すべてが「もうやめよう」と語りかけてくる時も、イエス様と共に忍耐しましょう
「忍耐しなさい。主イエスと共に、共に忍耐していきましょう」。ニースのアリアーヌ教会の牧師、サミュエル・マブー師は、使徒の働き2章についての説教をこの言葉から始めます。何度も繰り返され、まるで懇願するように語られる言葉です。それは、集まった人々の多くが今、困難な季節を通っていることを彼が知っているからです。
何も見えない時も、忍耐しましょう。落胆している時も。病気の時も。疲れている時も。神様を感じられない時も、その声が聞こえない時も、水の上を歩いていたペテロのように沈みかけていると感じる時も。それでも忍耐するのです。
牧師は、聖書の箇所を開きます。使徒の働き2章41〜47節、ペンテコステの直後の初代教会を描いたこの土台となる箇所です。「初代教会の土台となる箇所の一つであり、今日の私たちにとっても模範となるものです」。三千人の魂がバプテスマを受けたばかりです。そして本文は、その後に彼らが何をしたかをこう記します。「彼らはひたすら、使徒たちの教え、交わり、パン裂き、祈りを守っていました」。
これが四つの柱です。キリスト者の忍耐が具体的に形となる、四つの場所です。
1. 祈りに忍耐すること:敵を退ける武器
ペンテコステの直前、使徒の働き1章14節はこう記します。「彼らはみな、心を合わせ、女たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちとともに、ひたすら祈りに専念していた」。イエス様は天に昇られたばかりでした。弟子たちは崩れ落ち、「私たちにはもう先生も導き手もいない、見捨てられた」と思ってもおかしくありませんでした。しかし彼らはそうしませんでした。彼らは祈りのために態勢を整えたのです。
サミュエル・マブー師は強調します。私たちには互いに結び合い、特に水曜日に祈りの中で集まる必要があります。互いのために、互いと共に祈るのです。しかし、知らない兄弟姉妹のために、どう祈ればよいのでしょうか。その問題を知らなければ、どう祈れるでしょうか。だからこそ、食事の時間に残ること、交わりの時間に、教会のキャンプに残ることが大切なのです。互いを知ることが、とりなしの祈りを育てます。
ローマ人への手紙12章12節も同じことを語ります。「望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りなさい」。
牧師はさらに踏み込みます。「私はこう信じています。この地上において、三位一体の神と神の霊を除けば、祈りの中で一つになった教会ほど強力なものはありません」。敵はそれを私たち以上によく知っています。だからこそ、共に祈ることから私たちを遠ざけようとするのです。この武器を用いましょう。信頼できる兄弟や、しっかりと歩んでいる姉妹に祈りを求めましょう。電話を手に取りましょう。必要なら、歩道の上でさえ祈りましょう。
2. 教えに忍耐すること:キリスト者の背骨
42節はこうも記します。「彼らはひたすら、使徒たちの教えを守っていました」。箴言4章13節。「教訓をしっかりと捉えて放すな。それを守れ、それはあなたのいのちだから」。
サミュエル・マブー師は大胆にこう例えます。「神の霊が私たちを生かす火だとするなら、神のことばはキリスト者の背骨です。背骨がなければ、あなたは立っていられません。あちこちにふらつき、崩れ落ちてしまいます」。
聖書がなければ、定期的に受けるこの教えがなければ、神が召された生き方を生きることはできません。これは文化的な選択肢ではありません。命に関わることなのです。
3. 交わりに忍耐すること:羊は群れの中で生きる
「交わり、共に一つになった教会。福音のために一つ、キリストのために一つ」。教会を一つにするのは牧師ではありません(「もし私が明日いなくなっても、また別の牧師が立てられます」)。教会を一つにするのは、イエス・キリストというお方ご自身です。
ヘブル人への手紙13章1節。「兄弟愛をいつも持っていなさい」。ここでも忍耐という概念が、困難にもかかわらず繰り返されます。牧師は辞書の定義を引きます。「意志を新たにし続けることによって、決意したことを続けること」。
そして牧師が好んで語るたとえがあります。キリスト者の人生は、深い水の中で泳ぐようなものだ、というものです。水面にとどまるためには、絶えず動き続けなければなりません。「私は浮き身をしようとしましたが、一度もうまくいきませんでした。『動かなければ浮くよ』と言われましたが、いつも沈んでしまいました」。新たにされた意志。毎朝、毎日です。
危険は、調子が悪いからと言ってキリスト者が孤立してしまう時に訪れます。「教会に来なくなることは、あなたを主からさらに遠くへと連れて行ってしまいます」。羊は群れの中で生きます。独立して生きるのは山羊です。あなたには羊小屋が、羊飼いが、みことばが、兄弟姉妹の賛美と祈りが必要なのです。
4. パン裂きに忍耐すること:十字架を思い起こす
パン裂きとは何でしょうか。それは、十字架で成し遂げられたことを思い起こすことです。「十字架は天国への入口であり、教会への入口です。十字架がなければ、イエス・キリストへの道はありません」。
日曜日ごとに、宗教的な習慣としてではなく、記念として、二千年前にイエス様が成し遂げてくださったことを思い起こすために行うのです。「十字架がなければ、私たちはここにいません。十字架がなければ、あなたもここにいません。十字架がなければ、救いはないのです」。
忍耐の原動力:希望
では、どうすれば忍耐できるのでしょうか。それは単なる自己暗示なのでしょうか。サミュエル・マブー師ははっきりと言います。違います。「私たちの忍耐は、ある特別なもの、私たちの希望と結びついています」。
山を歩いていて疲れた時、あなたを動かすのは頂上です。湖、景色、目標です。頂上がなければ、堂々巡りをして諦めてしまいます。「霊的なことでなくても、私たちがすることはすべて、何らかの希望と結びついています」。人は仕事のために学び、給料のために働きます。希望が労苦を支えるのです。
主と共にあっては、あなたを支える希望は永遠です。イエス・キリストと共にある栄光の御国です。牧師はこう語ります。「50年、60年、100年生きて、家庭を築いたとしても、その後に灯りが消えて何も残らないなら、それに何の意味があるでしょうか」。それなら何の役にも立ちません。しかし聖書は、イエス・キリストにある者には、死の後に永遠のいのちが来ると語っています。いつか、あなたはひざまずき、御座の前に冠を投げ出します。御使いたちと長老たちと共に。この希望が忍耐を育てるのです。
ローマ人への手紙5章3節は、この二つをはっきりと結びつけます。「そればかりでなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです」。
忍耐は希望と韻を踏みます。それは偶然ではありません。
落胆した時は、孤立してはいけません。戻ってきましょう
牧師は正直に語ります。すべてのキリスト者は落胆の時を通ります。「牧師でさえ、精神的につらい時があります」。彼は、ひざまずいて神の前で泣き、賛美をかけて「主よ、私を訪れてください」と語ることがあると語ります。すると神は、新しくし、養ってくださるのです。
こうした時に違いを生むのは、困難そのものではありません。その時にあなたが何をするかです。「調子が良くなったら教会に戻ろう」と思うなら、それは危険です。無意識のうちにそうなってしまうこともあります。あなたが群れを最も必要としているのは、まさに調子が悪い時なのです。
長老のもとへ、信頼できる姉妹のもとへ、良い証しを持つ兄弟のもとへ行きましょう。ただこう言うのです。「調子が良くありません。私のために祈ってください」。神が私たちに与えてくださった武器を使いましょう。約束を思い起こしましょう。神が語ってくださった日、癒してくださった日、家族の中で働いてくださった日を、携帯電話にメモしておきましょう。夜が長い時に、それを読み返すのです。
一つだけの石は、ただの小石にすぎません
ペテロの手紙第一2章4〜5節。「主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが、神の目には選ばれた、尊い生ける石です。あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。それは、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえを献げるためです」。
牧師はこのたとえを反転させます。「石は、他の石の隣にあってこそ壁を形づくります。あなた一人だけなら、あなたはただの小石にすぎません」。教会は一つの体です。手が一人で大通りを歩いているのを見たことはありません。体は一つに結ばれているのです。
彼は警鐘を鳴らします。「教会は必要ない、『教会とは私自身だ、私が聖霊の宮なのだ』と信じることは、敵の罠だと私は思います。聖書的に言えば、もし教会を信じないなら、新約聖書全体をあなたの聖書から取り除いて、律法の下にとどまることになります。新約聖書の八割から九割は、教会に宛てた手紙なのです」。
あなたが小指であっても、耳であっても、あごであっても、それがどこであろうと構いません。あなたには居場所があります。小さな足の指でさえ役に立ちます。それがなければ、バランスを失ってしまいます。あなたは役に立つ存在です。あなたはなくてはならない存在です。キリストに愛され、あなたの場所にいるのです。
招き:立ち上がって、再び歩み出しましょう
メッセージの最後に、サミュエル・マブー師は、忍耐することが難しいと感じている人たちに、その場で立ち上がり、祈りのために出るよう招きます。落胆してしまった人、教会生活から距離を置いてしまった人、霊的ないのちが乾ききってしまったように感じる人、歩みが遅くなってしまった人へ。歩みが遅くなることの危険は、やがて立ち止まってしまうことです。そして一度立ち止まると、再び歩み出すことがどれほど難しいことか。
「立ち上がりながら、あなたはこう言うのです。『主よ、私は自分の献身を新たにし、この歩みを続けることを、あるいは、ある人にとっては再びこの歩みを始めることを決意します。そして、あなたが必要です。私が忍耐できるよう助けに来てください。私の力を、私のビジョンを、私の霊的な動機を新しくしてください』」。
覚えておきたいポイント
- キリスト者の忍耐は、一人で成し遂げる偉業ではありません。それは、使徒の働き2章42節にある四つの柱、すなわち祈り、教え、交わり、パン裂きを通して生きられるものです。
- 永遠の希望が、忍耐の原動力です。栄光の御国という目標がなければ、あなたは堂々巡りをして諦めてしまいます。
- キリスト者の人生は、深い水の中で泳ぐようなものです。動くのをやめれば沈んでしまいます。毎朝、意志を新たにしましょう。
- 調子が悪い時こそ、孤立してはいけません。まさにその時こそ、あなたが群れを最も必要としている瞬間なのです。
- 一つだけの石はただの小石です。あなたはキリストの体になくてはならない存在です。小さいにもかかわらずではなく、その小ささを含めてなのです。
あなた自身への適用
- ここ数か月、私の忍耐が弱まった分野はどこでしょうか。祈り、聖書を読むこと、交わり、聖餐でしょうか。
- 私の教会生活は、本当に中心にありますか。それとも、仕事や日々の活動の付け足しになっていますか。
- 今日、私が自分に語り続ける必要がある神の約束は何でしょうか。もしかしたら、待ち受け画面にしてもよいかもしれません。
- 正直に「調子が良くありません、祈ってください」と言える兄弟や姉妹はいますか。
- 乾いた日々に立ち返れるように、神が私に、私の家族に、教会にしてくださったことを書き留めていますか。
説教で引用された聖句
- 使徒の働き 2:41-47 ・ 初代教会は、教え、交わり、パン裂き、祈りにひたすら励んでいました。
- 使徒の働き 1:14 ・ ペンテコステの前、彼らはみな心を合わせて祈りに専念していました。
- 箴言 4:13 ・ 教訓をしっかりと捉えなさい、それはあなたのいのちだから。
- ヘブル人への手紙 13:1 ・ 兄弟愛をいつも持っていなさい。
- ローマ人への手紙 12:12 ・ 望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りなさい。
- ローマ人への手紙 5:3-5 ・ 患難が忍耐を生み出し、忍耐が失望に終わらない希望を生み出す。
- 使徒の働き 14:22 ・ パウロは、多くの患難を通りながらも信仰にとどまるよう勧めています。
- ペテロの手紙第一 2:4-5 ・ あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。
よくある質問
なぜキリスト者の人生において忍耐がこれほど中心的なのですか。
それは、信仰が一瞬の高揚感の中で生きられるものではなく、長い時間の中で生きられるものだからです。使徒の働き2章は、弟子たちがバプテスマを受けたと述べるだけでなく、彼らが四つの土台となる実践に「ひたすら励んでいた」と付け加えています。回心は始まりであり、忍耐は道のりです。忍耐がなければ、最初の試練がすべてを奪い去ってしまいます。
サミュエル・マブー師によれば、具体的に忍耐を支えるものは何ですか。
永遠のいのちへの希望です。忍耐は希望と韻を踏むと、ローマ人への手紙5章3〜5節は語ります。イエス・キリストと共にある栄光の御国という目標が、今日を耐え抜く力を与えてくれるのです。この先の見通しがなければ、困難は意味を失い、諦めることが当然のことになってしまいます。
霊的に調子が悪い時に、なぜ孤立してはいけないのですか。
羊は群れの中で生きるものであり、一人で生きるのは山羊だからです。牧師はこう警告します。調子が悪い時に教会に来るのをやめてしまうと、かえって主からさらに遠ざかってしまいます。まさにこうした困難な時にこそ、信仰において成熟した兄弟や姉妹に祈りを求め、神の民の真ん中で神の臨在にとどまり続ける必要があるのです。
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