苦しみがあなたをイエスの足もとに投げ出すとき

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はじめに

新しい年を迎えるとき、いつも同じ問いが投げかけられます。今年を今までとは違う年にするために、あなたの内側で何が変わらなければならないのでしょうか。セルジーにあるメイスタッド教会での大晦日の礼拝で、説教者は新年の抱負については語りませんでした。彼が語ったのは、ある日、苦しみによってイエスの足もとに投げ出された一人の男の話でした。

この男の名はヤイロといいます。彼は会堂司であり、尊敬され、影響力を持ち、当時の宗教的、政治的権力者たちとつながりを持っていました。それにもかかわらず、聖書は彼がイエスの足もとにひれ伏し、「しきりに願った」(マルコ5:23)と記しています。娘が死にかけていたからです。この行動がすべてを変えました。彼の優先順位、彼の公的なイメージ、そしてキリストとの関係を。

あなたの新しい年へのメッセージは明確です。あなたが通り抜けている逆境、心を締めつける苦しみ、あなたを取り囲む敵対者たち、それらすべてを神は踏み台として用い、神があなたのために備えておられる次元へと押し上げてくださることができるのです。

記事の構成

1. 主の祝福は、あなたに良いことをもたらすだけでなく、あなたを整える

多くのクリスチャンは祝福を「誰かのために良いことを語り、それがその人に実現するように願うこと」としてのみ理解しています。それは正しいことです。しかし箴言10:22はさらに一歩進んでこう語ります。「人を富ませるものは主の祝福である。」

この節で「富ませる」というのは、「整える」ということでもあります。主の祝福は、あなたが成功するための備え、満足のいくことを成し遂げるための力、栄光の衣をあなたに与えます。それはあなたを霊的にたくましくしてくれるのです。

ここで説教者はあえて難しい言葉を語ります。あなたを整えるこの祝福は、逆境の中でこそ豊かにされるのだと。試練がなければ、苦しみがなければ、あなたが通り抜けてきた困難な季節がなければ、あなたは今日この教会に座っていなかったかもしれません。何らかの誘惑があなたを連れ去っていたかもしれません。あなたの霊的な人生は堅く据えられていなかったかもしれません。主についてのあなたの知識は、表面的なままだったかもしれません。

2. 神はあなたの状況を変える前に、あなたの見方を変える

使徒の働き10章で、ペテロは異邦人であるコルネリウスの家に初めて入ります。ユダヤ人の兄弟たちは彼を非難します。彼の答えは鋭いものでした。「ユダヤ人が外国人と交際したり、訪問したりすることは、律法にかなわないことは、ご承知のことと思います……しかし神は私に示してくださいました。」

心に留めておくべき言葉は「しかし神は」です。ペテロは兄弟たちにこう言っているのです。私のこの違った見方は、私自身から出たものではない。私の知性の産物でもなければ、私の考察の結果でもない。神が調整を行ってくださったのであり、今やその調整が私の行動を決めているのだ、と。

愛する者よ、この調整こそ、あなたがこの新しい年に必要としているものです。神があなたの状況を変える前に、まずあなたの目を変えてくださるように。エリシャが自分のしもべのために願ったように。「主よ、彼の目を開いてください」(列王記第二6:17)。新しいフレーム、新しいレンズです。それによって、あなたはもはや恐れによる判断ではなく、神ご自身が悟らせてくださったことに基づいた判断をするようになるためです。

3. 逆境はしばしば、開かれた門のしるしである

コリント第一16:9で、パウロはこう書いています。「五旬節までエペソにとどまるつもりです。というのは、大きな、しかも有力な門が私のために開かれていますが、反対する者もたくさんいるからです。」

ここには良い知らせと悪い知らせが一緒になっています。もしパウロが反対者たちに目を向けていたら、エペソを去っていたでしょう。彼は開かれた門に目を向け、そこにとどまりました。彼は、反対者たちの存在こそが、大きな門が開かれているしるしであることを理解していたのです。

これは民数記13章と同じ原則です。その地にアナクの子らがいるということは、そこが乳と蜜の流れる地であることの確認なのです。カレブはそれを理解していました。「彼らは私たちのえじきになる」と。あなたは乳と蜜のことを心配すればいいのです。巨人たちのことは、神が引き受けてくださいます。

逆境が激しいからといって、あなたの「エペソ」から逃げてはいけません。御霊が働かれるまで、その場にとどまってください。ある訳では次のように訳されています。「私はそこに、有望で多様な働きの見通しに満ちた、広大な活動の場を見出した。」

4. あなたの敵も、神の御手の中の道具となりうる

神はあなたの周りに、あなたを養ってくれる親切な人々を置いてくださいます。しかし時には、あなたに敵対する人々をも置き、その人々をも用いられるのです。

ヨセフは、何年にもわたる奴隷生活と不正義を経た後、兄弟たちにこう語ります。「あなたがたは、私に悪をたくらみましたが、神は、それを良いことのために計らわれました。今日のように、多くの民の命を救うためです」(創世記50:20)。そしてこう語っているとき、ヨセフはどこにいたでしょうか。宮殿にいたのです。

サムエル記第一1章のハンナも同じです。ライバルであるペニンナのあざけりと侮辱がなければ、ハンナは自分に本当に足りないものが何かを知ることはなかったでしょう。夫エルカナは、自分が「十人の息子にもまさる」と何度も彼女に言い聞かせます。それは誠実な愛でした。しかし、エルカナの愛は、神が彼女に与えようとしておられたものの代わりにはなりませんでした。ハンナが立ち上がり、主に向かって叫ぶためには、ペニンナが必要だったのです。ペニンナを経た後、ハンナの礼拝は次元を変えました。彼女はもはや、耳で聞いていた神を賛美するのではなく、自分の目で見た神を賛美するようになったのです。そしてサムエル記第一2:2の彼女の祈りは、今日もなお私たちの賛美歌の糧となっています。「主のように聖なる方はいない。まことに、あなたのほかには、だれもいない。私たちの神のような岩はいない。」

5. 苦しみはあなたの優先順位を変え、あなたをイエスの足もとに投げ出す

マルコ5章に戻りましょう。ヤイロは会堂司です。彼の評判、地位、宗教的なキャリア、そのすべてがパリサイ人たちの考えに左右されるものでした。ヨハネ12:42には、指導者たちの中にも、イエスを信じてはいたが、会堂から追放されることを恐れて公に告白しなかった者たちが多くいたと記されています。

しかしヤイロは、人々の前でイエスの足もとにひれ伏します。それは要するに、こう言っているのです。「会堂から追放されてもかまわない。イエスが娘に触れてくださりさえすれば。」苦しみが、彼のすべての優先順位を組み替えたのです。

あなたの新しい年にとって、問いは「どんな問題を避けようか」ではありません。問いはこうです。自分の苦しみを、自分を麻痺させるものとしてではなく、イエスの足もとへと押し出すものとして受け止めるだろうか、と。人を立ち往生させる苦しみもあれば、人生を変える苦しみもあるのです。

まとめ

  • 主の祝福は、あなたを満たすと同時にあなたを整えます。箴言10:22は、しばしば逆境のただ中で、あなたを鍛え上げる富について語っています。
  • 神はあなたの状況を変える前に、あなたの見方を変えます。使徒の働き10章のペテロのように、あなたの行動は、神があなたの見方の中で行われる調整の後についてくるのです。
  • 逆境は開かれた門のしるしです。パウロは多くの反対者にもかかわらずエペソにとどまりました。大きく開かれた門のほうが、障害よりも重要だったからです。
  • あなたの敵は、神のご計画のために用いられることがあります。ヨセフとハンナはそれを経験しました。彼らに対して企てられた悪は、良いことへと変えられたのです。
  • 苦しみによって、あなたをイエスの足もとに投げ出させてください。ヤイロのように、体裁を守ることよりも、人前でひれ伏すことを選び取ってください。

個人への適用

  • 過ぎ去った一年の中で、痛みにもかかわらず、主についてのあなたの知識を堅くするために用いられた試練は何でしたか。そのことについて、主に感謝する時間を取りましたか。
  • 今、神はあなたのどの見方を調整しようとしておられますか。誰について、どんな状況について、どんな関係についてでしょうか。
  • この新しい年、大きく門が開かれているにもかかわらず、あなたが逃げ出したくなっている「エペソ」はありませんか。
  • あなたの周りにはどんな敵対者がいますか。ヨセフのように、神がその人々を用いてあなたを高めてくださると考えることはできますか。
  • あなたが一人で抱えていて、まだ人前でイエスの足もとに置いていない苦しみはありませんか。それを妨げているのは何ですか。あなたの評判ですか、地位ですか、それとも他人の目に対する恐れですか。

引用聖句

よくある質問

このメッセージは、神が私たちを試すために悪を送るという意味なのですか。

いいえ。聖書は、神が悪の作者ではないことをはっきりと語っています(ヤコブ1:13)。説教者が強調しているのは、ヨセフが創世記50:20でまとめていることです。人や状況があなたに対して悪をたくらんでも、神はそれをご自分の目的を成し遂げるための良いことへと変えることができる、ということです。逆境は祝福の原因ではありませんが、その舞台となりうるのです。

「エペソにとどまる」べきか、状況を変えるべきかを、どう見分ければよいのでしょうか。

パウロの基準は、逆境がないことではなく、神によって開かれた門があるかどうかです。祈りの時間を取って、見極めてください。神は障害にもかかわらず、ここで広大な働きの場を開いてくださっているのだろうか、それとも、明確に別の場所へと導いておられるのだろうか、と。大きな決断をする前には、あなたの霊的指導者たちに助言を求めてください。

年の初めに、まだ苦しみが残っているとき、具体的に何をすればよいのでしょうか。

ヤイロにならってください。あなたの苦しみを、人前でイエスの足もとに置いてください。それは、兄弟姉妹と共に祈ること、按手を求めること、キリストが共に担おうとしておられるものを、もう一人で背負い続けるのをやめることを意味します。またハンナのようにしてください。涙の中にあっても、礼拝し続けてください。そこからこそ、しばしば新しい賛美が生まれるのです。

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