待ち望む世界:エステルのように証人になる

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はじめに

このメッセージは、レホボテ・イタリアの「ウェイメーカー」シリーズの最終回です。イタリア語で語られたものを、ここであなたのために翻訳しています。説教者は、何も持たずに始まり、移民として、孤児として生きたひとりの女性、エステルに立ち返ります。彼女はアハシュエロス王の宮廷にまで至り、ひとつの民全体を絶滅から救いました。その秘訣は彼女の美しさではなく、彼女があえて果たした神の使命でした。

出発点となるのは、パウロのこの言葉です。「被造物は、神の子どもたちが現れるのを切実に待ち望んでいる」(ローマ人への手紙8章19節)。あなたの成功の現れでも、あなたの快適さの現れでもなく、神があなたの中に置かれたものの現れです。世界はあなたを待っています。あなたは立ち上がりますか。

メッセージの流れ

1. エステル:従うためにすべてを手放した女性

説教者は、エステルの人物像を描くところから始めます。「決断力のある女性、勇気のある女性、神が求めることを行うためにすべてを手放すことができた女性」です。移民として、奴隷として、彼女は頂点、すなわち王の宮廷にまで上り詰めます。なぜでしょうか。神が彼女にひとつの使命、自分の民を救うために影響力を持つという使命を委ねられたからです。

世にとって、彼女の資質は美しさでした。神にとって、それは彼女の心でした。神が彼女に与えた使命を、神は彼女の心に置かれ、彼女はいのちを賭けてまでそれを成し遂げました。「私は死ななければならないのなら、死にます」(エステル記4章16節)。

2. 被造物はあなたを待っている

「被造物は、神の子どもたちが現れるのを切実に待ち望んでいる」(ローマ人への手紙8章19節)。説教者はこの動詞を強調します。地全体が、あなたが神の子として現れることを切実に願っているのです。

「現れる」とはどういう意味でしょうか。それはショーではありません。それは、神が備えられたものを、それが小さくても大きくても、あなたを通して生み出させることです。「それがどんなものであれ、神があなたに与えられたものを、被造物は待ち望んでいます。」

3. 使徒の働き1章8節:証人はまず力を受ける

「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そしてあなたがたはわたしの証人となります」(使徒の働き1章8節)。説教者は冒頭の小さな言葉、「しかし」を強調します。「しかし」があるということは、その前に何かがあったということです。

文脈はこうです。弟子たちはイエスに「イスラエルのために国を再興されるのは、この時なのですか」と尋ねたばかりでした(使徒の働き1章6節)。彼らは自分たちのこと、自分たちの民族のこと、自分たちの将来のことを考えています。イエスは彼らの視点を正されます。「その時や時期を知ることは、あなたがたの許されていることではありません。……しかしあなたがたは力を受け、わたしの証人となります。」

つまりこういうことです。「自分はどうなるのか」と問うのをやめ、証人となるために自分を整えさせ始めなさいということです。御霊の力は、あなただけのための贈り物ではありません。それはあなたが人に与えるために与えられているのです。

4. 「自分」と証人の違い

説教者はシンプルな定義を示します。

  • 「自分」は受け取って、自分のために持ち続けようとします。
  • 証人とは、与える人です。自分が受け取ったものを他の人に与える人です。

説教者は自分自身の経験を分かち合います。若い頃、彼はサッカーをしていました。ある日、彼はベンチに追いやられ、他の選手に代えられました。彼の反応はどうだったでしょうか。「すねてやろう。」二年間、彼は屈辱感に流されるまま、自分のことばかり考えていました。「私たちはしばしば、自分に何かが起こったからという理由で自分のことを考えます。本来は隣人の益を考えるべきなのに、自分のことを考えてしまうのです。」

弟子たちも同じことをしました。「イエスさま、あなたは去って行かれるのですか。では私たちはどうなるのですか。」イエスの答えはこうでした。あなたがたは力を受け、わたしの証人となる。証人はもはや自分中心ではないのです。

5. パウロ:御霊が扉を閉ざすとき

二つ目の例はパウロです。大きな回心を経て、任命された後、彼は宣教に送り出されます。しかしすべてが閉ざされます。彼はガラテヤに行きたいと思いますが、御霊がそれを妨げます。ビティニアを試みますが、イエスの御霊がそれを許しません(使徒の働き16章6〜7節)。彼は方向を見失ったまま、トロアスにたどり着きます。

説教者は指摘します。「私たちは何度、『どうしてこんなことばかり自分に起こるのか』と考えることでしょうか。」パウロもまた、自分の中に閉じこもることもできたはずです。しかし彼はそうしませんでした。彼は待ちました。すると神は彼にマケドニア人の幻を与えられました。「マケドニアに渡って来て、私たちを助けてください」(使徒の働き16章9節)。ひとりの人、ひとつの国、ひとつの民、ひとつの召しです。

メッセージはこうです。御霊が扉を閉ざすとき、それはあなたに反対しているのではありません。それは、あなたを必要としている人へと、あなたの方向を向け変えるためなのです。

6. 富める青年と、父を葬るという口実

説教者は、福音書から、対照的な二つの例を取り上げます。

富める青年(マルコの福音書10章17〜22節、ルカの福音書18章18〜23節)。イエスは彼を召されます。彼の答えは、不可能です、私はあまりに多くの財産を持っていますというものでした。彼は自分のこと、自分の安全のことを考えていました。彼はキリストに従う機会を逃したのです。

まず父を葬りたいと言った人(ルカの福音書9章59〜60節)。説教者は当時の背景を説明します。当時の文化では、息子が父の死の場に居合わせなければ、遺産を受け取ることができませんでした。この若者は実際には、イエスにこう言っているのです。「あなたに従います。しかしまず、遺産を受け取らせてください。経済的に安心できるようになったら、あなたに従います。」

説教者の結論はこうです。「私たちが自分のこと、自分の安全のことを考えている限り、私たちは証人になることができません。証人とは、証しをするためにすべてを手放し、神の摂理に信頼を置く人のことです。」

7. マリアと香油:最も大切なものを差し出す

もうひとりの人物は、マルタとラザロの姉妹であるベタニアのマリアです(ヨハネの福音書12章1〜8節、マルコの福音書14章3〜9節)。彼女は非常に高価な香油の入った壺を割り(説教者によれば「60000フラン」に相当するといいます)、それをイエスの足に注ぎます。

弟子たちはその費用のことを考えます。イエスは言われます。「彼女はわたしの体を、埋葬のために準備したのだ。」なぜマリアはこのようなことをしたのでしょうか。数日前、彼女は打ちのめされていたからです。兄弟が死に、この社会において、頼る男性のいない二人の女性にとって、兄弟を失うことは破滅を意味していました。イエスは彼女にラザロを返してくださいました。彼女の答えはこうでした。私が持っているすべてを、あなたに差し上げます。もう安全は必要ありません。私にはあなたがいるのですから。

今日への適用はこうです。イエスはあなたに家を売ることも、60000フランを差し出すことも求めてはいません。イエスがあなたに求めておられるのは、今日あなたが最も大切にしているものを差し出すことです。

8. キリストの人格と力の証人

証人であることは、と説教者は明確にします、二つの次元で成り立ちます。

  • キリストの人格の証人であること。すなわち御霊の実です。「愛、喜び、平和、忍耐、親切、善意、誠実、柔和、自制」です(ガラテヤ人への手紙5章22〜23節)。
  • キリストの力の証人であること。イエスがあなたの人生を通して、あなたに委ねられた賜物によって行いたいと願っておられることです。

「それ以上でも、それ以下でもありません。」あなた自身のことではなく、あなたの名前のことでもなく、あなたの発信力のことでもありません。「あなたがたのうちにおられる方は、世にいる者よりも大いなる方です」(ヨハネの手紙第一4章4節)。

9. 肉の心、他者を思う心

説教者は、エゼキエル書36章26節で約束される「肉の心」のイメージに立ち返ります。肉の心とは、単に感受性豊かな心ということではありません。それは、他の人のために鼓動する心のことです。自分のことばかり考える心は、たとえ宗教的であっても、石の心のままなのです。

最後の問いです。この時期、あなたの心は何を中心にしていますか。自分自身、自分の計画、自分の傷でしょうか。それとも、神があなたの道の上に置かれる人々でしょうか。

10. エステルの使命、あなたの手に委ねられて

エステルに戻りましょう。彼女は何もないところから始まり、「死んでもかまわない」という覚悟で(エステル記4章16節)決断し、実際に行動しました。説教者はこう締めくくります。「私たちの姿勢も、そのようなものでありますように。」

被造物はあなたを待っています。聖霊は今日、あなたが求めるなら、あなたを再び満たし、あなた自身ではなく、あなたの内におられる方の証人として、あなたを世界へと送り出したいと願っておられます。

心に留めたいポイント

  1. 被造物はあなたの現れを待っています。ローマ人への手紙8章19節は詩的なイメージではありません。あなたの周りの世界は、神の子どもたちが、大きくても小さくても、自分の持っているもので立ち上がることを必要としています。
  2. 力は証しに先立ちます。使徒の働き1章8節では、まず御霊の力があり、それから証人があります。何もないままに飛び出すのではなく、まず満たされるのです。
  3. 証人は「では自分は」と問うのをやめます。「自分」は受け取って持ち続けようとします。証人は与えるために受け取るのです。
  4. 妨げとなるのは、しばしば安全です。富める青年、まず遺産を求めた者。持っているものを失うことへの恐れが、私たちが従うことを妨げるのです。
  5. 御霊の実は、あなたの最初の説教です。愛、平和、忍耐、親切、自制(ガラテヤ人への手紙5章22〜23節)。世はあなたの話を聞く前に、あなたを読み取るのです。

あなた自身への適用

  1. 神がすでにあなたの心に置いてくださった「使命」で、あなたがまず自分の安全を考えるために先延ばしにしているものは何でしょうか。大きくても小さくてもかまいません。
  2. あなたの人生における聖霊の力は、今どのような状態でしょうか。ぬるいルーティンの中にありますか、それとも新たに渇き求める思いの中にありますか。
  3. 今週、あなたの周りにいる誰が、証人を待っているでしょうか。演説ではなく、与える存在を。
  4. しばらく前から御霊が閉ざしている扉はありますか。パウロがトロアスでそうだったように、あなたを別の場所へと向け変えることを受け入れることができますか。
  5. 今日、イエスがその足もとに置くようあなたに求めておられる「香油」(あなたが大切にしているもの)は何でしょうか。

引用された聖句

よくある質問

ローマ人への手紙8章19節が語る「神の子どもたちの現れ」とは何ですか。

それは、神の子どもたちが、神が彼らを創造された目的、すなわち実を結ぶこと、仕えること、証しをすること、具体的に愛することを生きる瞬間です。パウロは、被造物がうめきながらこれを待ち望んでいると言います。なぜなら、神の子どもたちの働きに満ちた存在が、死に覆われたこの世界にいのちをもたらすからです。

証人であるためには、エステルのような「大きな使命」を待たなければならないのですか。

いいえ。説教者は強調します。「それがどんなものであれ、神があなたに与えられたもの(小さくても大きくても)を、被造物は待ち望んでいます。」使命の重要性は、その大きさによってではなく、あなたがそれをどれほど忠実に担うかによって測られるのです。

パウロにそうされたように、御霊が自分をどこかへ行かせまいとしているかどうかは、どうすれば分かりますか。

機械的な公式はありません。パウロもそれを経験の中で理解していきました。扉が閉ざされること、平安が欠けること、別の方向が示されていくこと(使徒の働き16章6〜10節)です。大切なのは、すべてを前もって推測することではなく、神が備えられた「マケドニア人」を開いてくださるまで、心を開いたままでいることです。

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