はじめに
あなたの心の中に、墓を抱えているような夜がありますよね。何かが死んでしまった(人間関係、夢、希望、心の平安)、そしてどこから立て直せばいいのか分からない。そんな夜、満員の教会で、初めてフランスに招かれたイタリア人牧師アルフレド・リナルディーニ氏が、バリの教会から妻とともに来て、ヨハネ11章を開きました。彼はマルタのことも、よく知られたやり取りのことも語りたくありませんでした。彼はあなたの手を取り、別の場所へと連れて行きます。ラザロが4日間も閉じ込められている墓の中です。そこでイエス様は、ただの話をするのではなく、ひとつの名前(もしかしたらあなたの名前)を呼び、あなたにとても具体的な三つの呼びかけをされる、と彼は語ります。今夜、聖霊が準備された三つの個人的な呼びかけです。そして彼は確信していました。誰かがそのうちの一つに応える、と。
メッセージの構成
1. 背景:説教者とラザロの物語
- アルフレド・リナルディーニ氏は自身の証しを語ります。ナポリ出身の彼は、「ドラマ『ゴモラ』で描かれるようなこと」をほとんど経験してきました。アルコール、麻薬、麻薬の売買、盗み。昼は良い息子、夜は別の顔でした。
- 19歳のとき、親友の一人が誘拐され、拷問され、殺されました。その夜から、死への恐れ、不安、パニック、不眠が始まりました。
- 彼はクリスチャンだった母の言葉を思い出し、たった一つの祈りを捧げます。「もしあなたが本当に存在するなら、私のために何かしてください。」その瞬間、イエス様が彼の人生に入り込み、彼を解放してくださいました。三十秒の祈り、その二十年後、彼は神様に仕えています。
- その夜、彼はヨハネ11章1〜17節、そして38〜46節を選んで朗読しました。三つの箇所、墓に閉じ込められたラザロへ、そしてあなたへ向けられたイエス様の三つの呼びかけです。
2. 一つ目の呼びかけ:近づきへの呼びかけ
- この個人的な呼びかけの最初の側面を、アルフレド氏は「近づきへの呼びかけ」と呼びます。
- 大きな石で閉ざされた墓の前で、二人の姉妹の疑いと不信仰にもかかわらず、イエス様は死者の名前、「ラザロ」を呼び、続いて「来なさい」という言葉を発せられます。
- 「この言葉は『来なさい』と訳せます、動詞だからです。しかし『ここに』とも訳せます、場所を示す副詞でもあるからです」と彼は説明します。イエス様はただ「出て来なさい」と言われたのではありません。「ラザロ、ここに、私のそばに」と言われたのです。
- ラザロは中に、イエス様は外にいました。この呼びかけは、まず墓を出る呼びかけではありません。近づく呼びかけ、イエス様のより近くにいるための呼びかけなのです。
- 「あなたが近づけば、物事は変わり始めます。あなたの墓、恐れ、問題、苦しみの多くは、単に神様との距離の結果であることが多いのです。」
- 彼は創世記のハガルの物語を思い起こさせます。息子とともに荒野に追いやられ、仕事もなく、未来もない彼女は座り込み、子どもが死ぬのを見ずに済むよう祈りました。まさにその瞬間、主の使いが彼女のそばに現れます。彼女は逃げたかった、しかし神様のほうから近づいてくださったのです。「神様のそばにいるとき、物事は変わります。」
- そして十字架の上で、イエス様ご自身が父なる神様との距離を経験されました(「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」)。それは、今夜あなたと私が神様の御前に近づくことができるためです。
3. 二つ目の呼びかけ:回復への呼びかけ
- ラザロの復活の奇跡の中で二番目に美しいこと、それはタイミングだ、とアルフレド氏は語ります。覚えておいてほしい言葉はたった一つ、「一日の道のり」です。それだけです。
- ラザロはベタニアに住んでいました。イエス様はヨルダン川の向こうにおられました。二つの場所は一日の道のりで隔てられていました。ワッツアップもない時代、知らせが届くには時間がかかります。
- もう手の施しようがないと分かったとき、家族はイエス様を呼びに人を送ります。行くだけで一日の道のり。注解者たちによれば、その知らせがイエス様に届くまでに、ラザロはおそらくすでに数時間前に亡くなっていました。
- そして驚くべきことに、イエス様は出発するまでにさらに二日間待つことを決められます。合計で、死後さらに三日が経つことになります。
- なぜでしょうか。ラザロがある特定の状態に至る必要があったからです。ユダヤの文化では、数日経つと遺体は腐敗し始め、四日目が後戻りできない境目とされていました。イエス様が到着されたとき、マルタは率直にこう言います。「主よ、もう四日もたっていますから、もうにおいます。」
- イエス様は、ラザロが臭うところまで待たれたのです。そしてそこで初めて、その名を呼び、近づくよう招き、彼の体は回復します。命と肉体が一瞬にして戻ってきました。
- これが回復への呼びかけです。壊れたもの、荒廃したもの、朽ち果てたものを回復させる呼びかけ。物事が悪化する前の初期の状態へと引き戻す呼びかけです。
- 「神様にとって、後戻りできない境目など存在しません。神様にとって、『もう何もできない』という言葉は存在しないのです。神様は心を、人生を、家族を、結婚を回復させることができます。」
- あなたがすでに悪臭を感じていても、あなたの状況がすでに腐敗の過程に入っていても、イエス様はすべてを元通りにする力をお持ちです。周りの人が「もう何もできない」と言うときでも、神様には常に最後の言葉があります。
4. 三つ目の呼びかけ:自由への呼びかけ
- イエス様はその人を個人的に呼ばれます。近づくよう呼ばれます。出て来るよう呼ばれます。そして最後に、自由になるよう呼ばれます。
- 死者が墓から出て来たとき、彼はまだ布に包まれ、手足を布で縛られ、顔は覆いで覆われていました。そのときイエス様は言われます。「解いてやって、行かせなさい。」
- ひとつの命令。ひとつの権威。ただひとことで、一瞬にして手も足も頭も解放されます。ただひとことで、包帯に巻かれ縛られた死人が、ついに自由な人へと変えられるのです。
- 「イエス様のただひとことが、本当の自由を与えることができます。」
- あなたの人生を今もなお縛っている状況があるかもしれません。もしかしたらあなたの手(何かをしたいのにできない)、もしかしたらあなたの足(神様の道を歩みたいのに歩めない)。時には思いさえも、ラザロの頭のように縛られていることがあります。
- 今夜、イエス様はあなたに自由への呼びかけをしておられます。完全に自由になって神様を礼拝し、自由に仕え、自由に神様の栄光を求め、実現する人々です。
- 「もし子があなたがたを自由にするなら、あなたがたは本当に自由なのです。」(ヨハネ 8:36)
- そしてこの自由には代価が伴いました。十字架の上で、イエス様(栄光の王、神の子)は、ご自分の自由を手放されました。布ではなく、釘がラザロの手足のように彼の手足を止めました。頭の布ではなく、いばらの冠でした。それは、彼の御名によって、今夜あなたと私が完全に自由になるためでした。
心に留めておきたいポイント
- イエス様は「出て来なさい」と言う前に、「来なさい」と言われます。最初の呼びかけは、あなたを墓から出させるだけでなく、まず近づかせる呼びかけです。
- あなたの墓、恐れ、問題の多くは、まず神様との距離の結果です。近づくことが物事を変えます。
- 神様が待たれるとき、あなたを忘れているわけではありません。奇跡だけが語れる、まさにその瞬間を待っておられるのです。神様にとって、後戻りできない境目など存在しません。
- あなたが終わったと思っているもの、心、人生、家族、結婚を、神様は回復させることができます。「もう何もできない」は神様の辞書にはありません。
- イエス様は、ただあなたを生き返らせるだけでは終わりません。手も足も思いも、自由への呼びかけをされます。彼のただひとことで、縛られたものが解かれます。
- あなたの自由には代価が払われました。十字架の上で、イエス様はご自分の自由を手放されました、あなたの自由が完全になるために。
個人的な適用
- 今夜、イエス様があなたに「まず変わりなさい」ではなく「そのままで近づきなさい」と言っておられる領域はどこでしょうか。
- 正直に考えてみると、あなたの墓、恐れ、争いの一部は、ここ数か月の神様との距離の広がりから来ていませんか。具体的に、何があなたを遠ざけたのでしょうか。
- あなたが「もう後戻りできない」と決めつけてしまった状況(心、家族、結婚、友情)で、たとえ「もうにおって」いても、今夜神様の前に差し出したいものはありませんか。
- イエス様がすでにあなたを墓の外へ呼ばれたのに、まだあなたが身につけている布はどれでしょうか。縛られた手(あえて起こせずにいる行動)、縛られた足(踏み出せずにいる一歩)、縛られた頭(堂々巡りしている思い)。
- イエス様があなたのためにご自分の自由を手放されたなら、あなたは今週、彼に応えるためにどんな「自由」を手放す備えがあるでしょうか。習慣でしょうか、つながりでしょうか、自分自身へのイメージでしょうか。
引用された聖句
よくある質問
なぜ説教者は「出て来なさい」ではなく「来なさい」という言葉をこれほど強調するのですか。
アルフレド・リナルディーニ氏は、「来なさい」の背後にあるギリシャ語は、動詞として「来なさい」とも、場所を示す副詞として「ここに」とも訳せると説明します。つまりイエス様は、単に「ラザロ、墓から出て来なさい」と言われたのではなく、「ラザロ、ここに、私のそばに」と言われたのです。彼にとってこれは非常に重要です、なぜなら呼びかけの本質そのものが変わるからです。イエス様はまず場所を離れることを呼びかけているのではなく、ある人格に近づくことを呼びかけておられます。私たちの墓や恐れ、苦しみの多くは、まず状況の問題ではなく、神様との距離の問題なのです。近づくことで、物事はすでに変わり始めます。
なぜイエス様はすぐにラザロを癒しに来られず、待たれたのですか。
説教者はこの問いを率直に投げかけます。もしイエス様がラザロを復活させたかったのなら、すぐに来ることもできたはずです、ラザロはすでに死んでいたのですから。なぜさらに二日間待たれたのでしょうか。それは、ラザロがある特定の状態に至る必要があったからです。ユダヤの文化では、四日目が後戻りできない境目とされていました。だからこそマルタは「主よ、もうにおいます」と言うのです。神様が遅れるのは、あなたを忘れているからではありません。時に神様は、あなたの状況が人間的に見て絶望的だと分類される時を待たれます。それは、奇跡が神様以外の何にも帰せられないようにするためです。「神様にとって、後戻りできない境目など存在しません。」
今夜、イエス様の三つの呼びかけのうち、どれに応えるべきか、どう分かりますか。
アルフレド・リナルディーニ氏は、少なくとも一人はこの三つの呼びかけのいずれかに応えるだろうと確信していると語ります。あなた自身に問いかけてみてください。あなたの人生は、神様との距離によって封じられた墓のようになっていませんか(近づきへの呼びかけ)。あなたは、差し出すことをやめてしまった「腐敗した」状況を抱えていませんか(回復への呼びかけ)。それとも、命は受け取ったのに、まだ手も足も思いも縛られたまま歩いていて、完全な自由をあえて生きようとしていませんか(自由への呼びかけ)。聖霊があなたに関わる呼びかけを指し示してくださいます。あなたの応答は、とても短い祈りで十分です。アルフレド氏のナポリでの祈りは、三十秒でした。
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