十字架で贖われたあなたは、もう罪の奴隷ではない

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はじめに

なぜイエスは死なれたのでしょうか。当たり前すぎるほど聞き慣れた問いかもしれません。でも少し立ち止まって考えてみると、一言では到底言い尽くせない神秘であることに気づかされます。聖書はこの出来事をいくつもの角度から、いくつものイメージを用いて語っています。まるでキリストが十字架で成し遂げたわざがあまりに大きく、その周りをぐるりと巡らなければすべての側面を見つめることができないかのようです。この説教でメラニー・エリスマンは、そのイメージのひとつ、「贖い(あがない)」、すなわち「買い戻し」について、あなたと一緒に見つめていきます。十字架で、イエスはあなたを贖ってくださいました。この事実は、あなたの存在そのもの、あなたの生き方すべてを変えてしまうのです。

メッセージの構成

1. 私たちは何から贖われたのか

  • 聖書は奴隷市場のイメージを用います。イエスの時代、奴隷が自由になる唯一の方法は、自由人が代価を払ってその人を買い戻し、解放することでした。新約聖書はこの比喩を用いて、イエスが十字架で成し遂げたことを説明しています。
  • あなたはこう思うかもしれません。「なぜ奴隷の話をするのか。私は21世紀の自由の国に生きているのに」と。しかしペトロは第一の手紙(第一ペトロ 1:18-19)の中で、私たちが「先祖から受け継いだむなしい生き方」から贖い出されたと書いています。
  • このむなしい遺産こそ、聖書が「罪」と呼ぶものです。堕落以来、人間が神から離れて生きることを選んで以来、すべてが歪んでしまいました。自由な者として造られた人間は、悪の支配下で奴隷となってしまったのです。
  • あなたの内側には、正しく生きたいと願っていても悪へと引きずり込む何かがあります。あなたの周りには、自己破壊へと駆り立てる圧力があります。そして、この世の君であり、偽りの父である悪魔が、神についてあなたを欺き、神から遠ざけようとしています。
  • その結果、あなたは悪循環の中にいる奴隷であり、重い負債を負っています。それは単に交通規則を破ったのではなく、神の律法を破ったからです。そして、あなた自身の力では自分を解放することができません。

2. 私たちはどのように贖われたのか

  • 神はその恵みによって、愛する者たちが罪に虐げられたままでいることを良しとされませんでした。十字架で、神はあなたの解放のために代価を払われたのです。
  • ペトロははっきりと語ります。「あなたがたが先祖伝来のむなしい生き方から贖われたのは、銀や金のような朽ちるもので贖われたのではなく、傷もしみもない小羊のようなキリストの尊い血によったのです」(第一ペトロ 1:18-19)。
  • イエスこそ、あなたの贖いの代価です。彼の完全な命の犠牲によって、あなたは奴隷から自由な者へと移されるのです。
  • この代価の重さは、二つのことをあなたに教えてくれます。まず、罪の重さです。神の御子が死ななければならなかったということは、それほど深刻な事態だったということです。罪の重大さを軽く見ることはできません。
  • 次に、あなたに対する神の愛の重さです。神は、御子をあなたのために差し出すことを高すぎる代価だとは考えませんでした。神があなたに関心を持っておられるのかと問うなら、この説教を聞き終えたあとに肯定的な答えを持たずにいることはできません。神はあなたに関心を持っておられます。あなたを造られたからだけでなく、あなたを贖ってくださったからです。しかも、そのために最大の代価を払われたのです。

3. 何のために私たちは贖われたのか

  • 神のものとなるためです。矛盾のように聞こえるでしょうか。奴隷状態から解放されたのに、結局は誰か別の存在に属することになるのでしょうか。
  • ここにこそ、聖書のメッセージのすべての力があります。本当の自由とは、あらゆる束縛から解き放たれることではありません。誰に自分をゆだねるかを、あなた自身が選べることなのです。
  • 自分の思うままに生きることは、結局のところ自分自身の奴隷になることです。それは別の形の奴隷制度にすぎません。本当に自由であるとは、あなたの創造主、この善良で正しく聖なる神に属し、あなたの人生に働きかけていただくほどにその方を信頼することです。
  • 神はイエス・キリストの命によって、あなたを罪の奴隷状態から贖い出し、あなたを自由な者、神の子とするためにそうされました。十字架のゆえに、あなたはもはや奴隷ではありません。あなたは神の子どもです。

4. この現実をどう日々生きるか

  • 第一のステップ:恵みを受け取る。贈り物を楽しむには、まずそれを受け取らなければなりません。神の恵みを受け取るとは、信じることです。イエスが十字架で成し遂げたことが、たとえ自分の理解を超えていても本当だと信じることです。信仰によってこう宣言することです。「私の負債は支払われた。私はキリストにあって自由だ」と。
  • あなたの立場は変わります。あなたはもう恐れの奴隷ではありません。もう死の奴隷ではありません。罪はもうあなたの人生について語る言葉を持ちません。他人の目も、もうあなたの人生を支配する重さを持ちません。あなたは神の子ども、御国の相続人です。
  • 第二のステップ:その恵みによって生きる。パウロはこう語ります。「この自由を得させるために、キリストは私たちを解放してくださったのです。だから、しっかり立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはなりません」(ガラテヤ 5:1)。
  • しかし、この新しいアイデンティティにふさわしく生きることは簡単ではありません。メラニーは、元受刑者の社会復帰を支援していた友人の話をしてくれます。ある日、面談の終わりに、その元受刑者が立ち上がり、閉じたドアの前まで来て、そこに立ち尽くしてしまいました。何年もの間、彼のためにドアは開けられてきたのです。彼はすでに刑務所を出ていたのに、まだ受刑者としての反射的な習慣が残っていたのです。
  • あなたも、自由になった今でも、まだ奴隷の習慣を持っているかもしれません。あなたが奴隷だったのは数年前からではなく、ずっと昔からのことでした。自分でドアを開けられないからといって、まだ牢獄にいるのだと結論づけないよう気をつけてください。あなたが新しいアイデンティティを恵みによって受け取ったのなら、そのアイデンティティを生きられるように神が御霊によってあなたを変えてくださるのも、同じく恵みによってなのです。
  • 恵みによって生きるとは、あなたの模範であるイエス・キリストに従って、新しいアイデンティティに沿って歩むことです。それは罪の奴隷状態を拒み、あなたをつなぎとめる鎖に満足しないことです。なぜなら、あなたはもっと大きなもののために召されているからです。「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです」(ガラテヤ 2:20)。

覚えておきたいポイント

  • 贖いとは買い戻しのイメージです。十字架で、イエスはあなたを罪の奴隷市場から買い戻してくださいました。
  • あなたは罪の奴隷であり、返しきれない負債の下にあり、自分自身では解放されることができませんでした。
  • あなたの贖いの代価は銀や金ではなく、傷のない小羊であるキリストの尊い血でした。
  • この代価の重さは、罪の重大さと、あなたへの神の愛の大きさの両方を明らかにします。
  • あなたは神のものとなるために贖われました。本当の自由とは自分の思うままにすることではなく、あなたの創造主に自分をゆだねることを選ぶことです。
  • この自由を日々生きるには、信仰によってそれを受け取り、たとえまだ奴隷としての反射的な習慣が残っていても、恵みによって変えられ続けることが必要です。

個人への適用

  • あなたは本当にイエス・キリストを救い主として受け入れましたか。自分の罪と、解放される必要があることを認めていますか。
  • あなたの人生の中で、キリストによって自由にされたはずなのに、まだ残っている「奴隷の習慣」は何でしょうか。恐れ、他人の目、死への恐れ、繰り返される罪でしょうか。
  • あなたは、イエスがすでに支払ってくださった負債の重さを背負ったまま生きていませんか。今日、信仰によってこう宣言できますか。「私はキリストにあって自由だ。私の負債は支払われた」と。
  • 今週、奴隷としてではなく本当に神の子どもとして生きるなら、具体的にどんな違いが生まれるでしょうか。
  • 今日、あなたは誰に、何に属することを選びますか。自分自身に、自分の欲望に、他人の目に、それともあなたを贖ってくださった善良で正しく聖なる神にでしょうか。

引用聖句

  • 第一ペトロ 1:18-19 — 「あなたがたが先祖伝来のむなしい生き方から贖われたのは...傷もしみもない小羊のようなキリストの尊い血によったのです。」
  • ガラテヤ 5:1 — 「この自由を得させるために、キリストは私たちを解放してくださったのです。だから、しっかり立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはなりません。」
  • ガラテヤ 2:20 — 「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」
  • ローマ 7:24 — 「この死のからだから、だれが私を救い出してくれるのでしょうか。」

よくある質問

義認と贖いの違いは何ですか。

義認とは法廷のイメージです。十字架で、あなたが有罪であったにもかかわらず、神はあなたを義と宣言してくださいました。贖いとは奴隷市場のイメージです。十字架で、あなたが罪の奴隷であったにもかかわらず、神はあなたを買い戻して自由にしてくださいました。この二つは、キリストの同じみわざの、互いに補い合う二つの側面です。

自由な国に生きているのに、なぜ奴隷制の話をするのですか。

聖書は内的な奴隷状態について語っています。罪、悪、恐れ、死への奴隷状態です。あなたは政治的には自由でありながら、自分自身の欲望や、他人の目、あるいは自分を滅ぼす行動の奴隷であることがあります。イエスはまさにこの奴隷状態から、十字架での死によってあなたを解放するために来られたのです。

まだ罪を犯し続けているなら、本当には解放されていないのでしょうか。

いいえ、そうではありません。あなたが奴隷だったのは数年前からではなく、ずっと昔からのことでした。解放された後でも受刑者としての反射的な習慣が残る元受刑者のように、あなたもキリストにあって自由でありながら、なお奴隷の習慣を持っていることがあります。あなたが新しいアイデンティティを受け取ったのは恵みによるものであり、神が御霊によってあなたを変え、そのアイデンティティに沿って少しずつ歩めるようにしてくださるのも、同じく恵みによるものです。

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