要約
ヒメナオとピレトは、パウロがテモテへの手紙第二で名指しした二人の男です。彼らは真理からはずれ、復活はすでに済んでしまったと言い、ある人々の信仰をくつがえしていました(テモテへの手紙第二2章17-18節)。ヒメナオはテモテへの手紙第一1章20節にも出てきて、アレキサンデルとともに信仰の破船に会っています。福音から外れた教えの危険と、神の揺るがない土台が心に残ります。
ヒメナオとピレトという名前の意味
ヒメナオはギリシヤ語の名で、ギリシヤ神話の結婚の神の名と同じです。ピレトもギリシヤ語の名で、一般に「愛された者」「愛するに値する者」という意味と結びつけられています。聖書はどちらの名も説明していません。
ヒメナオとピレトの生涯
違った教えを説く人々
テモテへの手紙第一1章3-7節パウロはテモテをエペソにとどまらせ、ある人々に違った教を説かないよう命じさせました。一部の者は、清い心と正しい良心と偽りのない信仰から出てくる愛からそれて空論に走り、律法の教師になろうとしながら、自分の言っていることもわからないでいます。
ヒメナオの破船
テモテへの手紙第一1章18-20節パウロはテモテに、信仰と正しい良心を保ってりっぱに戦いぬくよう勧めます。ある人々は正しい良心を捨てて信仰の破船に会い、その中にヒメナオとアレキサンデルがいました。パウロは、神を汚さないことを学ばせるため、この二人をサタンの手に渡しました。目的は彼らの矯正です。
がんのように広がる言葉
テモテへの手紙第二2章16-17節第二の手紙でパウロはテモテに、俗悪なむだ話を避けるよう言います。それによって人々はますます不信心に落ち、彼らの言葉は、がんのように腐れひろがるからです。その危険の実例として、ヒメナオとピレトの名が挙げられます。
復活はすでに済んだという教え
テモテへの手紙第二2章18節二人について、パウロは「真理からはずれ、復活はすでに済んでしまったと言い、そして、ある人々の信仰をくつがえしている」と書きます。彼らの理屈は詳しく語られませんが、将来の復活を否定することは、キリスト者の望みから中身を奪い、信者を動揺させるものでした。
神の揺るがない土台
テモテへの手紙第二2章19-26節パウロはテモテを励まします。「神のゆるがない土台はすえられていて」、主は自分の者たちを知っておられます。主の僕は争わず、すべての人に親切で、反対する者を柔和な心で教え導きます。神が彼らに悔改めの心を与え、真理を知らせてくださる望みがあるからです。
ヒメナオとピレトから学ぶこと
- 信者の将来の復活は、キリスト者の望みの中心であり、それを否定すれば信仰は揺らぎます。
- 誤った教えはがんのように広がるので、見分けて、はっきりと答える必要があります。
- 信仰を守ることは、正しい良心を保つことと切り離せません。良心を捨てれば信仰は破船に会うことがあります。
- 誤りに直面しても、主は自分の者たちを知っておられ、その土台は立ち続けます。
- 反対する者は、神が悔改めを与えてくださることを望みながら、柔和な心で教え導くべきです。
鍵となる聖句
パウロはヒメナオとピレトの名を挙げます。二人は復活がすでに済んだと言い、その言葉はがんのように広がって、ある人々の信仰をくつがえしました。
パウロは信仰の破船を、正しい良心を捨てたことと結びつけます。ヒメナオとアレキサンデルは、神を汚さないことを学ばせるためにサタンの手に渡されました。
偽りの教師たちを前にしても、神が据えた土台は立ち続けます。主は自分の者たちを知っておられ、主の名を呼ぶ者はみな不義から離れなければなりません。
ヒメナオとピレトについての説教
- 最後まで勇敢に戦い抜く信仰信仰と正しい良心は切り離せません。ヒメナオとアレキサンデルは正しい良心を捨て、その信仰は砕かれ、パウロは神を汚さないことを学ばせるために二人をサタンの手に渡しました。
- 神様はすべての人が救われることを望んでおられるこの箇所は、信仰を捨てたヒメナオとアレキサンデルに触れています。二人をサタンの手に渡すとは強い言葉で、説教者は、自分はそのような祈りをしたことがないと認めつつ、謙遜な思いでこれに向き合っています。
- 平和のうちにある家庭生活と教会生活ヒメナオとアレキサンデルは信仰の破船に会いました。二人をサタンの手に渡すのは使徒の権威に属することであり、わたしたちの務めは、自分を傷つけた人を主にゆだねることです。
よくある質問
「復活はすでに済んでしまった」とはどういう意味ですか。
パウロは彼らの教えを詳しく述べていません。多くの注解者は、ヒメナオとピレトが復活を、すでに成就した霊的な現実にすぎないと考え、キリストの再臨のときに期待される体の復活を否定したのだろうと見ます。聖書が確かに述べるのは、この考えが彼らを真理から外れさせ、ある人々の信仰をくつがえしたという点です。
「サタンの手に渡した」とはどういう意味ですか。
テモテへの手紙第一1章20節で、パウロはヒメナオとアレキサンデルをサタンの手に渡し、神を汚さないことを学ばせたと言います。一般には、使徒の権威によって行われた教会の戒規で、二人を交わりの外に置くものと理解されます。目的は矯正です。コリント人への手紙第一5章5節にも似た表現があります。
ヒメナオとピレトは聖書のどこに出てきますか。
ヒメナオはテモテへの手紙第一1章20節と第二の手紙2章17節に出てきます。ピレトは第二の手紙2章17節にだけ、ヒメナオと並んで出てきます。背景として、エペソの偽教師を扱う第一の手紙1章と、忠実な僕について語る第二の手紙2章を読むとよいでしょう。