はじめに
周りのすべてが叫んでいるように感じる週があります。ニュースの混乱、募っていく不正義、悪意を武器のように使う権力者たち。そんな中であなたは、少し息切れしながら、少し生ぬるくなりながら、自分にできる形で信仰を保とうとしています。この日の礼拝で語られたメッセージは、まさにその状況の中で黙示録を開き、ひとつのシンプルな言葉を投げかけます。彼を招き入れよう、という言葉です。この箇所はよく知られています。黙示録3章20節にはこうあります。「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。もしだれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその者のところに入って一緒に食事をし、彼もまた、わたしと一緒に食事をするであろう。」このメッセージは「初めて」信仰に入るようにという呼びかけではありません。すでに教会にいる人々、ラオディキアの教会に向けられた言葉であり、すでに信じ、すでに座っている人々に向けられたものです。もしかしたら今朝、それはあなたに語られているのかもしれません。イエスは叩いておられます。家の扉ではなく、あなたのスケジュールの扉、優先順位の扉、日常の扉を、もう一度開いてくれるのを待っておられるのです。
メッセージの構成
1. 感情ではなく、信仰の上に立つ
- 語り手はまず復活の話から始めます。イエスは生きておられ、五百人以上の人々に同時に姿を現され(コリント人への第一の手紙15章6節)、今日も御自分の民に現れ続けておられます。もし感じるのを待ってから信じようとするなら、一生揺れ動くことになります。
- 今朝、信仰の上に立ってください。感情の上にではなく、気分の上にではなく、感じているもののの上にではなく。「主よ、あなたが死人の中からよみがえられたので、私には勝利があります」と。
- 主のあわれみは朝ごとに新しいと宣言してください(哀歌3章22〜23節)。今朝、昨日には備えられていなかった新しい恵みが、あなたのためにあるのです。
- あなたを立たせるのはこの立ち位置です。あなたが強いからではなく、イエスがよみがえられ、あなたの内にいのちの霊を置かれたからこそ、世界が揺れても立ち続けられるのです。
2. たとえ炎が小さくても、それを輝かせよう
- 主はこの混乱した時代の闇の中で、私たちを光として召してくださいました。主は聖霊を私たちの内に置き、燃え続け、光を取り戻す炎を灯してくださいます。
- 時にあなたの炎は消えかかっているかもしれません。時にとても小さいかもしれません。しかし暗い部屋の中では、どんなに小さな炎でも周りを照らします。その小さな炎を軽んじないでください。
- 闇が絶望をもたらす場所に、この炎は希望をもたらします。闇が悲しみをもたらす場所に、この炎は喜びをもたらします。それを輝かせ、導かせてください。
- あなたの小さな炎では足りないと感じますか。それでかまいません。主はあなたに、サーチライトになりなさいとは言われませんでした。ただ、くすぶる灯心を消してはならないと言われたのです(イザヤ書42章3節)。
3. 教会は更衣室ではなく、遣わされている場所
- 日曜日に来て、座って、御言葉を受け取り、帰っていく。「クリスチャンです」の欄にチェックを入れるだけ。キリストが死なれたのは、そのためではありません。イエスは隣人や、家族や、通りすがりの旅行者の心にも触れたいと願っておられます。
- イエスは死人をよみがえらせ、病人を癒し、希望を取り戻させ、パンと魚を増やされました。それは聖書の時代だけのことではありません。今日も、信じる者のためにそれをなしてくださいます。
- あなたの周りには多くの絶望と多くの不正義があります。それを黙って耐え忍ぶことが神の御心なのではありません。神の御心は、奇跡が起こり、人生が変えられることです。
- できる時だけ社会的に助ける、というだけで終わらせないでください。人々がその境遇から抜け出せるように、神がそれぞれの運命を変えてくださるように、真の権利と機会の平等が与えられるように祈ってください。
4. 操られないように:自分の時間の主導権を取り戻そう
- 語り手は、フランス人ジャーナリスト、ジャック・ディブリ氏の話を紹介します。彼は『スマートフォンから自由になる』という本を書きました。ある仕事の約束に早く着いた彼は、待合室でスマートフォンをスクロールし始め、三、四時間が経っていたことに気づかず、約束をすっぽかしてしまいました。家に帰ると、夜、妻と自分がそれぞれ自分の画面を見ていること、食卓では家族が会話もせずスクロールしていることに気づきます。彼はアプリの入っていない折りたたみ式携帯電話に買い替えました。結果、疲労が減り、読書の楽しさが戻り、運動をし、子どもたちとの会話が増えました。
- 人工知能はあなたに真実を語りません。あなたが聞きたいことを語るのです。広告もあなたの欲しいものに合わせて作られます。気づかないうちに、あなたは操られているのです。
- 黙示録(13章)はすでにこのことを語っていました。獣の刻印が人々の売り買いを制限する、と。それは角のついた悪魔のイメージではなく、経済や画面を通して少しずつ入り込んでくる支配のことです。
- 私たちはこうしたものに対して権威を持たなければなりません。極端に走るのではなく、具体的な決断によってです。雑音を断ち、祈りと交わりと神の御臨在に場所を空けることです。
5. 死の陰の谷を通り抜けよう:逃げてはいけない
- 詩篇23篇。「たとい死の陰の谷を歩むとも、わたしはわざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。」
- 私たちには誰にも死の陰の谷があります。病気、借金、家族の破綻、孤独、仕事の失敗、学業の失敗。そこであなたはこう言えます。「主よ、この谷で私と共にいてくださり感謝します。あなたが私と共におられることを知っています。」
- クリスチャンであることは、問題がなくなることではありません。違いは、主と共にいれば、そこから勝利者として出て来られるということです。病気からも勝利者として、束縛からも勝利者として出て来られます。イエスは谷を避けさせるのではなく、あなたと共にそこを通り抜けてくださいます。
- 勝利は谷の向こう側にあります。走って逃げないでください。逃げ出さないでください。谷を通り抜けさせてくださいと願い求めてください。むちとは、あなたを打つための棒ではなく、羊を連れ戻すための羊飼いの杖のことです。
6. 神は不正義と戦っておられる:そのために祈ることをあなたに求めておられる
- アモス書2章6〜8節。「主はこう言われる。イスラエルの三つのとが、四つのとがのために、わたしはその罰を取り消さない。彼らは正しい者を金のために、貧しい者を一足のくつのために売ったからだ。彼らは弱い者の頭を地のちりに踏みつける。」
- 今日も同じです。「財政赤字がある、何としても埋めなければ」と言って、医療を削り、教育を削ります。守られるのは赤字の数字だけ。貧しい者は一足のくつのために売られます。しかし神は、そのことを無視されません。
- アモス書6章1〜8節。サマリヤの山で安穏として、安心して暮らし、財力や影響力や権力があるから自分は安全だと思い込んでいる者たちに災いがあります。「あなたがたは災いの日を遠ざけていると思いながら、実は暴虐の座を近づけている。」
- あなたも私も、神に向かって正義を叫ぶ者でありましょう。あなたには屋根があり、医療保険があり、仕事があるかもしれません。それでも、不正義のために、弁護士を雇えない不幸な人のために祈ってください。民が叫ばなければ、誰が神にその人のために語るでしょうか。
7. ラオディキアはあなたかもしれない:彼を招き入れよう
- 黙示録3章14〜22節。イエスはラオディキアの教会にこう語られます。「わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。このように、なまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしはあなたを口から吐き出そう。」
- ラオディキアはこう言っていました。「私は富んでいる、豊かになった、何一つ必要な物はない」と。しかし自分がみじめで、あわれで、貧しく、盲目で、裸であることを知りませんでした。イエスは彼らに、火で精錬された金、白い衣、目に塗る目薬を、自分から買うよう勧めます。
- そしてこの礼拝の中心となる言葉が来ます。「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。もしだれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその者のところに入って一緒に食事をし、彼もまた、わたしと一緒に食事をするであろう」(黙示録3章20節)。
- これは初めて信仰に入るための招きではありません。すでにそこにいる人々、教会への招きです。あなたはあらゆる集会に出ているかもしれませんが、生活の中では神の力などないかのように生きています。ただ生き延びているだけです。苦しむ人々を見ても、そのために祈らない。病気の人を訪ねない。目立たないようにしている。
- イエスは言われます。「わたしがあなたを熱くする。あなたの心を再び温める。あなたにやる気を取り戻させる。」やる気は行動する中で生まれます。仕えたい気持ちは仕えることの中で、祈りの集会に行きたい気持ちは実際に行くことの中で、伝道したい気持ちは伝道することの中で、礼拝に行きたい気持ちは礼拝に行くことの中で生まれます。あなただけで家にいれば、悪魔はいつでも留まる理由を見つけてくるでしょう。
- 「わたしをあなたの人生に入らせてほしい。あなたのスケジュールに入らせてほしい。あなたの優先順位のトップに入らせてほしい。」扉を開いてください。イエスは入って来て、あなたと共に食事をし、あなたもイエスと共に食事をします。そして勝利を得る者を、イエスは御自分と共に御座に着かせてくださいます。ちょうどイエスが勝利を得て、御父と共にその御座に着かれたようにです(黙示録3章21節)。
心に留めたいポイント
- 信仰は感情の上に成り立つものではありません。毎朝、イエスの復活の上に立ち位置を定めるものです。
- 暗い部屋では小さな炎で十分です。自分の小さな炎を軽んじず、輝かせてください。
- 教会は日曜日だけの更衣室ではありません。よみがえられた方の力を携えて、人々の生活、家族、街へと遣わされているのです。
- 画面はあなたが気づかないうちに、神の御臨在の時間を奪うことがあります。自分の時間の主導権を取り戻してください。
- クリスチャンであることは、死の陰の谷を避けることではありません。決して離れない羊飼いと共にそこを通り抜けることです。
- 神は不正義と戦っておられます。そして、弱い者がもう声を上げられない時、代わりに語る民の祈りを頼りにしておられます。
- 生ぬるさは中立な罪ではありません。それはイエスがあなたの人生の応接間に入ることを妨げるものです。今日、扉を開いてください。
個人への適用
- あなたの信仰は、復活ではなく、まだ感情に頼っている部分がどこにありますか。今朝、具体的にどんな立ち位置を取りますか。
- あなたの炎はどこで消えかかり、あるいは小さくなっていますか。今週、それを再び輝かせるために、どんな小さな行動を取りますか。
- 礼拝以外の時間、あなたと画面との関係はどうなっていますか。自分の時間の主導権を取り戻すために、どんな具体的な対策(時間の制限、アプリの削除、携帯電話を置くことなど)を取りたいですか。
- あなたは今、どんな谷を通っていますか。病気、借金、破綻、孤独、失敗でしょうか。逃げる代わりに、今週、羊飼いの前に何を差し出したいですか。
- 自分に直接関係がなくても、今週、どの具体的な不正義のために祈りますか。
- 今、あなたの人生のどの領域でイエスが叩いておられ、まだ先延ばしにしていますか。スケジュールでしょうか、優先順位でしょうか、それとも仕える召しでしょうか。今日、その扉を開いてください。
引用された聖句
- 黙示録 3:14-22 ・ ラオディキアの生ぬるさと「わたしは戸の外に立って、たたいている」
- 黙示録 3:7-12 ・ フィラデルフィア教会:「あなたには少しばかりの力しかないが、わたしはあなたと共にいる」
- 黙示録 13章 ・ 売り買いを支配する刻印
- 詩篇 23篇 ・ 「たとい死の陰の谷を歩むとも、あなたがわたしと共におられる」
- アモス書 2:6-8 ・ 神は正しい者の売買と弱い者への抑圧を裁かれる
- アモス書 6:1-8 ・ 安穏として、不幸に耳を貸さない者への災い
- コリント人への第一の手紙 15:6 ・ イエスは五百人以上の兄弟たちに同時に現れられた
- ローマ人への手紙 13章 ・ この世の権威の前でのクリスチャンの姿勢
- 哀歌 3:22-23 ・ 「主のあわれみは朝ごとに新しい」
よくある質問
黙示録3章15〜16節の「生ぬるい」とはどういう意味ですか。
生ぬるいというのは、悪い人間だとか、神に敵対しているという意味ではありません。礼拝には来て、正しいことを口にして、「クリスチャンです」という欄にチェックを入れながら、まるで神の力など存在しないかのように一週間を過ごすことです。周りの苦しみを見ても祈らない。病気の人のことを聞いても訪ねない。目立たないように静かにしている。イエスはラオディキアにこう言われます。冷たいか熱いかのどちらかであってほしい、そうでなければ口から吐き出す、と。これは無意味な脅しではなく、愛の叫びです。イエスはあなたを再び熱くしようと近づいて来られます。この生ぬるい生き延び方の中に、あなたを置いたままにはしたくないのです。
今日、イエスが自分の心の戸を叩いておられると、どうすれば分かりますか。
御言葉があなたの心をざわつかせる時、それは叩いておられるしるしです。何かが足りない、渇いている、霊的に疲れていると感じる時も同じです。静かにしていたいのに誰かがイエスの話をしてくる時、周りの不正義を見て心が締めつけられる時も、イエスは叩いておられます。問題は、叩き方が弱いことでは決してありません。問題は、画面やスケジュールや気晴らしなど、あまりにも多くのものが人生の応接間を占領していて、もう聞こえなくなっていることです。雑音を断ち、耳を傾け、扉を開いてください。
今週、具体的にどうすれば生ぬるさから抜け出せますか。
やる気は、行動する前ではなく、行動する中で生まれます。仕える気持ちは仕えることの中で、祈りの集会に行きたい気持ちは実際に行くことの中で、伝道したい気持ちは伝道することの中で生まれます。何かが降ってくるのを家で待っていてはいけません。今週、具体的な一歩を決めてください。病気の人に電話をする、祈りの集会に行く、周りの不正義のために祈る、画面を一時間断って神との時間に充てる、などです。あなたが扉を開けば、イエスは入って来られ、あなたと共に食事をされます(黙示録3章20節)。そこから再び火がともるのです。
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