はじめに
あなたはもうご存じのはずです。クリスチャン生活で一番大切なもの、それは愛です。新しい秘密を教えてもらう必要はありませんね。でも同時に、それを日々生きることがどれほど難しいかも知っておられるでしょう。配偶者と、子どもたちと、隣人と、教会の兄弟姉妹と、毎日それを実践するのは簡単ではありません。
アンティーブ教会でのある説教で、パトリック・サラエペソ人への手紙4章32節と5章1〜2節に開き、神の愛についてとてもシンプルで具体的な定義を示してくれます。一週間ずっと覚えていられるように、三つの文字にまとめました。G.P.S.寛容(Générosité)、忍耐(Patience)、奉仕(Service)です。クリスチャン生活のGPS、正しい道と正しい目的地へと導いてくれるものです。
この記事はその説教に忠実に基づき、この愛に導かれるようあなたを招きます。
この記事の構成
- 愛のうちを歩むこと、それがキリスト教の本質です
- Gは寛容(Générosité)
- Pは忍耐(Patience)
- Sは奉仕(Service)
- 私たちの心に注がれた神の愛
1. 愛のうちを歩むこと、それがキリスト教の本質です
「互いに親切にし、憐れみの心を持ち、神がキリストにあってあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。ですから、愛される子どもらしく、神に倣う者となりなさい。そして、キリストが私たちを愛し、私たちのために御自身を、香ばしい香りのささげ物、また、いけにえとして神に献げられたように、愛のうちを歩みなさい」(エペソ4:32〜5:1-2)。
あなたは神に愛される子どもです。そして愛されているからこそ、あなたも愛し返すように招かれています。愛のうちを歩むこと、それがキリスト教の本質そのものなのです。
伝承によれば、使徒ヨハネは晩年、いつも同じことを繰り返し語っていたそうです。「互いに愛し合いなさい。」なぜいつも同じ話しかしないのかと尋ねられると、彼はこう答えました。それがクリスチャン生活で一番大切なことだから、と。それが本質なのです。
ヨハネの手紙第一4章7〜8節もこう確認しています。「愛は神から出ているのです。愛する者はみな神から生まれ、神を知っています。愛することをしない者は、神を知りません。神は愛だからです。」あなたが主を知っているなら、あなたは愛を知っています。そして愛を知っているなら、それを分かち合いたい、周りに映し出したいと願うはずです。
もし本当に互いに愛し合える世界があったらどうでしょう。憎しみもなく、ねたみもなく、意地悪もなく、自己中心もない世界です。それはまさに楽園でしょう。愛のあるところ、そこは楽園です。愛のないところ、そこは地獄です。だからこそ教会が本当にこの愛を生きるとき、地上で最もすばらしい場所になるのです。
レビ記19章18節にはすでにこうありました。「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。」それだけでも大きな教えです。しかしイエス様はさらにハードルを上げられます。「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13:34)。まだまだ課題は残ります。では具体的に、愛とは何を指すのでしょうか。感情でも、気分でも、欲求でもありません。聖書における神の愛には、はっきりとした特徴があります。そのうち三つを、覚えやすいようにアクロニムでご紹介します。G.P.S.です。
2. Gは寛容(Générosité)
神の愛の第一の特徴は寛容です。神は寛容な方です。聖書は「主はご自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになります」(ローマ10:12)と語ります。呼び求めない人に対してもです。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された」(ヨハネ3:16)。あなたを救うために、神は御使いの一組も、空の星ひとつも差し出されませんでした。ご自分にとって最も尊く、最も大切なもの、御子ご自身を与えられたのです。「ご自分の御子を惜しまず、私たちすべてのために死に渡された方が、どうしてその御子とともに、すべてのものを私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか」(ローマ8:32)。
邪魔な椅子や、ぼろぼろのソファーや、開封済みでカビの生えたジャムの瓶を処分したいだけなのに、すばらしいプレゼントをしているつもりの人たちがいます。神様はそんな方ではありません。神があなたに与えるものは、豊かさそのものとして与えられます。
ヨハネの手紙第一3章16〜18節は、ヨハネ3章16節と直接呼応しています。「キリストは私たちのためにいのちを捨ててくださいました。それによって私たちは愛を知りました。私たちもまた、兄弟のためにいのちを捨てるべきです。世の富を持っていながら、兄弟が困っているのを見て、あわれみの心を閉ざす者があれば、どうして神の愛がその人のうちにとどまるでしょうか。子どもたちよ、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛しましょう。」
愛は言葉ではありません。愛は具体的なものです。あなたのすること、分かち合うもの、与えるものの中に見えるのです。
パトリック・サラフランク牧師は、ポーで若い牧師をしていた頃、給料が三分の一に減ってしまった時期のことを話してくれます。家賃、光熱費、電気代を払うと、生活費はほとんど残りませんでした。妻と二人で紙を取り出し、なくても済むものを全部線で消していきました。ジャム、チョコレート、来客のときのワイン。誰にも話していませんでした。でも神様は知っておられました。
数日後、教会のある姉妹がジャムの瓶をひと箱まるごとプレゼントしてくれました。それから七年間、一度もジャムを買う必要がありませんでした。さらに、この地域に住んでいたスイス人の二家族が、定期的に、七年間ずっと、チョコレートをスーツケースいっぱいに持ってきてくれました。あのリストで線を引いたものはすべて、兄弟姉妹の寛容を通して、神が備えてくださったのです。
そしてある年のクリスマス直前、すべてを失って教会に来るようになったレストラン経営者の夫婦が、二人の子どもと一緒にひとりぼっちで祝日を過ごすことになっていました。パトリック牧師は彼らを招待しましたが、どうすればいいのか分かりませんでした。家にはパスタしかなく、チーズすらありませんでした。クリスマスイブに、ある兄弟が大きな段ボール箱を持って玄関に立ちました。「冷凍庫がいっぱいで、もう入りきらない分を持ってきたよ。」箱の中には七面鳥、栗、アイスケーキ、フォアグラが入っていました。彼らは人生で最も美しいクリスマスのひとつを過ごしました。
神は寛容な方です。そしてあなたにも、周りの人々に対して寛容であるようにと招いておられます。
3. Pは忍耐(Patience)
神の愛の第二の特徴は忍耐です。使徒パウロがコリント人への手紙第一13章で愛を描写し始めるとき、最初に思い浮かぶのがこれです。「愛は忍耐強い」(1コリント13:4)。
福音書を読めば、主イエスが弟子たちに対して示された忍耐に驚かされることでしょう。弟子たちは何も理解していませんでした。天からのパンについて話されると、旅のためのパンを忘れたことを責められていると思い込みました。ご自分の死と復活について話されても、理解できませんでした。謙遜について話されても、誰が一番偉いかで言い争っていました。
それでもイエス様は三年半の間、彼らに対して忍耐強くあり続けられました。最高の教師、最高の師が、忍耐強かったのです。
神は忍耐強い方です。あなたにとって幸いなことです。「主は、ある人たちが遅いと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んで、あなたがたに対して忍耐しておられるのです」(2ペテロ3:9)。神の忍耐、それがあなたの救いなのです。
モーセは地上で最も柔和(忍耐強い)な人だったと言われます(民数記12:3)。彼は荒野で40年間、60万人のつぶやく民に耐え続けました。ある日、疲れ果てたモーセは神にこう願いました。「主よ、私を殺してください。もう耐えられません」(民数記11:15)。しかし神はこう答えることもできたはずです。「モーセよ、わたしはあなたと一緒に荒野で40年間待ち続けた。あなたの心からエジプトを取り除き、あなた自身から解き放つためだ。だから、あなたも忍耐しなさい。」
ですから、忍耐してください、兄弟よ、あなたの妻に対して。姉妹よ、あなたの夫に対して忍耐してください。子どもたちに対しても忍耐してください。パトリック牧師は、娘の一人が難しい思春期の危機を経験したときのことを話してくれます。感情が爆発しそうになることもありました。しかし妻はこう言ってくれました。「忍耐して、落ち着いて、一緒に祈りましょう。主が働いてくださるから。」そして実際にそうなりました。今では、その娘は主を愛しています。
うるさい隣人に対しても忍耐してください。祈ってください。きっと良くなります。なぜなら、愛は忍耐強いからです。
4. Sは奉仕(Service)
神の愛の第三の特徴は親切さ、奉仕の心です。「愛は親切です」(1コリント13:4)とあり、パウロがここで使っているギリシア語は、直接的に人に仕える能力を指し示しています。
ここでもまた、福音書を読むと、イエス様がどれほど人に仕えられたかに驚かされます。弟子たちが誰が一番偉いかで言い争ったとき、イエス様はこう答えられました。「食卓に着いている者と仕える者と、どちらが偉いでしょうか。食卓に着いている者ではありませんか。しかし、わたしはあなたがたの中にあって、仕える者としています」(ルカ22:27)。
具体的にはどういう意味でしょうか。イエス様は、しばしば片付けのために立ち上がる方だったということです。もしかすると、皿洗いをしていたのもイエス様だったかもしれません。最も偉大な者、それは仕える者なのです。
パトリック・サラフランク牧師はこう証しします。長年、自分は神の僕(しもべ)だと思っていました。しかし実際には、そこにはほど遠かったのです。その後、妻が病気になりました。パーキンソン病でした。五年前、彼女は主のもとに召されました。最後の三年間はとても厳しいものでした。
牧師は妻の世話をするために牧会を休みました。三年間、彼女を洗い、看病し、起こし、寝かせ、着替えさせました。料理もしました。それまで卵を焼いたこともなく、パスタを茹でる時間さえ知らなかった彼が、です。妻はいつもこう言っていました。「あなたがしてくれること……40年間、あなたが私に仕えてくれた。今度は私があなたに仕える番だったのに。」
そしてこの三年間、彼は人生で初めて、本当に僕(しもべ)であると感じました。「今ほど主に仕えたことはありません。」施設に入れるべきだと言う人たちに対して、彼はこう答えました。「絶対にありえません。」なぜなら、この隠された奉仕の中でこそ、彼は主に仕えていたからです。
それが愛です。具体的で、静かで、しばしば人目に見えない奉仕。あなたに犠牲を払わせるけれど、キリストの心を映し出す奉仕です。
5. 私たちの心に注がれた神の愛
G.P.S.、寛容、忍耐、奉仕。クリスチャン生活のGPSです。正しい道、正しい進路、正しい目的地へと導いてくれます。
もしかすると、正直に自分自身を見つめると、この愛からはほど遠いと感じるかもしれません。自分の心を見て、惨めに思えるかもしれません。でも、この御言葉を聞いてください。「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです」(ローマ5:5)。
聖霊が与えられているのは、異言を語るためや霊的な賜物を用いるためだけではありません。むしろそれ以上に、神の愛をあなたの心に注ぎ込むために与えられているのです。ここで使われているギリシア語は、あふれ出るもの、いっぱいになった器から下にある別の器へとこぼれ落ちていくようなものを指し示しています。
あなたはその器です。神の愛はあなたの内に注がれ、それからあなたを通してあふれ出ていかなければなりません。配偶者に、子どもたちに、兄弟姉妹に、隣人に、同僚に。あなたは自分の力でこの愛を生み出すのではありません。ただ受け取り、それを通していくのです。
覚えておきたいポイント
- 愛のうちを歩むことは、選択肢の一つではなく、キリスト教の本質そのものです。
- 神の愛は感情ではなく、具体的な決断であり、あなたの行いの中に現れます。
- Gは寛容(Générosité):御子を与えられた神にならい、あなたにとって大切なものを与えます。
- Pは忍耐(Patience):弟子たちに対するキリストにならい、長い時間をかけて相手を受け入れます。
- Sは奉仕(Service):弟子の足を洗われた主にならい、へりくだって人に仕えます。
- この愛はあなた自身が生み出すものではなく、聖霊によってあなたの内に注がれるものです(ローマ5:5)。
個人へのアプリケーション
- 今週のあなたの生活のどこで、神の愛は言葉だけでなく具体的な形にならなければなりませんか。
- 今日、神があなたに指し示しておられるのは、G、P、Sのどれでしょうか。あなたの寛容さ、忍耐、それとも奉仕の心でしょうか。
- 忍耐を取り戻さなければならない相手(配偶者、子ども、隣人、教会の兄弟)はいますか。
- ポーの牧師夫妻のように、もっと人のために時間を割けるようにするために、あなたの「贅沢」のリストから何を消すことができますか。
- 聖霊に、もう一度あなたの心に神の愛を注いでくださるよう、そしてそれが他の人にあふれ出るようにと、時間を取って祈ってください。
引用聖句
- エペソ 4:32
- エペソ 5:1-2
- レビ記 19:18
- ヨハネ 3:16
- ヨハネ 13:34
- ヨハネ第一 4:7-8
- ヨハネ第一 3:16-18
- ローマ 5:5
- ローマ 8:32
- ローマ 10:12
- コリント人への手紙第一 13:4
- ルカ 22:27
- 民数記 11:15
- 民数記 12:3
- ペテロの手紙第二 3:9
よくある質問
エペソ5章2節の「愛のうちを歩む」とはどういう意味ですか。
「愛のうちを歩む」(エペソ5:2)とは、私たちのために御自身を献げられたキリストにならい、愛をあなたの日々の生き方そのものにすることです。一時の感情ではなく、寛容、忍耐、そして人への奉仕によって特徴づけられる、持続的な歩み方なのです。
パトリック・サラフランク牧師はなぜクリスチャン生活の「GPS」について語るのですか。
GPSとは、彼が聖書の中に見出した神の愛の具体的な三つの特徴を表すアクロニムです。G(寛容:Générosité)、P(忍耐:Patience)、S(奉仕:Service)です。この三つのしるしは、本物のGPSのように、あなたをクリスチャン生活の正しい道、正しい進路、正しい目的地へと導いてくれます。
この理想からほど遠いと感じるとき、どうすれば愛せるでしょうか。
ローマ5章5節にはこうあります。「神の愛が聖霊によって私たちの心に注がれている」と。あなたは自分の力でこの愛を生み出すのではありません。祈りの中でそれを受け取り、あふれるままにし、小さな具体的な行い(ひとつの贈り物、忍耐深い態度、ひとつの奉仕)を日々積み重ねていくのです。
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- 説教者: パトリック・サラフランク(アンティーブ教会)
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