聖書の人物 ベテスダの池の病人

生涯、名前の意味、人生の教訓

要約

ベテスダの池の病人は、三十八年間病み、エルサレムのベテスダの池の回廊で、水が動くのを待つ多くの病人とともに横たわっていた人です(ヨハネの福音書5章1-9節)。イエスは彼を見て、長い間病んでいることを知り、よくなりたいかと尋ねます。男は、水に入れてくれる人がいないと答えます。イエスは、起きて床を取り上げ、歩きなさいと命じ、彼は安息日にいやされます。神殿で再会したイエスから、もう罪を犯してはならないと警告を受けました。

ベテスダの池の病人という名前の意味

聖書は彼の名を記していません。ヨハネは彼を三十八年間病んでいる人(5章5節)と呼び、その後は病人、いやされた人と呼ぶだけです。ベテスダの病人と呼ばれるのは、3節の病人たちの中に横たわり、水に間に合って入れないからであり、池がヘブル語でベテスダと呼ばれるからです。

ベテスダの池の病人の生涯

  1. 羊の門のそばの病人たち

    ヨハネの福音書5章1-4節

    イエスはユダヤ人の祭りのためにエルサレムに上られます。羊の門のそばに、ヘブル語でベテスダという池があり、五つの回廊がありました。そこには、病人、盲人、足なえ、からだの不自由な人が大勢横たわり、水が動くのを待っていました。だれもが、最初に水に入っていやされることを願っていました。

  2. 三十八年の病と一つの問い

    ヨハネの福音書5章5-6節

    その中に三十八年も病んでいる人がいました。イエスは彼が横たわっているのを見て、長い間病んでいることを知り、よくなりたいか、と驚くような問いを投げかけます。だれもイエスに彼のことを知らせていません。イエスは彼を知っておられ、語りかけることなくいやすのではなく、彼の意志に呼びかけられます。

  3. わたしには人がいません

    ヨハネの福音書5章7節

    男は、はいとは答えず、自分の無力を述べます。主よ、水が動くとき、池に入れてくれる人がいません。行きかけると、ほかの人が先に降りてしまうのです。何年も、他の人が自分の先を行くのを見てきました。水に望みを置いても、そこまで連れていってくれる人がいなかったのです。

  4. 起きて、床を取り上げ、歩きなさい

    ヨハネの福音書5章8-9節

    イエスは池へ行く手助けもせず、水が動くのを待たれもしません。起きて、床を取り上げて歩きなさい、と命じられます。すると、その人はすぐにいやされ、床を取り上げて歩きました。ヨハネは重い一言を添えます。その日は安息日であった、と。水が一度も与えなかったものを、イエスのことばが与えたのです。

  5. 安息日と宗教指導者

    ヨハネの福音書5章10-13節

    ユダヤ人たちは、三十八年ぶりにいやされた人ではなく、安息日に床を運ぶ人を見ます。許されないことでした。彼は、私をいやした人が、床を取り上げて歩けと言ったのです、と簡単に答えます。彼らはその人がだれかを尋ねますが、いやされた人は知りません。イエスは群衆の中に姿を消されたのです。

  6. 神殿で再会、もう罪を犯すな

    ヨハネの福音書5章14-15節

    後でイエスは神殿で彼を見つけ、あなたはよくなった、もう罪を犯してはいけない、さもないともっと悪いことが起こる、と言われます。からだのいやしがすべてではなく、イエスは新しい生き方へ招かれるのです。男は出ていき、自分をいやしたのはイエスだとユダヤ人たちに告げます。彼は、だれにいやされたのかを知ったのです。

  7. わたしの父は今に至るまで働いておられる

    ヨハネの福音書5章16-18節

    安息日のこの奇跡のゆえに、ユダヤ人たちはイエスを迫害します。イエスは、わたしの父は今に至るまで働いておられる、わたしも働くのだ、と答えられます。神を自分の父と呼び、自分を神と等しくしたことで、彼らはさらに殺そうとしました。一人のいやしは、御子がだれであるかの啓示となります。

ベテスダの池の病人から学ぶこと

  • イエスはあなたを知り、あなたの苦しみがどれほど続いているかを知っておられます。あなたがだれかを知る前から、あなたのもとに来られます。
  • 頼れる人がいないとき、イエスがおられます。水が動くのも、先に行く人も、もう当てにしないでください。
  • イエスのことばで足ります。池にたどり着く手助けではなく、起きなさいと命じられました。
  • からだのいやしが終わりではありません。イエスは、あなたが罪から離れ、ともに歩むことも願っておられます。
  • 宗教的な規則のために、神のみわざが見えなくなる人にならないでください。床を運ぶ安息日しか見なかった人々のように。

鍵となる聖句

ヨハネの福音書5章6節

イエスは男を見て、どれほど長く病んでいるかを知り、よくなりたいかと問われます。主はあなたの状況を知り、あなたの意志に語りかけます。

ヨハネの福音書5章8-9節

イエスのひとことで、三十八年病んでいた人が起き上がり、床を取り上げて歩きます。キリストの力は、どんな水にも迷信にも依存しません。

ヨハネの福音書5章14節

神殿で再会したイエスは、いやされた人にもう罪を犯さないよう促します。からだのいやしは、神との関係と罪というもっと深い問いへ開かれます。

ヨハネの福音書5章17節

安息日を破ったと責められたイエスは、父は今まで働いておられ、自分も働くと答えます。奇跡は、父と等しい御子、安息日の主を明らかにします。

ベテスダの池の病人についての説教

よくある質問

ベテスダの池の病人とは誰ですか。

三十八年間病み、エルサレムのベテスダの池の回廊で多くの病人とともに横たわっていた人です(ヨハネ5章1-9節)。イエスがよくなりたいかと尋ねると、水に入れてくれる人がいないと答えます。イエスは起きて歩くよう命じ、彼は安息日にすぐいやされました。聖書は彼の名を記していません。

イエスはなぜよくなりたいかと尋ねたのですか。

本文は説明していません。ヨハネは、イエスがその人が長く病んでいるのを知っていたことだけを記します(ヨハネ5章6節)。多くの説教者は、望みや信仰の表明を促す問いと見ますが、病人の答えが示すのは、むしろ彼の無力さ、つまり人がいないことでした。

ベテスダの池の病人の話は聖書のどこにありますか。

ヨハネの福音書5章1節から18節だけにあります。ベテスダの池でのいやし(5章1-9節)、安息日の論争(10-13節)、神殿での再会(14-15節)、そして御父についてのイエスの答え(16-18節)で、御子についての長い教えへ続きます。

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