いのちを受けるために、イエスのもとへ行こう

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いのちを受けるために、イエスのもとへ行こう

ヨハネ5章の後半で、イエスは安息日にベテスダの池のほとりで、ある人をいやされたばかりでした。宗教指導者たちは激怒します。イエスが彼らの伝統を破り、しかもご自分を神と等しい者とされたという理由で、彼らはイエスを殺そうとします。イエスは彼らを退けるのではなく、答えられます。ご自分が誰であるか、その権威がどこから来るのか、そして何よりも、ご自分が与えるために来られた本当のいのちとはどのようなものかを説明されます。

この箇所の主題は、一つの言葉に集約されます。いのちを受けるために、イエスのもとへ行きなさい、ということです。このいのちは、ただ息をしていることではありません。それは神との生きた関係であり、日曜の朝だけでなく、毎日養われるべき関係です。

もしあなたが、霊的にただ生き延びているだけだと感じているなら、神の臨在を味わうことなく、ただ規則を追いかけているだけだと感じているなら、この章はあなたのためのものです。いのちがどこから来るのか、どのように受け取るのか、そして今週それをどう歩み続けるのかを、この章は教えてくれます。

1. 父が愛しておられるゆえに、イエスは父がなさることをすべて行われる

19節と20節で、イエスはこう言われます。「子は、父がしておられることを見なければ、自分からは何事も行うことができません。父がなさることは何でも、子も同じように行うからです。父は子を愛して、ご自分のなさることをみな子に示されます。」

イエスと父との一致の土台は、職務上の義務ではありません。「わたしはキリストだから、正しくあらねばならない、だから神の思いを知らねばならない」というのではないのです。その土台は愛です。父が子を愛しておられるから、ご自分のなさることをすべて子に示されます。子が父を愛しておられるから、示されたことすべてに従われます。

これは、あなたにとっても何もかもを変えます。神とのあなたの関係は、まず第一に踏み越えてはならない規則のリストではありません。それは愛の関係です。神はあなたを愛しておられ、ご自分がなさること、望んでおられることをあなたに示してくださいます。そしてあなたは、今度は愛をもって応えるのです。もしあなたが、神に愛されていることを一度も思い出さずに、ただ純粋な自己鍛錬によって神に喜ばれようとするなら、あなたは疲れ果ててしまうでしょう。

2. 永遠のいのちとは、神との生きた関係です

21節から26節で、イエスは、父がいのちを与える力とさばく力を子の手に委ねられたと断言されます。「わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。」

永遠のいのちは今から始まります。それは単なる長さではなく、生き方の質です。神と関係を持ち、神とともに歩み、神の声を聞き、神に語りかけることです。

この単純な問いを自分に投げかけてみてください。あなたは一週間のうち、実際にどれだけの時間、神のほうを向いていますか。もし日曜の10時半に礼拝に来て、次の日曜まで一度も神のほうを向かないとしたら、あなたは168時間のうち、およそ1時間半しか生きていないことになります。残りの時間は、まるで死んでいるかのようです。あなたはジェットコースターに乗っているようなものです。日曜日は高揚し、平日は平坦になり、土曜の夜には渇望する。それは、くたくたに疲れることです。

あなたの家族と比べてみてください。もしあなたが配偶者と同じ屋根の下に暮らしていながら、一週間に1時間半しか言葉を交わさないとしたら、その関係はもはや思い出でしかなくなるでしょう。神との関係も同じです。神があなたに与えてくださるいのちは、神との関係の深さによって測られるのです。

3. イエスにはいのちを与え、さばく権威がある

22節から30節で、イエスは、すべての人が父を敬うのと同じように子を敬うようにと、父がすべてのさばきを子に委ねられたと言われます。イエスはまた、やがてすべての死者がイエスの声を聞き、墓から出て来る日が来ると告げられます。ある者はいのちのよみがえりに、ある者はさばきのよみがえりに。

さばきの日に問われる問いは、「あなたはどれだけ善いことをしたか」ではありません。問われるのは、「あなたはイエス・キリストを信じ、罪の赦しを受け取ったか」ということです。信仰によって神の前に義と認められた者は、いのちに入ります。それほど単純で、それほど根本的なことなのです。

あなたは、自分が十分に善い人間かどうかを問う必要はありません。誰一人として十分に善い人はいません。あなたがすべきことは、イエスのほうを向き、イエスの犠牲とよみがえりを信じ、イエスが与えてくださるいのちを受け取ることです。

4. 四つの証しがイエスの正体を裏づける

31節から40節で、イエスはご自分の正体を裏づける四つの証しを示されます。

  • バプテスマのヨハネ(33〜35節): 彼はイエスをキリストとして指し示しました。彼は「燃えて輝くともしび」でした。
  • イエスのわざ(36節): イエスが行われる奇跡は、父がイエスを遣わされたことを証ししています。
  • 父ご自身(37〜38節): 神は、みことばを受け入れる者の心の内で証しされます。
  • 聖書(39節): 「あなたがたは聖書の中に永遠のいのちがあると思って調べています。その聖書が、わたしについて証しをするのです。」

宗教指導者たちの問題は、情報の不足ではありませんでした。彼らは誰よりも聖書に精通していました。しかし、いのちを得るためにイエスのもとへ来ようとはしませんでした。彼らは聖書をそれ自体が目的であるかのように読み、キリストへと導く道としては読んでいなかったのです。

5. 最後の妨げ、心の中に神への愛がないこと

41節から44節で、イエスは拒絶の本当の根っこに指を置かれます。「あなたがたには、自分の内に神への愛がないことを、わたしは知っています。」彼らは人からの栄誉を求めていましたが、ただひとりの神から来る栄誉を求めてはいませんでした。そのような状態で、どうして信じることができるでしょうか。

このことばは、彼らだけに向けられたものではありません。私たちにも突き刺さります。私のクリスチャン生活は、神への本当の愛によって養われているでしょうか。それとも、良く見られたい、霊的に見えたい、良いクリスチャンのチェックリストにチェックを入れたいという願いによって養われているでしょうか。

45節から47節で、イエスはモーセ自身が彼らを訴えていると言って締めくくられます。彼らはモーセを信じていると主張していますが、モーセはイエスについて書いたのに、彼らはそれを信じていません。律法は、自分自身を救うための道であったことは一度もありません。律法は常に、キリストへと導く養育係でした。律法は、あなたがどれほど救い主を必要としているかを示すものです。

6. 今週、どのようにイエスのもとへ行くか

イエスのもとへ行くとは、具体的なことです。ふりをする必要も、無理に頑張って行おうとする必要もありません。それは、今あなたがいる場所から、あなたがすでに理解していることから始まります。

  • 十字架とよみがえりに立ち返りましょう。イエスがあなたのために成し遂げてくださったことを深く思い巡らしましょう。
  • 聖霊の助けを求めましょう。聖霊がいなければ、聖書はよそよそしいテキストのままです。聖霊とともにあれば、それは糧となります。
  • 説教の中で心に触れた一節、一言、一つのイメージを心に留めましょう。それを一週間、毎日思い返しましょう。
  • ただ祈りましょう。あなたを愛する父に語りかけるように、神に語りかけてください。試験官に向かうようにではなく。
  • 教会の兄弟姉妹に連絡を取りましょう。「この箇所で行き詰まっています。私のために祈ってもらえますか」。このようなメッセージが、共に生きるいのちを織り上げていきます。

覚えておきたいポイント

  • イエスと父との関係は、義務ではなく愛の上に築かれています。あなたと神との関係も同じです。
  • 永遠のいのちは、未来のある長さではありません。それは、今日から始まる神との生きた関係です。
  • さばきにおいて重要なのは、イエスを信じ、その赦しを受け取ったかどうかです。
  • 聖書はキリストについて証しします。聖書はそれ自体が目的ではなく、キリストへと導くものです。
  • 信仰への本当の妨げは、しばしば心の中に神への愛がなく、人からの栄誉を求める思いがそれに取って代わっていることです。

個人的な適用

  • 今週、日曜の礼拝以外で、実際に何時間、神のほうを向いて過ごしましたか。
  • あなたは自分の信仰を、愛の関係として生きていますか、それとも守るべき規則のリストとして生きていますか。
  • 聖書を読むとき、あなたはイエスを求めていますか、それとも覚えるべき情報だけを求めていますか。
  • あなたの生活の中に、神への愛の代わりとなっている、人からの承認を求める思いはありませんか。
  • この説教のどの一言、どの聖句を、一週間毎日携えていきますか。

引用された聖句

よくある質問

永遠のいのちは死後に始まるのですか、それとも今から始まるのですか。

ヨハネ5:24によれば、イエスを信じる者はすでに死からいのちへと移っています。永遠のいのちとは、今日から始まり、肉体の死の後も続いていく、神との関係の質です。それは単なる未来の長さではなく、今ここにある交わりなのです。

なぜイエスは、ご自分では何も行わないと言われるのですか。

イエスは、父とともに生きておられる愛の関係を描写しておられます。父はイエスにご自分のなさることを示され、子は愛によって、父と完全に一致して行動されます。これは弱さではなく、愛に基づいた一致のモデルです。神はあなたをも、その同じ一致へと招いておられます。

死んだ知識に陥ることなく、どのように聖書を読めばよいですか。

テキストを開く前に、聖霊の助けを求めましょう。読んでいる箇所の中にイエスを求めましょう、ただの情報ではなく。心に触れたことを心に留め、一週間の間それに立ち返り、神に語りかけましょう。生けるみことばは、知的な努力によってではなく、祈りの中で受け取るものです。

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