はじめに
「今日は、私たちみんなが、最善の人でさえ罪を犯している主題についてお話しします。それは偏見です。」Église Réformée Évangélique de Toulouse の説教者は、偏見とは、すべての事実を知らないまま、人や人々の集団を裁いたり断罪したりすることだと言います。
彼は自分自身の反射的な反応を認めています。ここ数週間のデモのことを聞いたとき、最初に思ったのは、正義を求める人々のことではなく、封鎖された道路のことでした。また旧約聖書を読むとき、イスラエルの民は「好き勝手なことをする」のではないかとよく身構えてしまいます。このメッセージを準備する前から、彼はイスラエルに対して偏見を持っていました。
けれども、ヨシュア記22章10〜34節は、正しく反応した民の姿を示しています。ヨルダン川のほとりに建てられた祭壇が内戦を引き起こしかけますが、危機は和解で終わります。説教者はここに、訴える側も訴えられる側も、偏見なく非難に向き合う道を見いだしています。
メッセージの流れ
1. イスラエルの一致を脅かす祭壇
- ヨシュア記は、神が約束の地を与えて約束を守られたことを語ります。モーセの死後、ヨシュアは民を率いて町々を征服し、土地を分配しました。最初の21章で、神はイスラエルに勝利と安息を与え、ご自分の真実を示されます。
- ルベン族とガド族、そしてマナセの半部族は、ヨルダン川の東に土地を受けました。彼らはモーセに、残りの土地が征服されるまで兄弟たちと共に戦うと約束しており、その約束を守りました。ヨシュアは彼らを家に帰し、神に忠実であり続けるよう勧めます。
- 帰る途中、彼らはヨルダン川のほとりに「見るからに壮大な」祭壇を築きました(10節)。すると、イスラエルの全会衆がシロに集まり、彼らに戦いを挑もうとします(12節)。
- 説教者の問いです。祭壇を一つ築いただけで、なぜ戦争に値すると言い出す人が出るのでしょうか。
2. 西側の部族が強く反応した理由
- 西側の九つ半の部族は、神の律法をよく知っていました。申命記13章は、ある町が他の神々に心を向けたときには、慎重に調べ、尋ね、取り調べ、事実が確かめられたなら、その町を撃つように命じています。説教者は強調します。「個人的な感情ではありませんでした」。彼らは優越感からではなく、神が命じられたから動いたのです。
- 彼らは戦いに飛び込みませんでした。ピネハスが他の部族の代表者たちと共に遣わされ、聞いたことが本当かどうかを確かめます。
- 彼らはまた、イスラエルの過去の罪を思い出します。17節ではペオルの罪(民数記25章)です。民は他の神々に従い、疫病に打たれました。20節ではゼラハの子アカンの話(ヨシュア記7章)です。一人の罪が会衆全体に神の怒りを招きました。イスラエルは個人の寄せ集めではなく、一つの民だったからです。これらの出来事は最近のことで、誰もが知っていました。
- 彼らは非難するだけでなく、解決策を示します。あなたがたの土地が汚れていると思うなら、私たちの中に来て住みなさい、と。彼らは自分たちの土地の大部分を手放す覚悟でした。「小さな犠牲ではなく、大きな犠牲でした」。神を敬うことと一致を守ることのほうが大切だったからです。
3. 東側の部族の答え
- 東側の部族は気分を害しませんでした。熱心すぎる、大げさだと兄弟たちを責めることもしません。
- 彼らはまず、三つの呼び名を二度繰り返して神を呼びます。「力ある方、神、主」(22節)。信心深く見せるためではなく、兄弟たちを安心させるためです。私たちは真の神だけに仕えており、神を捨ててはいません。
- 彼らは非難の重大さを認めます。もしそれが反逆なら、自分たちは赦される資格がありません。
- そして動機を説明します。それは、後に続く世代への心配でした。いつか西側の子孫が自分たちの子孫にこう言うのではないかと恐れたのです。「あなたがたに、イスラエルの神、主と何の関わりがあるのか」。祭壇は全焼のいけにえや供え物のためのものではありませんでした。主の祭壇の複製であり、東と西が一つの民であることの証人だったのです。
- この答えに西側の部族は満足し、兄弟たちの知恵を認めます。祭壇には名前がつけられました。主こそ神であることの証人です(34節)。
4. 私たちが訴えるとき:西側の部族から学ぶこと
- デリケートな話題についての議論が、思いやりと配慮と恵みをもって行われることはめったにありません。「クリスチャンとして、私たちもそれに関して無実ではありません」。SNSやメディアがそれを増幅します。真実がすべて明らかになる前に、一人の人が公の場で打ちのめされることがあるのです。
- 私たちの見方は、アルゴリズムや自分の過去(彼の場合はアメリカ人であること)、そして偏見に左右されます。同じデモを見ても、暴力の映像を見た人もいれば、行進のあとで掃除をする高校生を見た人もいます。事実が確かめられる前に断罪される「魔女狩り」に陥らずに、どうすれば正義を行えるでしょうか。
- 罪を真剣に受け止める。訴えを軽く扱ってはいけません。被害を受けた人を気遣い、慰めることはできます。ただし、すべての情報を持っていないのですから、結論を急いではいけません。
- 事実を確かめ、本人に説明させる。尊敬され信頼できる人を通して、さらに情報を求める必要があります。「私たちは犯罪者をかばうためにいるのではありません」。実際に何が起きたのかを知るためです。「あなたはいつもそうだ」という言い方も避け、最近の具体的な例を一つか二つ挙げるほうがよいでしょう。
- 結果を説明する。西側の部族は、その罪が神に向けられたものであり、民全体に及ぶことを思い出させました。目的は、すべてを自分の問題にすることではなく、相手が自分の行いの重さを理解できるよう助けることです。
- 犠牲を払う覚悟を持ち、解決策を示す。彼にとってここが最も難しい部分です。訴える側により多くを求めるからです。彼は仮の例を挙げます。お金がなくて一人で住めないために、恋人と同居し始めた教会の人がいるとします。攻撃する代わりに、二人のうち一人を自宅に迎える、ルームシェアを探す手伝いをする、経済的に助ける、といったことができます。「それは教会としての私たちにも、他の人を愛し助けるために犠牲を払うことを求めます」。
5. 私たちが訴えられるとき:東側の部族から学ぶこと
- 弁護を神にゆだねる。東側の部族は潔白でしたが、へりくだって自分たちの弁護を主の手に置きました。「最高の弁護ができたとしても、いつも神の助けを求めなければなりません」。他の人の心を変えるのは神だからです。
- 非難をへりくだって受け止める。彼らは「あなたたちには関係ない」とも「落ち着いて、大げさだ」とも答えませんでした。兄弟たちが自分たちを気遣っているのだと理解したのです。私たちも、身構える前に、訴える人の考えを理解しようと努めましょう。愛以外の動機を相手に押しつけないことです。
- 心と理性で説明する。彼らは感情に訴える理由と論理的な理由の両方を示し、その考えがどのように生まれたかを語り、将来の問題をどう防ぐかを説明しました。あなたが正しく行動したのなら、信じてもらえないことを恐れずに、自分の立場をはっきり説明しましょう。神が私たちの裁き主ですから、神に信頼できます。
6. 教会への証しとゆるしの道
- ある人が罪の中にいると思うとき、その人を辱めたり打ち壊したりする反応であってはなりません。また、無関心であってもなりません。「それは私たちにも関わることだからです。私たちはキリストにある一つの民だからです」。
- 状況を真剣に受け止め、説明の機会を与え、解決策を示すこと。これはさばきや高ぶりの行いではなく、互いを大切にすることです。九つ半の部族は、兄弟たちが神から離れないように、自分たちの土地の一部を失う覚悟をしていました。
- 正しい反応は、私たちを教会として一つにし、それ自体が証しの祭壇となります。外にいる人々に対する、神の栄光の証しです。
- もしあなたに非があるなら、へりくだって神に向き直り、恵みを求めましょう。自分の罪を真剣に受け止め、その重さを軽くするために理屈を並べて正当化しようとしてはいけません。できるなら、傷つけた人に赦しを求め、和解しましょう。
- ゆるしには代価が要ります。イエスは私たちのすべての罪を赦してくださいました。それは、十字架の上でご自分のいのちを払うという代価でした。その残酷な十字架の上で、イエスは、ご自分を十字架につけた人々を赦してくださるよう父に願われました(ルカ23:34)。イエス・キリストを敬うために、私たちも同じように、兄弟姉妹を赦し、愛することができます。
心に留めたいこと
- 偏見から逃れられる人はいません。すべての事実を知らずに裁くのは、聖書が正すよう教えている反射的な反応です。
- 罪を犯したと思われる場合は、それを真剣に受け止め、事実を確かめ、本人に説明させ、犠牲を払ってでも解決策を示す必要があります。
- 訴えられたときは、弁護を神にゆだね、非難をへりくだって受け止め、心と理性で説明します。
- このように対立を乗り越える教会は、ヨルダン川の祭壇のように、主こそ神であることの証人となります。
- イエスがいのちを代価にして私たちを赦してくださったので、私たちも赦すことができます。
個人への適用
- 最近、SNSの影響や自分の過去に左右されて、すべての事実を知る前に裁いてしまった状況や人はいませんか。
- 身近な人が道を踏み外しているように見えるとき、あなたはその人を責め立てたくなりますか。それとも「自分には関係ない」と思いがちですか。
- 兄弟姉妹が神に忠実であり続けるために、どんな具体的な犠牲を払う用意がありますか。
- 最後に非難されたとき、自分を弁護する前に、相手の心配を理解しようとしましたか。
- 今週、赦しを求めるべき人がいませんか。
引用された聖書箇所
よくある質問
ヨルダン川のほとりに建てられた祭壇は、なぜ戦争を引き起こしかけたのですか。
西側の部族は申命記13章の律法を知っていました。他の神々に心を向けた町は、慎重に調べたうえで裁かれなければなりません。また、ペオルの罪とアカンの罪が民全体に神の怒りを招いたことも覚えていました。主の祭壇のほかにもう一つ祭壇を建てることは、神への反逆のように見えたのです。
兄弟姉妹が罪を犯したかもしれないと聞いたとき、どう反応すればよいですか。
説教者は西側の部族から四つの態度を引き出しています。結論を急がずに罪を真剣に受け止めること、事実を確かめて本人に説明の機会を与えること、行いの結果を説明すること、そして自分自身が犠牲を払ってでも解決策を示すことです。
不当に訴えられたときは、どうすればよいですか。
東側の部族のように、弁護を神の手にゆだね、相手の心配を認めてへりくだって非難を受け止め、そのうえで心と理性の両方で自分の立場を説明します。もし自分に非があるなら、自分の罪を真剣に受け止め、赦しを求め、和解を願うべきです。