エホバ・イルエ(2):モリヤに登れ、神は雄羊を備えられる

読了時間 1分

はじめに

助祭ジェラール・コネは、「主の山には備えがある」と題する説教の後半を、創世記22:1から18節を読むことから始めます。彼はまず、シンプルな原則を思い起こさせてくれます。聖書があるテーマを初めて取り上げるとき、聖書は「その入り口を丁寧に整える」というものです。実際、聖書全体の中で「礼拝する」という動詞が初めて登場するのは、このモリヤの山の場面なのです。つまり礼拝するとは、まず賛美を歌うことではありません。神が登れと言われるところに、神が携えて来いと言われるものを携えて登り、頂上で神が備えてくださると信じることなのです。

この説教は3つの視点で構成されています。アブラハムの試練アブラハムの信仰、そしてアブラハムの神です。もしあなたが、神があなたの「イサク」(あなたが待ち望んできたもの、あなたの約束が凝縮されたもの)を求めておられるように感じる季節を通っているなら、このメッセージはあなたのためのものです。

1. アブラハムの試練:神は認めておられる者を試される

「神はアブラハムを試された」(創世記22:1)。主は試練を与えられる神です。神が試みられない、名にふさわしいしもべはいません。御霊に満たされたイエスご自身も、試みられるために荒野に導かれました(マタイ4:1)。試験がなければ、資格証も承認もありません。試練は神の道具なのです。

ここで区別しておくべき点があります。誘惑は敵から来るものであり、あなたを滅ぼすことを目的としています。一方試練は神から来るものであり、あなたを練り上げることを目的としています。神は誰も誘惑なさいませんが(ヤコブ1:13)、ヨブに対して、そしてイエスご自身に対してもそうされたように、誘惑をあなたを試すために用いられることがあります。

アブラハムはすでに2つの大きな試練を通っていました。行き先も知らずに自分の国を離れたこと(ヘブル11:8)、そしてイサクを受け取るまで25年間待ったことです。そして今、神はまさにその約束を形にしたイサクを求めてこられます。これがクリスチャン人生の原則です。神から受け取ったものは、いつか神があなたに返すよう求められるということです。神はあなたに与え、そして「私に返しなさい」と言われます。あなたを奪うためではなく、神があなたに委ねたものを一度取り戻し、もう一度祝福してくださるまで、そこには何もないからです。

助祭はここで決定的な点を強調します。試練は最後まで通り抜けたときにのみ、その良い効果を発揮するのです。ペテロが奇跡を見たのは、網を最後まで下ろし続けた後でした(ルカ5:4から6節)。ダマスコへの道で目が見えなくなったタルソのサウロが癒やされたのは、アナニアが来て彼のために祈るまで従い続けた後でした(使徒9章)。途中で止まらないでください。祝福は従順の道の先にあります。

2. アブラハムの信仰:「私たちは戻って来る」

アブラハムは常に100パーセントの信仰の人だったわけではありません。妻を自分の妹だと偽ったときのように、弱ることもありました。私たちは人間です。だからこそ、個人としての礼拝の時も、共同体としての礼拝の時も、贅沢なものではないのです。信仰が弱まり、力づけられる必要がある瞬間が誰にでもあります。

しかしモリヤの山で、アブラハムはすべてを変える言葉を口にします。しもべたちにこう言います。「おまえたちはろばと一緒にここにいなさい。私と若い者はあそこまで行って礼拝し、そしておまえたちのところに戻って来る」(創世記22:5)。「私たちは戻って来る。」神が何をなさるかを知る前から、彼は息子の帰還をすでに宣言していたのです。

これは単純な楽観主義ではありません。これは光に照らされた信仰です。聖書は聖書によって解き明かされます。ヘブル11:17から19節は、アブラハムの心の中にあったものを私たちに明らかにしてくれます。「彼は、神には人を死者の中からよみがえらせる力があると考えていました。それで彼は、比喩的に言えば、イサクを死者の中から取り戻したのです。」アブラハムは復活の信仰を持っていたのです。神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、彼は知っていました(ローマ8:28)。

神の偉大さと力は、神の子どもの思いから決して離れてはなりません。あなたは大きく見なければなりません。不可能に立ち向かわなければなりません。なぜならあなたの神は、あなたの力を超えたこと、理解を超えたこと、人間の可能性の範囲を超えたことさえも成し遂げることのできる力ある方だからです。イエスご自身もこう言われました。「あなたがたの父アブラハムは、わたしの日を見ることを楽しみにしていました。そして彼はそれを見て喜びました」(ヨハネ8:56)。この山の上で、アブラハムは何世紀も先のキリストの復活をすでに見ていたのです。

3. アブラハムの神:ヤーウェ・イルエ、備えてくださる神

「アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエと名づけた。それで今日でも人々は言っている。『主の山には備えがある』」(創世記22:14)。アブラハムの神は遅れて来られることのない方です。アブラハムが目を上げたとき、雄羊はすでに角を茂みに引っかけられて待っていました。備えは従順に先立っていました。それはただ、山の頂で明らかにされるのを待っていただけなのです。

この場所そのものが深い意味を帯びています。歴代誌第二3:1によれば、まさにこのモリヤの山の上に、後にソロモンが神殿を建てることになります。試練の山は礼拝の山となり、そして神の家の山となるのです。神が今日あなたに献げるよう求めておられるものは、神が明日建てようとしておられるものの土台となるのです。

道中、イサクは本当の問いを投げかけていました。「全焼のいけにえのための子羊はどこにいるのですか」(創世記22:7)。アブラハムの答え(「神ご自身が全焼のいけにえの子羊を備えてくださる」)は、何世紀も後に、バプテスマのヨハネがイエスの近づいて来られるのを見て、「見よ、世の罪を取り除く神の子羊」(ヨハネ1:29)と言う場面にこだまします。アブラハムは薪と火を少し携えて山に登りました。しかし私たちの救いは、上から降りて来ました。「神はそのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された」(ヨハネ3:16)からです。

もうひとつ心に留めておきましょう。イサクがいけにえとされなかったのは幸いなことでした。彼は恐れを感じ、感情を持ち、罪から自由な存在ではありませんでした。彼の血は人類を覆うことも、時代を貫くこともできなかったでしょう。それを成し遂げられたのは、傷のない子羊であるイエスの血だけです。

4. 祈りの秘訣:代替

アブラハムの信仰の中には、助祭があなたに伝えたい秘訣があります。それは代替です。あなたが祈るとき、神はあなたを見ておられるのではありません。神が見ておられるのはイエスです。告発者があなたの思いに呼び戻そうとする過去の罪には、もはや何の価値もありません。なぜなら、神が見ておられるのはイエスだからです。

だから、悔い改めに入ったなら、イエスの血で洗われたなら、自由に祈ってください。もう悪魔にあなたを責めさせないでください。悪魔に立ち向かってください。「ですから、神に従いなさい。悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります」(ヤコブ4:7)。それが戦いの中であなたが果たすべき部分です。そしてこの約束を思い出してください。「あなたがたの会った試練はみな人の知り得る程度のものです。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えられない試練に会わせることはなさらず、試練とともに脱出の道も備えてくださいます」(コリント第一10:13)。試練の中には必ず導きの声があります。それに従ってください。

5. 「立ち上がって建てよう」:あなたの山の上での献げ物

助祭は「主の山には備えがある」というテーマを、教会の第2のテーマである「立ち上がって建てよう」(ネヘミヤ2:18)と結びつけます。この2つのテーマを選ぶということは、神の偉大さの声を選ぶと同時に、試練と献げ物の声を選ぶということでもあります。

神の家を建てるという働きは、問題なしに行われることは決してありません。助祭はこう証しします。困難なしに実現した教会の建設や取得を、彼はひとつも知らないのです。だからこそ、専任の祈りのグループが必要であり、このプロジェクトを担う志願者となる男女が必要なのです。

そして献げることが必要です。神ご自身が、ご自分の子どもたちに、財政の面で神を試してみるようにと招いておられます(マラキ3:10)。献げ物は自発的なものですが、聖書全体を通じて、財産を隠しながら神に仕えたしもべは誰もいません。「あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるのです」(マタイ6:21)。過去の失敗は忘れてください。すでに献げた献げ物のことは忘れてください。実現しなかった計画のことは忘れてください。立ち上がって建ててください。備えは道の途中で明らかにされるのであり、その前ではありません。

覚えておきたいポイント

  • 創世記22章は、聖書の中で「礼拝する」という言葉が初めて登場する箇所です。礼拝するとは、神が求めておられるものを携えてモリヤに登ることです。
  • 神は認めておられる者を試されます。試練は神から来てあなたを練り上げ、誘惑は悪魔から来てあなたを滅ぼそうとします。
  • 試練は最後まで通り抜けて初めて効果を発揮します。祝福への道の途中で立ち止まらないでください。
  • 「私たちは戻って来る」(創世記22:5)。どのようにしてかを見る前から、帰還を、復活を、約束を宣言してください。
  • 備えは従順に先立ちます。アブラハムが目を上げたとき、雄羊はすでに茂みの中にいました。
  • モリヤはソロモンの神殿の場所となります(歴代誌第二3:1)。あなたの献げ物の場所は、神が建てられる場所となるのです。
  • あなたが祈るとき、神はあなたの代わりにイエスを見ておられます。過去から来るどんな告発も退けてください。

個人への適用

  • 今日、あなたの「イサク」は何でしょうか。神から受け取り、神があなたに手に委ねるよう求めておられるものは何でしょうか。
  • 神があなたに最後まで通り抜けさせたかった試練の、どこであなたは立ち止まってしまいましたか。何を再び取り上げるべきでしょうか。
  • 解決策を見る前に、「私たちは戻って来る」と言うことができますか。どんな具体的な事柄について、神はこの復活の信仰をあなたに求めておられますか。
  • あなたはどんな古い告発を、今もなお祈りの中によみがえらせていますか。「もはや神が見ておられるのは私ではなく、イエスだ」という代替の真理を、どのように適用しますか。
  • あなたの地域教会の「立ち上がって建てよう」に、祈りにおいて、出席において、献げ物において、具体的にどう参加していきますか。

引用された聖句

よくある質問

試練と誘惑の違いは何ですか。

試練は神から来て、あなたを練り上げることを目的としています(ヤコブ1:2から4節)。誘惑は悪魔から来て、あなたを滅ぼすことを目的としています(ヤコブ1:13)。神は誰も誘惑なさいませんが、荒野のイエスやヨブに対してそうされたように、敵があなたを陥れようとする状況を、あなたを成長させる試練へと変えられることがあります。

なぜ神は、ご自身が与えられたものを献げるよう求められるのですか。

あなたに委ねられたすべてのものは、再び祝福されるために神の手を通らなければならないからです。イサクは約束そのものでした。神はそれを取り戻すことで、アブラハムに(そしてあなたにも)、祝福の源は決して贈り物そのものではなく、贈ってくださる方ご自身であることを明らかにされたのです。神に返したものは、よみがえって戻って来ます。

「ヤーウェ・イルエ」は今日、具体的に何を意味していますか。

ヤーウェ・イルエは「主が備えてくださる」と訳されます(創世記22:14)。これは、神があなたに登るよう求められる、まさにその場所に、神がすでに雄羊を備えておられるという啓示です。備えは従順の前にあるのでも、従順の途中にあるのでもありません。備えは従順の頂上にあり、あなたが目を上げた瞬間に見られる準備ができているのです。

「Foi」の説教をすべて見る

Mission Évangélique Internationale (MEISTAD)の説教を見逃さない

新しいメッセージの要約をお届けします。

メモを取ったり質問したりするにはサインインしてください。

関連記事

説教の公開元 Mission Évangélique Internationale (MEISTAD). 説教全体を見る のチャンネルで.

← ブログに戻る

エホバ・イルエ(2):モリヤに登れ、神は雄羊を備えられる | Efficient Church