ、それが長く続くことを願う姿です。
  • アルメルは、タイのアユタヤ、かつてのシャム王国の首都を訪れたときのことを語ります。そこで彼が見たのは「ルアンポートー」と呼ばれる、高さ19メートルの巨大な仏像で、全身が金で覆われていました。「船乗りたちの守り神」と呼ばれ、この商業都市を守るとされていました。
  • その町は何度も破壊されました。像も壊れては再建されました。アユタヤはやがてその地位を失い、バンコクに取って代わられました。「守り神」は何一つ守ることができなかったのです。
  • 「あなたがたは神をだれと比べようとするのか。」どんな職人にも、神を表現できるだけの知恵はありません。どんな材料も、時の流れに耐えて神をふさわしく表せるものはありません。ただ神だけが、御言葉を守り通されます。ただ神だけが、とこしえに立ち続けられます。

3. 思い煩う理由は何一つない(27〜31節)

  • 27節。「ヤコブよ、なぜあなたは言うのか。イスラエルよ、なぜあなたは語るのか。『私の道は主に隠されている。私の訴えは私の神に顧みられない』と。」
  • 言い換えれば、これまで見てきたすべてのことを踏まえてもなお、神があなたを忘れてしまったと考えさせるものが、あなたの心の中に残っているだろうか、ということです。
  • 神はご自分の民に、記憶を呼び覚ますよう求められます。神は、アブラハムに約束された方と同じ方です。エジプトでの400年の奴隷状態からイスラエルを救い出すために海を分けられた方と、同じ方です。神は変わっておられません。
  • 「とこしえの神、主は地の果てまで創造された方であり、疲れることも弱ることもなく、その英知は測り知れない。」
  • どんな抑圧も、どんな治らない病も、どんな社会的な対立も、どんな喪失も、どんな恋愛の危機も、神の御手の届かないところにはありません。神の目には、1000年も昨日のようなものです(詩篇90篇)。

4. 約束:鷲のように新しくされる

  • 31節。「主を待ち望む者は新たな力を得て、鷲のように翼を広げて上ることができる。走っても弱ることなく、歩いても疲れることがない。」
  • ここに隠れた条件があることに注意してください。この約束は、主を待ち望む者のためのものです。「私は神を信じているが、人間の知恵も信じている」「私は神を信じているが、自然の力も信じている」というような、五分五分の姿勢の人のためではありません。
  • 新しい力が与えられるのは、主だけに信頼を置く者たちです。
  • そしてこの望みは、単なる内面のものではありません。それは目に見える形で表れます。神こそが唯一礼拝にふさわしい方であると宣言し、周りの人々にも影響を与えていきます。
  • そして今日、この御言葉は、私たちに新しい命を与えるために死んでよみがえられたイエス・キリストにおいて成就しています。それは今すでに実を結ぶ命であり、来るべき新しい世界に対する確かな望みでもあります。

覚えておきたいポイント

  • あなたの望みの価値は、その望みを置く対象の価値によって決まります。自然も、科学も、諸国民も、偶像も、いつかあなたを裏切ります。ただ神だけが揺らぎません。
  • 神は、世界をどう治めるべきか教えてもらう必要のない方です。神は水を手のひらで量られました。あなたの今の問題は、その御手のひらに収まらないほど大きなものではありません。
  • 神はあなたを忘れてはいません。神の沈黙は、神の不在ではありません。あなたに対する神の記憶が弱まったことは一度もありません。
  • 鷲のように新しくされるという約束は、五分五分の信仰を持つ人のためのものではありません。それは、ただ主だけに望みを置く者たちのためのものです。
  • イエスにあって、御自分の民の未来は確かなものとされています。あなたの未来も、イエスにあって同じように確かです。

自分への適用

  • 今、自分の望みの本当の源は何でしょうか。計画、人、システム、お金、それとも主でしょうか。
  • どの部分で神に対して五分五分の姿勢を取っているでしょうか。どの具体的な点で、「もしものときのために」という逃げ道を残しているでしょうか。
  • 恐れに押しつぶされることなく新しい年を迎えるために、思い出すべき神の過去の真実な約束は何でしょうか。
  • 健康、経済、人間関係、召命など、どの「山」の前で、神がエベレストを御手のひらに収めておられることを今日思い出す必要があるでしょうか。
  • 今週、主への望みが、周りの人にとって目に見える、生きたものとなるためには、どうすればよいでしょうか。

引用された聖句

よくある質問

主に望みを置くことは、受け身になることでしょうか。

いいえ、その逆です。この箇所は、翼を広げて上る鷲や、疲れずに走り、弱ることなく歩む人々について語っています。主への望みは能動的なものです。それは宣言し、証しし、行動します。ただ、崩れ去るものに賭けることを拒むだけです。ソファに座り込んで、神がすべてを一人でしてくださるのを待つような姿勢ではありません。

一年中祈り続けても、何も変わったように見えないときはどうすればよいでしょうか。

それはまさに、27節のイスラエルの叫びと同じです。「私の道は主に隠されている」という叫びです。神の答えは新しい説教ではなく、思い出させることです。神がどのような方であるかを思い出してください。神がすでに何をしてくださったかを思い出してください。神の沈黙は、神の不在ではありません。神の英知は測り知れないので、今理解できないことも、後になって、あるいは永遠において理解できるようになります。それまでの間、神は疲れることも弱ることもありません。

具体的に、五分五分の望みからどう抜け出せばよいでしょうか。

まず、自分の逃げ道がどこにあるかを見極めることから始めましょう。神だけでは足りないかもしれないと思い、こっそり頼っている二次的な信頼はどこにありますか。銀行口座でしょうか、人でしょうか、評判でしょうか、能力でしょうか。それを名指ししてください。それを告白してください。その具体的な領域において、神ご自身があなたの唯一の望みとなってくださるよう祈り求めてください。そして、その信頼を試す具体的な一歩を、実際の従順として踏み出してください。信仰はいつも、理論の中ではなく、行動の中で育っていくものです。

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