偽りの弟子に現れる症状

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はじめに

アップルの創業者スティーブ・ジョブズは、2003年に膵臓がんの診断を受けました。それは進行の遅い、稀な、手術可能なタイプのがんでした。ところが彼は、医師たちが強く勧めた手術を九か月間も拒み続けました。自分なりの治療法、自分なりのやり方を選んだのです。ようやく手術を受け入れたときには、病はすでに広がっていました。後になってなぜ拒んだのかと尋ねられた彼は、こう答えています。「自分の体を開かれたくなかったんだ。」彼が押しのけたその医師は敵ではありませんでした。診断は攻撃ではありませんでした。手術は脅威ではありませんでした。そのすべてが、彼の命を救おうとするものだったのです。自分の内側をむしばんでいる病に向き合うことを拒むのは、危険なことです。まさにこれこそ、ヨハネ8章37節から47節で明らかにしていることです。イエスの前には、自分は信じていると言い、自分をアブラハムの子だと思い、神との関係は大丈夫だと確信している大勢の人々がいました。それなのに、たましいの医者であるイエスは、彼らに厳しい診断を下されます。彼らは自覚のないまま病んでいる。彼らは本当の弟子ではない。彼らは見せかけの弟子の症状を抱えている、と。この箇所は、あなたに正直に鏡を見つめるよう招いています。あなたは本物の弟子でしょうか、それともそう思い込んでいるだけの人でしょうか。

メッセージの構成

1. 見せかけの弟子は主のことばに耳を傾けない

  • イエスは群衆にこう言われました。「あなたがたがアブラハムの子孫であることは、わたしも知っています。しかし、あなたがたはわたしを殺そうとしています。わたしのことばが、あなたがたのうちに入っていないからです」(ヨハネ8:37)。
  • 「入っていない」ということばは、もう受け入れる余地のない空間を表しています。物がぎっしり詰まった冷蔵庫に、それ以上何も入れられないようなものです。
  • マルコ2章2節は、イエスが教えておられる家の様子をこう描いています。「戸口の辺りまですきまもないほどになった」と。この人々の心の中も同じ状態でした。キリストのことばの入る余地がまったくなかったのです。
  • 彼らはイエスのことばを聞いてはいました。しかし、それは滑り落ちていきました。何も心にとどまらず、何もその生き方を変えませんでした。
  • 本物の弟子と見せかけの弟子を分けるのは、聖書を耳にするかどうかではありません。そのことばが自分のうちにとどまり、へりくだってそれに従おうとするかどうかです。

2. 見せかけの弟子は主を愛さない

  • 群衆は言い返します。「私たちの父は一人、神です。」イエスは答えられます。「神があなたがたの父であれば、あなたがたはわたしを愛したはずです。わたしは神から出て来たのであり、いま神のもとから来ているのだからです」(ヨハネ8:41-42)。
  • 父への愛と御子への愛は切り離せません。神を愛していると言いながら、神が遣わされた方を拒むことはできないのです。
  • この人々は神を愛していると言っていました。しかし、イエスへの憎しみが、彼らの心の中に本当は何があるのかを暴き出しました。
  • 私たちの誰一人として、完全に神を愛せる者はいません。しかし本物の弟子は、その愛の中で成長し、倒れてもまた立ち上がり、主の矯正に心を開きます。
  • ペテロを思い出してください。彼は三度イエスを否みました。復活後、イエスは三度彼に尋ねられました。「あなたはわたしを愛していますか」(ヨハネ21:15-17)。この問いかけは彼を打ち砕き、また変えました。ペテロはその後、最後まで主に堅く結びつき、最後の手紙をこう締めくくっています。「私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい」(第二ペテロ3:18)。

3. 見せかけの弟子は別の父を愛している

  • イエスははっきりと言われます。「あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であり、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと思っています」(ヨハネ8:44)。
  • この人々は、自分たちは神の子であり、御国の相続人だと確信していました。イエスは彼らに、隠されてはいても現実である、もう一つの父性を明らかにされます。
  • 中間はありません。エペソ2章1-2節によれば、すべての人間は生まれながら空中の権威を持つ支配者の奴隷です。キリストなしには、誰も中立ではいられません。
  • 悪魔の二つの特徴が、この生き方の中に見られます。分裂させること(「悪魔」を意味するギリシア語は、人々の間に中傷を投げ込む者を表します)と、偽ること(イエスは彼を「偽りの父」と呼んでいます)です。
  • もしあなたの人生が一致よりも分裂を、真実よりも都合の良いごまかしを多く生み出しているなら、その生き方の中に、この父性の何かが漏れ出ているのです。
  • ヨハネ3章8-10節はこう確認しています。「罪を犯す者は悪魔から出た者です……神の子どもたちと悪魔の子どもたちは、こうして分かります。」

4. 見せかけの弟子は主を信じない

  • 「しかし、わたしは真理を語っているので、あなたがたはわたしを信じません。あなたがたのうちのだれが、わたしに罪があると責めることができますか。わたしが真理を語っているのに、なぜわたしを信じないのですか」(ヨハネ8:45-46)。
  • イエスは一度も過ちを犯されたことがありません。ピラト自身がこう言っています。「私はこの人に何の罪も見出さない」(ヨハネ19:6)。十字架のもとにいた百人隊長もこう認めました。「まことに、この人は正しい方であった」(ルカ23:47)。
  • イエスの真理は明白で、目に見え、筋が通っています。それでも、新しくされていない人の心は頑なにそれを拒み続けます。
  • ある人がイエスに信仰を置かない限り、その人は、自覚があってもなくても、永遠の滅びに向かって歩んでいます。
  • 良い知らせは、いのちへの門はまだ開かれているということです。ヨハネ1章12-13節はこう約束しています。「しかし、この方を受け入れた人々、すなわちその名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった」と。

覚えておきたいポイント

  • 本物の弟子は、イエスのことばを自分のうちに住まわせ、人生を変えられます。ただ聞くだけでは終わりません。
  • 神を愛することとキリストを愛することは一つです。両者を切り離すなら、自分自身に嘘をついていることになります。
  • キリストなしには、誰も霊的に中立ではいられません。私たちは皆、別の父性のもとに生まれていますが、イエスはそこから私たちを解放してくださいます。
  • 本物の信仰は宗教的な肩書きではありません。それは、十字架につけられ、よみがえられた救い主イエスに置く信頼です。
  • クリスチャンもペテロのように倒れることがあります。大切なのは、キリストへの愛と知識と従順において、絶えず成長し続けることです。

個人への適用

  1. あなたが日頃から耳にしていながら、一度も本当に自分の人生に受け入れたことのないイエスのことばは何ですか。もしそれを今週真剣に受け止めるなら、あなたは何をするでしょうか。
  2. あなたのイエスへの愛は成長していますか、それとも止まったままですか。口で告白していることと、日々の生活が示していることの間にどれほどの隔たりがあるか、正直に書き出してみてください。
  3. 他人について話すとき、対立を扱うとき、物事を語るとき、一致や真実よりも分裂や偽りに近い特徴が見られませんか。それについて何を主に明け渡す必要がありますか。
  4. もし今日イエスがペテロにしたように、あなたに「あなたはわたしを愛していますか」と尋ねられたら、ごまかさずに何と答えますか。
  5. もし自分がこれまで本当にはイエスを救い主として信じたことがないと気づいたなら、今すぐ自分の人生を主にお委ねするために、どんな祈りをささげることができますか。

関連聖句

よくある質問

自分が本物の弟子かどうか、気づかないまま外れていることもあるのに、どうすれば分かりますか。

まさにその通りで、あなたは自分の信仰を宗教的な肩書きではなく、ここでイエスが語られたしるしによって判断すべきです。主のことばはあなたのうちに根づき、あなたを変えていますか。それとも聞いても何も変わらないままですか。あなたのイエスへの愛は、たとえ代償を払うことになっても成長していますか。あなたの人生は、偽りや分裂ではなく、少しずつ真実と一致に向かっていますか。あなたの信頼は、自分のクリスチャンとしての経歴や善い行いではなく、本当にイエスの上に置かれていますか。もし答えに心が揺れるなら、それは断罪ではありません。キリストのもとに立ち返り、自分を変えて信仰を新たにしてくださるよう願う招きなのです。

では、本物のクリスチャンでも、見せかけの弟子にならずに倒れることはあるのでしょうか。

あります。ペテロがその最も明確な例です。彼は人々の前で、声に出して三度イエスを否みました。それでも彼は弟子であることをやめませんでした。本物の弟子と見せかけの弟子の違いは、倒れないことにあるのではなく、心の向かう方向にあります。本物の弟子は倒れたとき、立ち上がらせてもらい、キリストのもとに戻り、湖のほとりのペテロのように「あなたはわたしを愛していますか」と問われることを受け入れます。見せかけの弟子は、何事もなかったかのように生き続け、耳を傾けることを拒み、自分を正当化し、呼び戻す声を押しのけます。この二つはまったく逆の道筋です。

もし今日、自分がまだ本物の弟子ではないと気づいたら、具体的に何をすればよいですか。

その問いを先延ばしにしないでください。ヨハネ1章12節は、イエスを受け入れ、その名を信じる人々は神の子どもとされると約束しています。ごまかさずに、主の前で自分の本当の姿を認めてください。あなたを引き止めているもの、隠しているもの、手放すことを拒んでいるものを主に告白してください。十字架での死とよみがえりのゆえに、罪を赦してくださるよう願ってください。あなたのことば、愛、従順を含め、人生を主に明け渡してください。そして、周りにいる信仰の成熟したクリスチャンに話し、聖書を教える地元の教会に加わり、主とともに一歩ずつ歩むことを学び始めてください。

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