モメンタムチャンネルの説教(救いの本質と目的、補足と適用(2))、聖書箇所:エペソ2:1-10(LSG)
「あなたがたは自分の罪過と罪の中に死んでいました……しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいた私たちをキリストとともに生かしてくださいました(あなたがたが救われたのは恵みによるのです)。神は私たちをキリストとともによみがえらせ、キリスト・イエスにあって共に天上のところに座らせてくださいました。」
エペソ2:1-6(LSG)
これがなければどんな救いも成り立たない、それほど中心的な聖書の真理があることを知っていますか。それはキリストと結ばれるということです。この説教を語った牧師自身がこう証ししています。父と自分とで二千冊以上の本を集めてきたのに、このテーマだけを扱った本は一冊も見つからなかった、と。そして、たった一週間の集中的な研究が、彼の五十六年間のクリスチャン生活を揺るがすには十分だったと言うのです。この記事では、彼の心を打ったことをあなたにもお伝えしたいと思います。なぜキリストとの結合が、エペソ2:1-10に基づく救いの隠された鍵なのか、ということです。
1. なぜ私たちはキリストと結ばれる必要があるのか
キリストとの結合を喜ぶ前に、まず現実をありのままに見つめなければなりません。あなたの出発点はどこにあったのか、です。エペソ2:1-3は、あなたを喜ばせようとはしていません。この箇所は、はっきりとこう告げています。あなたは霊的な死体だった、と。病気だったのでも、弱っていたのでもありません。死んでいたのです。
「あなたがたは自分の罪過と罪の中に死んでいました。かつてはその中を、この世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者、すなわち不従順の子らの中に今も働いている霊に従って歩んでいたのです。」(エペソ2:1-2 LSG)
1.1 神に応答することのできない死体
「死んでいた」と訳されているギリシア語は、「死体」とも訳せる言葉です。死体である以上、霊的な刺激に応答することはできません。自分から神を求めることも、自分の罪に気づくことも、悔い改めることすらできないのです。エゼキエル書も同じことを、ひとつのイメージで語っています。「これらの骨は、非常に多く、非常に乾いている」(エゼキエル37:2 LSG)。それが、キリストに出会う前のあなたの姿でした。乾ききって、霊的に盲目で、神に向かって何ひとつ始めることのできない者だったのです。
1.2 あなたを縛っていた三つの力
パウロは続けて、この死体を支配していた三つの力について語ります。
a) この世の流れ。ここで言う「世」とは、神を拒み、神を憎むものを指しています。「世があなたがたを憎むなら、世はあなたがたより先にわたしを憎んだことを知っておきなさい」(ヨハネ15:18 LSG)。イエスはまた「邪悪で姦淫の時代」(マタイ12:39 LSG)とも語っています。「流れ」と訳された言葉には、積み重なっていく時間という意味合いもあります。幾世代にもわたって積み重ねられた神への拒絶を、あなたは受け継いでいたのです。
b) 空中の権威を持つ支配者。これはサタンのことです。パウロは別の箇所で彼を「この世の神」と呼び、「信じない者たちの思いをくらませ、キリストの栄光の福音の輝きを見えなくしている」と言っています(コリント第二4:4 LSG)。エペソ2:2で使われている「働く」という動詞は、「エネルギー」の語源となった言葉です。サタンは魂を福音から遠ざけておくために、本物の力を働かせているのです。
c) あなたの肉の欲。「私たちもみな、かつてはその中にあって、自分の肉の欲の中で生活し、肉と心の望むままを行っていました」(エペソ2:3 LSG)。原語のギリシア語は強調しています。それはあなたの生き方そのもの、あなたのデフォルトの状態になっていたということです。あなたは、しぶしぶ世やサタンに従っていたわけではありません。そこに喜びを見出していたのです。パウロは後でこう確認しています。「肉の思いは神に敵対します」(ローマ8:7 LSG)。
1.3 生まれながらの怒りの子:偶然ではない
3節の終わりの言葉は、身の凍る思いがします。「私たちは生まれながら御怒りを受けるべき子らでした」。ここで使われている「子ら」というギリシア語は、2節のものとは違います。ここでは、親と密接に結びついた子、自然に受け継ぐ者を指しています。つまり、神に逆らうこの性質は、途中であなたに付け加わったものではないということです。生まれる前から、あなたの内にあったのです。ダビデもすでにこう言っています。「私は咎ある者として生まれ、母は罪ある者として私を身ごもりました」(詩篇51:5 LSG)。そしてローマ1:32はさらにこう付け加えています。人は悪を行うだけでなく、「それを行う者たちに心から同意している」、と。
心に留めてください。神の介入がなければ、あなたは完全に滅びていたのです。だからこそ、あなたは他の誰かと結ばれる必要がありました。改善されるのではなく、キリストと結ばれる必要があったのです。
2. しかし神は……すべてを変える言葉
4節の小さな言葉が、流れを一変させます。「しかし神は」。あなたは手を差し伸べられる状態にはありませんでした。神ご自身が身をかがめてくださったのです。豊かなあわれみ、大きな愛、恵み。すべては神の側から来たのであって、あなたの側から来たのではありません。
「しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいた私たちをキリストとともに生かしてくださいました。」(エペソ2:4-5 LSG)
2.1 「キリストとともに」で結ばれた三つの動詞
よく見てください。パウロは「キリストとともに」で始まる三つの動詞を使っています。神はあなたをキリストとともに生かし(5節)、キリストとともによみがえらせ(6節)、天上のところでキリストとともに座らせてくださいました(6節)。あなたはキリストのそばで救われたのでも、遠くからキリストのおかげで救われたのでもありません。あなたはキリストにあって救われ、キリストと結ばれているのです。
これこそがキリストとの結合です。キリストの死はあなたの罪に対する死となり、キリストの復活はあなたの復活となり、天におけるキリストの座は、今あなたが占めている場所となりました。あなたの記録はもう一人歩きしません。それはキリストの記録に縫い合わされているのです。
2.2 アダムからキリストへ:アイデンティティの転換
以前、あなたはアダムと結ばれていました。アダムにあって、すべての人は死にます(コリント第一15:22 LSG)。反逆というあなたの性質は、アダムから受け継いだものでした。今、あなたはキリストと結ばれています。キリストにあって、すべての人は生かされます。あなたはもうアダムの罪責を分かち合うのではなく、キリストの義を分かち合っているのです。これは救いの付属品ではありません。これこそが救いそのものなのです。
2.3 あなたの行いによってではなく、ただ恵みによって
パウロはさらに念を押します。「あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われたのです。それは自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」(エペソ2:8-9 LSG)。あなたを生きた者としたもののうち、あなたから出たものは何ひとつありません。信仰さえも、あなたが用意したものではないのです。信仰は贈り物なのです。もしいつか自分を模範的なクリスチャンだと感じそうになったら、もう一度2:1-3と2:8-9を読み返してください。
3. あなたは神の作品:あらかじめ備えられていた
「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神はこの良い行いを、私たちが行うようにと、あらかじめ備えてくださいました。」(エペソ2:10 LSG)
「作品」と訳されているギリシア語は、私たちの言葉で言う「詩」の語源になった言葉です。あなたは神の芸術作品なのです。それは、あなたが自分自身を懸命に磨き上げたからではなく、神がキリストにあってあなたを新しく造り変えてくださったからです。そして、あなたがこれから生み出す良い行いは、あなたを救うためのものではありません。あなたがすでに救われていることの、目に見えるしるしなのです。
この良い行いは、神が「あらかじめ備えて」おられたものです。あなたはすでに、神が用意された道の上を歩いています。あなたの責任は、すべてを一から考え出すことではありません。キリストと結ばれ続け、神があなたの内に置かれたものを、その内から流れ出させることなのです。
4. キリストとの結合に結びついた二つの希望
もしあなたが本当にキリストと結ばれているなら、二つの現実が、あなたの日々の視野を占めているはずです。
4.1 今、キリストがあなたの内に生きている
パウロはこうまとめています。「あなたがたの内におられるキリスト、栄光の望みです」(コロサイ1:27 LSG)。あなたはただ地位を与えられただけではありません。よみがえられたキリストが、御霊によってあなたの内に現に住んでおられるのです。かつてあなたを満たしていたもの(この世の価値観、肉の欲求)は、取り除かれました。あなたの重心を変えたのは、あなたの努力ではありません。神ご自身なのです。
ペテロは、イエスを見たことのないクリスチャンたちにこう書き送りました。「あなたがたは、イエスを見たことがないのに愛しており、今見てはいないのに信じて、言い表しがたい、栄光に満ちた喜びにあふれています。それは、あなたがたの信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです」(ペテロ第一1:8-9 LSG)。この喜びは、無理に作り出す感情ではありません。それは、実際の結合がもたらす結果なのです。
4.2 キリストは再びあなたを迎えに来られる
二つ目の希望は、将来に関わるものです。「神が死者の中からよみがえらせた御子、すなわち来たるべき怒りから私たちを救い出してくださるイエスが、天から来られるのを待ち望む」(テサロニケ第一1:10 LSG)。「待ち望む」と訳されたギリシア語の動詞には、三つの意味が絡み合っています。忍耐、希望、継続です。直訳すれば、あなたは希望をもって、忍耐をもって、決して手を放すことなく、キリストを待ち望んでいるのです。
パウロはローマの教会にこう語っています。御霊の初穂をいただいている私たちでさえ、「心のうちでうめきながら、子とされること、すなわち私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。私たちは、この望みによって救われているのです」(ローマ8:23-25 LSG)。福音は世の常識とは逆に進みます。世は目に見えるものに望みを置きますが、信仰はまだ見ていないものに望みを置くのです。
4.3 この二つの希望があなたの内に生み出すもの
ヨハネはこう書いています。「このような望みを彼にかけている者はみな、彼がきよい者であるように、自分をきよくします」(ヨハネ第一3:3 LSG)。キリストを待ち望むことは、あなたを眠らせるものではありません。あなたを聖くするのです。キリストが今あなたの内に生きておられ、いつ来られてもおかしくないと毎日思い起こすとき、あなたはこう自問するはずです。「もし今、この反応をしている自分、この考えを抱いている自分、この人の前に立っている自分を、キリストがここで見出されたら、どうされるだろうか」と。
神殿の幕が上から下まで裂けたとき(マタイ27:51 LSG)、そこには途方もないことが示されていました。かつて大祭司だけが年に一度入ることを許されていた場所に、今やあなた自身が、神の住まわれる場所となったのです。神殿は、あなたなのです。この結合はすでに現実ですが、キリストが栄光のからだをもってあなたを迎えに来られるとき、顔と顔とを合わせて、永遠に目に見えるものとなるでしょう。
覚えておきたいポイント
- キリストに出会う前、あなたは霊的な死体でした。信仰の弱い者でも、病んでいる者でもありません。死んでいたのです。あなたは神に向かって何ひとつ始めることができませんでした。
- 「しかし神は」という言葉がすべてを覆しました。あわれみも、愛も、恵みも、すべて神の側から来たのです。あなたは恵みにより、信仰という手段によって救われました。そしてその信仰自体も贈り物です。
- 救われるとは、キリストと結ばれることです。キリストとともに生き、キリストとともによみがえり、キリストとともに天上のところに座ること。これは救いの中心であって、付属品ではありません。
- あなたは神の作品です。良い行いはあなたを救うのではありません。あなたが救われたことを証明するものです。そして神は、その行いをあらかじめ備えておられました。
- 二つの希望があなたの歩みを支えます。キリストは今あなたの内に生きておられ、キリストは再びあなたを迎えに来られます。この二つが合わさって、あなたを聖くするのです。
個人的な適用
- キリストがいなければ、今日の自分は霊的な死体でしかないということを、本当に覚えているだろうか。それとも、まるで自分の救いが自分の功績であるかのように生きていないだろうか。
- 自分の人生のどの領域で、キリストにではなく、いまだにアダムと結ばれているかのようにふるまっているだろうか。
- 今キリストが自分の内に生きておられるという事実は、この世が作り出すことのできない喜びとして、自分の生活に表れているだろうか。
- もし今日キリストが来られたら、どんな思い、どんな反応、どんな関係の中に自分は見出されるだろうか。今週、何を変える必要があるだろうか。
- 自分は、神があらかじめ備えてくださった良い行いの中を歩んでいるだろうか、それとも自分なりの別の道を作り出そうとしているだろうか。
引用された聖句
- エペソ2:1-10(LSG)
- エゼキエル37:2(LSG)
- ヨハネ15:18(LSG)
- マタイ12:39(LSG)
- コリント第二4:4(LSG)
- ローマ8:7(LSG)
- 詩篇51:5(LSG)
- ローマ1:32(LSG)
- コリント第一15:22(LSG)
- コロサイ1:27(LSG)
- ペテロ第一1:8-9(LSG)
- テサロニケ第一1:10(LSG)
- ローマ8:23-25(LSG)
- ヨハネ第一3:3(LSG)
- マタイ27:51(LSG)
よくある質問
キリストとの結合とは、イメージなのでしょうか、それとも現実なのでしょうか。
現実です。パウロは、生かされた、よみがえらされた、天上のところに座らせられたという三つの具体的な動詞を使っており、そのすべてが「キリストとともに」となっています。これは詩的な比喩ではありません。あなたが死から命へと移ったその日から、神の前でのあなたの法的、霊的な立場そのものなのです。
神がすべての働きをしてくださるなら、信仰にはどんな意味があるのでしょうか。
信仰とは、あなたが恵みを受け取るための手段です。信仰そのものが神からの贈り物です(エペソ2:8)。あなたは信仰によって自分の救いを作動させるのではありません。神がキリストにあってすでに成し遂げてくださったことを、信仰によって受け入れるのです。だからこそ、誰も誇ることができません。
このキリストとの結合を、日々の生活の中でどのように具体的に生きればよいのでしょうか。
毎朝、キリストが自分の内に生きておられ、今日にも来られるかもしれないと思い起こすことです。この二重の意識(内なる臨在と、来たるべき再臨)は、あなたを聖さへと導きます。それはプレッシャーによってではなく、感謝によってです。神があらかじめ備えてくださった良い行いの中を歩んでください(エペソ2:10)。
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