あなたは熱心に、喜びをもって、神のための働きを始めました。けれども困難が訪れ、落胆が忍び寄り、歩みが鈍ってしまいました。サミュエル・ヨー牧師は、2025年8月24日の礼拝メッセージで、預言者ハガイの小さな書を再び開き、一つのシンプルな真理を語ります。神はあなたを、初めの行いに立ち返り、自分の歩みをよく考え、神の家、すなわち神のかたわらで一番の場所を占める真実の家を建て直すようにと招いておられるのです。
はじめに
サミュエル・ヨー牧師は、聖餐の場面から話を始めます。マタイ26章を開き、25節で足を止めます。「イエスを引き渡そうとしていたユダが、『先生、まさか私ではないでしょう』と言った。イエスは彼に、『あなたがそう言った』と言われた。」イエスは知っておられました。ユダの心をご存じでした。それでもなお、イエスは彼の前に食卓を整え、裏切ろうとしている者と共にパンを裂かれたのです。
説教者は、本題に入る前に、あなたにこの姿勢を持ってほしいと願っています。誠実な心をもって主の食卓に近づき、自分の心を吟味し、神に語っていただくという姿勢です。そして牧師は書を変え、ハガイ書1章を開きます。
メッセージの構成
1. 神の嘆き「わたしの家は廃墟のままだ」
実に長い沈黙の時を経て、神の声が預言者ハガイを通して再び響き渡ります。このメッセージは、ユダの総督ゼルバベル、大祭司ヨシュア、そしてダレイオスの勅令によって捕囚から帰還した残りの民に向けられています。彼らはキュロスの勅令によってエルサレムに帰還しており、ハガイが語り始めたのはダレイオスの治世下でした。彼らには、ネブカドネツァルによって破壊された神殿を再建するという明確な使命がありました。
彼らは着手しました。しかしやがて放棄してしまいました。逆境が起こり、敵が立ちはだかり、障害が積み重なり、民はその働きから心を離してしまったのです。神の家が廃墟のままであるのに、それぞれが自分の家のことで忙しくなっていました。そこで神は嘆かれます。悔しさを表され、その怠りを指摘されるのです。
2. 「自分の歩みをよく考えよ」
この章の中で、神は同じ呼びかけを三度繰り返されます。「あなたがたの歩みをよく考えよ。」サミュエル・ヨー牧師はこの「考えよ」という言葉を強調します。急いではいけません。立ち止まりなさい。自分の態度、行い、選択をよく見つめなさい。なぜなら、あなたの行いはあなたについて回るからです。
神は、民の現実を驚くほど的確に描写されます。「あなたがたは多く蒔いても、取り入れは少ない。食べても満足がなく、飲んでも満ち足りることがない。着ても暖まらず、賃金を得る者は、穴のあいた袋にそれを入れるようなものだ。」この空虚さ、実を結ばない歩みの原因を、神ご自身が示されます。神の家が顧みられていないことです。畑や財産や体に及ぶ乾ききった状態は、内なる怠りが表に現れたしるしなのです。
3. 山に登り、木を運んで来なさい
続いて神は具体的な命令を下されます。「山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。わたしはそれを喜び、わたしの栄光を現す、と主は言われる。」
サミュエル・ヨー牧師は、三つの動詞に注目させます。「登る」ことは簡単ではありません。人間的に見て、山を登るには労苦が伴います。なぜあなたは麓で受け身のままでいるのでしょうか。なぜ少し登ってはすぐに下りてしまうのでしょうか。神は、あなたが神を優先し、居心地の良い谷間を後にするようにと招いておられます。「木を運ぶ」ことは、行動であり、活動であり、具体的な努力です。あなたは神の家に何かを持って来なければなりません。「建てる」ことは、たとえわずかであっても、自分が持っているもので働くことです。サレプタのやもめ(列王記第一17章)のように、わずかな粉と油しか持っていなくても、まず預言者にそれを差し出したのです。
4. 怠慢に働く者には災いがある
説教者は、居心地の悪い現実に立ち返ります。多くの信者は、神が置いてくださった場所にいません。あるいはそこにいても、怠慢にその務めを行っています。あなたは集会に遅れて来ます。持ち場に立たない理由をいつも見つけ出します。それでいて、何事もなかったかのように神の祝福を待ち続けているのです。
サミュエル・ヨー牧師はダニエル書12章3節を思い起こさせます。賢明であった者たちは、天の輝きのように光り輝きます。あなたは御国において、どのような者でありたいでしょうか。あなたの報いは、今日あなたが神に献げるものの質によって、すでに備えられつつあるのです。
5. 神が霊を奮い立たせ、従順が祝福を引き起こす
ハガイ書1章14節には、その続きが記されています。「主は、シェアルティエルの子、ユダの総督ゼルバベルの霊と、ヨツァダクの子、大祭司ヨシュアの霊と、残りのすべての民の霊とを奮い立たせられた。彼らはやって来て、自分たちの神、万軍の主の宮で仕事に取りかかった。」
サミュエル・ヨー牧師は強調します。神は、工事が完了するまで祝福を待たれたのではありません。民が従った瞬間から、祝福はすでに始まっていました。あなたの祝福は下からではなく、上から来ます。それはあなたの従順に結びついているのであって、あなたの実績によるのではありません。
6. 手を下ろしてはならない
メッセージは、疲れ果てている人への励ましで締めくくられます。牧師は、創世記から黙示録に至るまで、皆が試練を通り抜けた人物たちを引用します。獅子の穴の中のダビデ、ヨブ、モーセ、斬首されたパウロ、十字架につけられたペテロ。彼らは皆、冠をかぶる前に十字架を背負いました。イスラエルの民が最初の障害で手を下ろしてしまったように、あなたも手を下ろしてはいけません。主に信頼を置きなさい。主はあなたを見捨てられません。主は、北からも、南からも、東からも、西からも、あなたを助ける手立てを起こしてくださいます。
覚えておきたいポイント
- それぞれが自分の家のことで忙しくしている一方で神の家が顧みられていないとき、神は嘆かれます。これがハガイ書のメッセージの核心です。
- 「自分の歩みをよく考えよ」:立ち止まり、自分の行いを吟味しなさい。あなたの行いはあなたについて回るからです。
- 山に登ること、木を運ぶこと、建てること。クリスチャン生活には、優先順位、努力、そして具体的な行動が求められます。
- 怠慢に働く者には災いがあります。神は、あなたの奉仕の質と賢明さに報いてくださいます。
- 祝福は工事の終わりにではなく、従順した瞬間から始まります。
自分への適用
- あなたの生活の中で、今どの「神の家」が顧みられずにいるでしょうか。祈り、奉仕、証し、兄弟姉妹との交わりでしょうか。
- あなたはどこで、神の家を忘れるほど自分の家のことに忙しくなっているでしょうか。
- あなたが麓で受け身のままでいたいと思っている中で、神は今週どの「山」に登るようにと求めておられるでしょうか。
- サレプタのやもめのように、あなたが自分のためにとっておいているわずかなもののうち、まず主に献げるべきものは何でしょうか。
- 落胆のために放棄してしまった働きを、今日どの点において再び始めるようにと神はあなたに求めておられるでしょうか。
引用された聖句
よくある質問
今日、「初めの行いに立ち返る」とはどういう意味でしょうか。
この礼拝メッセージの題は、エペソの教会に語られた黙示録2章5節のよく知られた言葉を引いています。ハガイ書のメッセージは、その実践的な内容を教えてくれます。放棄した働きを再び始めること、神に一番の場所を返すこと、自分の歩みを吟味することです。これは懐かしむための作業ではなく、従順への決断なのです。
なぜ神はハガイ書1章で民の上に日照りを送られたのでしょうか。
それは復讐ではありません。神は、眠っている民を目覚めさせようとしておられるのです。飢饉は一つのしるしです。もっと深いところにある何かが顧みられていないというしるしです。サミュエル・ヨー牧師は、日照りを気まぐれな罰としてではなく、自分の歩みを考えるようにとの招きとして読むよう勧めています。
落胆が忍び寄るとき、どうすれば建て続けることができるでしょうか。
神ご自身が、その召しに応える者たちの霊を奮い立たせてくださること(ハガイ書1:14)、そして祝福が最後にではなく従順した瞬間から始まることを覚えておきましょう。サレプタのやもめのように、まず自分の持っているわずかなものを差し出し、それを増やしてくださる主にお任せしましょう。
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