聖書 — 口語訳 (1955)

詩篇 90

概要

詩篇90篇は、モーセの作とされる唯一の詩篇です。主よ、あなたは代々にわたって私たちの住みかです、という告白で始まり、神は永遠から永遠にいます方であると語ります。神の前では、人の命は朝に生えて夕べにしぼむ草のようにはかないものです。モーセは罪の重さと神の怒りも認め、そして祈ります。生涯の日を正しく数えることを教え、知恵の心を得させてください。詩は、あわれみと喜び、そして神が堅くしてくださるみわざを求める祈りで結ばれます。

表題によると、詩篇90篇は神の人モーセの祈りです。モーセの作とされる唯一の詩篇で、詩篇を構成する五つの巻のうち、第四巻の冒頭に置かれています。申命記も、モーセを神の人と呼んでいます(申命記33章1節)。この詩は、共同体の嘆きと知恵の黙想が混ざり合い、神の永遠と、罪の影を負った人の命の短さを向かい合わせにします。表題は状況を何も述べていません。荒野の四十年、一つの世代が死に絶えていった日々の響きを聞き取る読者もいますが、本文はそうは語っていません。4節は、ペテロの第二の手紙3章8節に取り上げられています。今日、この詩は葬儀や新年、誕生日によく読まれます。過ぎていく時に気づき、その時を神とともに生きたいと願うときです。

この章の4つの区分

  1. 1-2節主よ、あなたは代々にわたって私たちの住みかです
  2. 3-6節人は草のように過ぎ去り、神はとこしえにいます
  3. 7-12節罪、日のはかなさ、そして知恵
  4. 13-17節あわれみと、永続するみわざを求める祈り

1主よ、あなたは世々われらのすみかで いらせられる。

2山がまだ生れず、あなたがまだ地と世界とを造られなかったとき、とこしえからとこしえまで、あなたは神でいらせられる。

3あなたは人をちりに帰らせて言われます、「人の子よ、帰れ」と。

4あなたの目の前には千年も 過ぎ去ればきのうのごとく、夜の間のひと時のようです。

5あなたは人を大水のように流れ去らせられます。彼らはひと夜の夢のごとく、あしたにもえでる青草のようです。

6あしたにもえでて、栄えるが、夕べには、しおれて枯れるのです。

7われらはあなたの怒りによって消えうせ、あなたの憤りによって滅び去るのです。

8あなたはわれらの不義をみ前におき、われらの隠れた罪をみ顔の光のなかにおかれました。

9われらのすべての日は、あなたの怒りによって過ぎ去り、われらの年の尽きるのは、ひと息のようです。

10われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。

11だれがあなたの怒りの力を知るでしょうか。だれがあなたをおそれる恐れにしたがって あなたの憤りを知るでしょうか。

12われらにおのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させてください。

13主よ、み心を変えてください。いつまでお怒りになるのですか。あなたのしもべをあわれんでください。

14あしたに、あなたのいつくしみをもって われらを飽き足らせ、世を終るまで喜び楽しませてください。

15あなたがわれらを苦しめられた多くの日と、われらが災にあった多くの年とに比べて、われらを楽しませてください。

16あなたのみわざを、あなたのしもべらに、あなたの栄光を、その子らにあらわしてください。

17われらの神、主の恵みを、われらの上にくだし、われらの手のわざを、われらの上に 栄えさせてください。われらの手のわざを栄えさせてください。

詩篇90篇を節ごとに読む

1-2節山々が生まれる前から、神はすでに私たちの住みかでした

モーセは問題からではなく、神から始めます。死や人間のもろさを語る前に、主にこう告白します。「あなたは世々われらのすみかでいらせられる」。「すみか」と訳された言葉は、避け所とも訳され、安心して住まう場所を指します。世代は去り、荒野も捕囚も過ぎましたが、神は民の家であり続けます。2節は歴史よりさらにさかのぼります。山が生まれる前、地と世界が造られる前から、とこしえからとこしえまで、神は神です。最も揺るがないものに見える山にも始まりがありますが、神にはありません。ここが詩全体の拠り所です。あなたの命は短くもろくても、変わることのない方、あなたより前の人々をすでに支えてこられた方のうちに、身を寄せることができます。

3-6節一日の草のように、はかない人の命

永遠の神の前で、人間はそのもろさをあらわにします。3節は創世記の言葉を思い出させます。あなたはちりであり、ちりに帰るのです(創世記3章19節)。4節は尺度を変えます。神にとって千年は、過ぎ去った昨日のようであり、眠っている間に過ぎる夜のひと時のようです。使徒ペテロは、この考えで神の忍耐を説明しました(ペテロの第二の手紙3章8節)。続くのは二つのたとえです。人生は夢のように過ぎ、朝に芽を出して栄える草が、夕べにはしおれて枯れるようです。これらの言葉は、気落ちさせるためのものではありません。時の主人は自分ではないという思い違いから、あなたを解き放つために真実を語っています。預言者イザヤも、神の言葉こそがとこしえに立つと語りました(イザヤ書40章8節)。

7-11節神の光の中にある、私たちの隠れた罪

モーセは、人生が短いという事実の先へ進み、もろさを罪と神の怒りに結びつけます。8節は衝撃的です。「あなたはわれらの不義をみ前におき、われらの隠れた罪をみ顔の光のなかにおかれました」。人にも自分にも隠していることを、神は見ておられます。10節は七十年、健やかなら八十年の一生を語ります。これは約束ではなく現実の描写で、最良の年月にも、ほねおりと悩みがあります。11節は、だれが本当に神を恐れているのかと問います。この箇所は、苦難のたびに特定の罪が罰せられていると言うのではなく、最初の不従順以来の人間の姿を描いています(創世記3章)。この冷静な目は、クリスチャンを十字架へ導きます。イエスが私たちの罪を負われ、キリストのうちにある者は、もはや罪に定められないのです(ローマ人への手紙8章1節)。

12節日を数えることを学び、知恵ある者となる

ここが詩の中心であり、聖書で最もよく引用される節の一つです。「われらにおのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させてください」。日を数えるとは、死の不安の中で生きることでも、寿命を計算することでもありません。時間が限られていることを現実として受け入れ、その真理に優先順位を組み替えさせることです。モーセは、数えなさいと言うだけではありません。神に教えてほしいと願っています。人は、命が短いことをすぐ忘れるからです。目指すのは知恵、つまり日々、神にしたがって生きる技です。愛すること、赦すこと、仕えること、和解を先延ばしにしないことです。あなたの日々が数えられているなら、今日、本当に時間をかけるべきことは何でしょう。いつも後回しにしていることは何でしょう。

13-15節主よ、思い直してください。朝に、あなたのいつくしみで満たしてください

調子が変わります。黙想のあとに、願いが来ます。「主よ、み心を変えてください。いつまでお怒りになるのですか」。モーセは金の子牛の出来事のあとにも、神が激しい怒りをやめて思い直してくださるように祈りました(出エジプト記32章12節)。ここで彼は当然の権利を求めているのではなく、神のしもべたちへのあわれみを求めています。14節はとても美しい祈りです。朝に、神のいつくしみで満たされることを願います。この「いつくしみ」は、民を決して見捨てない真実な愛を表す言葉です。哀歌は、神のいつくしみが朝ごとに新しくなると語ります(哀歌3章22節から23節)。15節は、苦しみの日々と同じだけの喜びの日々を、と大胆に願います。苦しみを否定せず、神が喜びを取り戻してくださると信じる、誠実な祈りです。長い試練のあとで、あなたもこの祈りを自分のものにできます。

16-17節あなたの恵みが、私たちの手のわざを堅くしてくださるように

詩は未来を見つめて結ばれます。モーセは、神のみわざがそのしもべたちに現れ、神の栄光がその子らの上にあるように願います。詩は過ぎ去った世代から始まり、これから来る世代で閉じます。信仰は受け継がれていくのです。最後の願いは、心の叫びのように二度くり返されます。「われらの手のわざを栄えさせてください」。「栄えさせる」と訳された言葉は、原語では堅く据える、確かなものにするという意味です。私たちの命は短くても、神が私たちのわざに確かさを与えてくださるなら、むなしくはありません。仕事、子どもの教育、教会での奉仕、人目につかない忠実な行いも、私たちを超えて実を結びます。パウロも言います。主にあって、あなたの労苦はむだではありません(コリント人への第一の手紙15章58節)。生涯を実り多くするのは、私たちの慌ただしさではなく、主の恵みです。

詩篇90篇の祈り方

この詩篇を祈るとき

  • 葬儀の夜、身近な人の死によって、命は短いと思い知らされるとき。
  • 新しい年の初めや誕生日に、自分の優先順位を見つめ直したいとき。
  • いつも走り回っているのに、なぜか時間を失っているように感じるとき。
  • 隠している罪の重さのために、神の前で平安を持てないとき。
  • 長い試練のあとで、神に喜びを取り戻してほしいと願うとき。
  • 新しい計画や仕事、奉仕を始める前に、それを神にゆだねたいとき。

詩篇90篇に基づく祈り

主よ、あなたは世々、私たちのすみかでした。山が生まれる前から、あなたは神であり、これからもそうです。私はもろい者です。命は夢のように過ぎ、朝に芽を出して夕べにしおれる草のようです。それを私はよく忘れます。走り回り、心配し、本当に大切なことを後回しにします。あなたは私の隠れた罪、だれにも言えない罪もご存じです。それをあなたに差し出し、十字架で負ってくださったイエスに感謝します。私に日を数えることを教え、心を知恵あるものにしてください。今日、何に時間を使うべきかを示してください。あなたが遠く感じられるとき、どうか私のもとに戻ってきてください。朝ごとにいつくしみで私を満たし、困難な日々のあとに喜びを返してください。あなたのみわざが、私の人生と、私の子どもたち、あなたが私の道に置かれた若い人たちの上に現れますように。あなたの恵みが私の上にあり、私の手のわざを堅くしてください。アーメン。

鍵となる聖句

1-2節
主よ、あなたは世々われらのすみかで いらせられる。 山がまだ生れず、あなたがまだ地と世界とを造られなかったとき、とこしえからとこしえまで、あなたは神でいらせられる。

モーセは自分の不幸ではなく、神から始めます。過ぎ去る世界の中で変わらない住みかであり、山々が生まれる前、地が造られる前から永遠におられる方です。

4節
あなたの目の前には千年も 過ぎ去ればきのうのごとく、夜の間のひと時のようです。

神にとって千年は一日のようです。このたとえは、私たちの焦りを相対化し、神の時が私たちの時と同じではないことを認めるよう招きます。

12節
われらにおのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させてください。

知恵の祈りです。私たちの日が数えられていることに気づき、不安ではなく責任をもって、賢く生きられるようにという願いです。

17節
われらの神、主の恵みを、われらの上にくだし、われらの手のわざを、われらの上に 栄えさせてください。われらの手のわざを栄えさせてください。

最後の願いは、神の恵みが私たちの上にあり、私たちの手のわざを堅くしてくださることです。大切なものは、神から来るのです。

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説教が語っていること

詩篇90篇についてよくある質問

詩篇90篇はどういう意味ですか

神の永遠と人の命のはかなさを対比した、モーセの祈りです。死と弱さに直面しても、神は代々にわたる住みかです。モーセは日を数える知恵を願い、次に神のあわれみと、人の働きの上にある神の恵みを求めます。

日を正しく数えることを教えてくださいとはどういう意味ですか

12節は、命には限りがあることに気づかせ、知恵をもって生きられるようにしてくださいと神に願っています。死を恐れて生きるのではなく、時間をよく用い、続くものを優先し、神に向かうことです。

詩篇90篇をどのように祈ればよいですか

まず1節と2節から始め、神が住みかであることを感謝します。次に12節を祈り、日々をよく用いることを教えてくださいと願います。見直したい優先事項を神にゆだねます。最後に17節で、あなたが神とともにしていることを神が堅くしてくださるよう祈って結びましょう。

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