聖書の人物 ベツサイダの盲人

生涯、名前の意味、人生の教訓

要約

ベツサイダの盲人は、ペテロの信仰告白の少し前に、ガリラヤの海べでイエスにいやされた、名の記されていない人です。人々が彼をイエスのもとに連れてくると、イエスは彼を村の外へ連れ出し、目につばきをつけ、両手を当てられました。彼ははじめぼんやりと見え、二度目に手を当てられると、はっきり見えるようになりました。この奇跡を記すのはマルコだけです。イエスは御業を最後まで成し遂げるかたです。

ベツサイダの盲人という名前の意味

聖書はこの人の名を記していません。村の名ベツサイダは「漁の家」を意味すると理解されるのが一般的で、ピリポ、アンデレ、ペテロの町でもありました(ヨハネの福音書1章44節)。

ベツサイダの盲人の生涯

  1. 見えない弟子たち

    マルコの福音書8章14-21節

    この奇跡の直前、弟子たちはパンを持って来るのを忘れたことで思い悩みます。イエスは「目があっても見えないのか」と、彼らの悟りの鈍さをたしなめ、二度のパンの奇跡を思い出させます。弟子たち自身がイエスの正体をまだはっきり見ていない、そのような場面で、盲人のいやしが行われます。

  2. 村の外へ

    マルコの福音書8章22-23節

    ベツサイダで、人々が盲人を連れてきて、さわってやっていただきたいとお願いしました。イエスは彼の手をとって村の外へ連れ出し、両方の目につばきをつけ、両手を当てて、何か見えるかと尋ねられました。群衆から離れ、イエスは一人の人と向き合う時間をとられたのです。

  3. 木のように見える

    マルコの福音書8章24節

    彼は顔を上げて答えます。「人が見えます。木のように見えます。歩いているようです」。視力は戻りましたが、まだぼんやりしています。福音書に、このような二段階のいやしは他に記されていません。イエスは落胆せず、この人を途中のままにはされませんでした。

  4. すべてがはっきりと

    マルコの福音書8章25節

    イエスが再び目の上に両手を当てられると、盲人は見つめているうちになおってきて、すべてのものがはっきりと見えだしました。主は始めたことを成し遂げられ、与えられた視力は部分的ではなく完全でした。なぜ二段階だったのかは書かれていませんが、イエスがいやしを最後まで導かれることが示されます。

  5. 村にはいってはいけない

    マルコの福音書8章26-29節

    イエスは彼を家に帰し、「村にはいってはいけない」と言われました。その直後、ピリポ・カイザリヤへの途中で、イエスは弟子たちに自分をだれと言うかと尋ね、ペテロは「あなたこそキリストです」と答えます。弟子たちの目も、イエスの正体に向かって開かれ始めていました。

ベツサイダの盲人から学ぶこと

  • イエスは一人ひとりの手をとり、群衆から離れて個人的に出会ってくださる。
  • 神のわざは段階を踏んで進むことがあり、それでも未完成ということではない。
  • ぼんやり見える状態は物語の終わりではなく、主は信じる者をはっきりした視力へと導かれる。
  • だれかをイエスのもとに連れていくことは、すでに信仰と愛の行いである。
  • イエスがだれであるかを知るには、イエスに霊の目を開いていただく必要がある。

鍵となる聖句

マルコの福音書8章25節

いやしが完成する瞬間です。二度目に手を当てられると、盲人はすべてのものがはっきりと見えだしました。イエスはわざを中途半端にしてはおかれません。

マルコの福音書8章18節

奇跡の直前の、弟子たちへのイエスの問いです。目があっても見えていません。盲人のいやしは、霊的な視力の必要を照らし出します。

ピリピ人への手紙1章6節

パウロは、信者のうちに良いわざを始められたかたが、それを完成してくださると確信しています。ベツサイダの盲人のように、神は始めたことを成し遂げられます。

ベツサイダの盲人についての説教

よくある質問

なぜイエスはベツサイダの盲人を二度に分けていやしたのですか。

本文は理由を述べていません。ただ、イエスがいやしを最後まで導かれ、ぼんやり見える状態のあと、すべてがはっきり見えるようになったことを示します。見えない弟子たちへの戒めの直後で、ペテロの告白の直前にあるこの物語は、完全な霊的視力をイエスに期待するよう促します。

ベツサイダの盲人の名前は何ですか。

聖書は記していません。マルコは、ベツサイダでイエスのもとに連れてこられた盲人としか述べません。マルコ10章でいやされたエリコの物乞い、バルテマイや、ヨハネの福音書9章の生まれつきの盲人と混同してはいけません。

ベツサイダの盲人の物語はどこにありますか。

この奇跡はマルコの福音書だけに、8章22節から26節にあります。意味をつかむには、弟子たちがまだ悟らない14節から21節と、ペテロがイエスをキリストと認める27節から30節も読んでください。

ほかの聖書の人物

← すべての人物