聖書の人物 生まれつきの盲人

生涯、名前の意味、人生の教訓

要約

生まれつきの盲人は、エルサレムの物乞いで、安息日にイエスにどろを目に塗られ、シロアムの池で洗うよう言われて見えるようになった人です(ヨハネの福音書9章1-7節)。近所の人々、次いでパリサイ人に尋問されても、彼は揺らぎません。宗教指導者に追い出されますが、イエスが彼を見つけ、彼は人の子を信じて拝します。イエスが世の光であり、体の目も心の目も開いてくださることを示す物語です。

生まれつきの盲人という名前の意味

聖書は彼の名を記していません。ヨハネ9章1節が彼を生まれつきの盲人として紹介することから、そう呼ばれます。彼自身も、生まれつき盲目の者の目をあけた人があるとは聞いたことがない、と述べました(9章32節)。近所の人々にとって、彼は道ばたに座る物乞いでした。

生まれつきの盲人の生涯

  1. だれが罪を犯したのか。弟子たちの問い

    ヨハネの福音書9章1-5節

    イエスは道すがら、生まれつき目の見えない人を見られます。弟子たちは原因探しをして、本人か両親かと尋ねます。イエスは、本人も両親も罪を犯したのではなく、神のみわざが彼に現れるためだと答えられます。また、昼の間に自分を遣わした方のわざをしなければならないと言い、自分は世の光であると告げられました。

  2. どろとシロアムの池

    ヨハネの福音書9章6-7節

    イエスは地につばきをし、そのつばきでどろを作って盲人の目に塗られます。そして、シロアムの池に行って洗いなさいと送り出されました。シロアムは「遣わされた者」の意味です。彼は議論せずに従い、洗うと、見えるようになって帰っていきました。いやしは、イエスの行いと、単純な従順を通して起こりました。

  3. 近所の人々が見分けられない

    ヨハネの福音書9章8-12節

    彼を物乞いとして知っていた人々は、本当に彼なのかと迷います。彼自身が、わたしがそれだと言い、事実を簡潔に語ります。イエスという方がどろを作って目に塗り、シロアムで洗うよう言われたのです。その人はどこかと問われても、知りませんと答えます。まだイエスを知りませんが、自分に起こったことは知っていました。

  4. パリサイ人の前で、預言者です

    ヨハネの福音書9章13-17節

    いやしが安息日に行われたため、彼はパリサイ人たちのところへ連れていかれます。イエスは安息日を守らないから神からきた人ではないと言う者もいれば、罪人がどうしてこのようなしるしを行えようかと言う者もいて、意見が割れます。彼についての意見を問われ、元盲人は率直に、預言者だと思います、と答えました。

  5. 両親への尋問と追放への恐れ

    ヨハネの福音書9章18-23節

    ユダヤ人たちは彼が盲目だったことを信じず、両親を呼びます。両親は、息子であることも生まれつき盲目だったことも認めますが、それ以上は語りません。あれはもうおとなですから自分で話すでしょう、と言うだけです。ヨハネは理由を記します。イエスをキリストと告白する者を会堂から追い出すと、ユダヤ人たちがすでに決めており、両親はそれを恐れていたのです。

  6. 盲人であったのに、今は見える

    ヨハネの福音書9章24-34節

    もう一度呼ばれた彼は、イエスを罪人と断じることを拒み、「わたしは盲人であったが、今は見えるということです」と語ります。ののしられても彼は理を通します。生まれつきの盲人の目をあけた人など聞いたことがなく、この方が神からきたのでなければ何もできないはずだ、と。パリサイ人たちは彼を外へ追い出しました。

  7. あなたは人の子を信じるか

    ヨハネの福音書9章35-41節

    イエスは彼が追い出されたと聞き、彼に会って、あなたは人の子を信じるか、と尋ねられます。彼は、それはどなたですか、信じたいのですが、と答えます。イエスは、あなたはもうその人に会っている、今あなたと話しているのがその人である、と言われます。彼は、主よ、信じますと言って、イエスを拝しました。イエスは、見えない人たちが見えるようになるために来たと結ばれます。

生まれつきの盲人から学ぶこと

  • あなたの苦しみは必ずしも罪の結果ではありません。イエスはその論理を退け、神のみわざが現れる機会と見られます。
  • 信仰はしばしば単純な従順から始まります。盲人は、イエスがだれかを知る前に、洗いに行きました。
  • すべてを知らなくても証しはできます。イエスがしてくださったことを、「わたしは盲人であったが、今は見えるということです」と語りなさい。
  • 追放への恐れで黙らないでください。口をつぐんだ両親のようにならないように。
  • イエスは、自分のゆえに退けられた人を捜しに来られます。会堂から追い出された彼は、イエスご自身の啓示を受けました。

鍵となる聖句

ヨハネの福音書9章3節

イエスは罪人探しを退けられます。この人の盲目は罪の罰ではなく、神のみわざが彼に現れる機会でした。

ヨハネの福音書9章25節

パリサイ人の前で、いやされた人は証しを一言にまとめます。すべては知らないが、盲人であったのに今は見える。最も単純な証しは揺るぎません。

ヨハネの福音書9章35-38節

追放の後、イエスは彼を訪ね、ご自身を現されます。彼は信じて拝し、開かれた目が礼拝へと導きます。

ヨハネの福音書9章39節

イエスは、しるしの意味を説明されます。見えない人が見えるようになり、見えると言い張る人が自分の盲目を示されるために来られました。

生まれつきの盲人についての説教

よくある質問

聖書の生まれつきの盲人とは誰ですか。

エルサレムの物乞いで、生まれつき目が見えず、ヨハネ9章でイエスにどろを目に塗られ、シロアムの池で洗うよう言われていやされた人です。パリサイ人の前で勇敢に証しをして追い出されますが、イエスに会って人の子を信じ、拝します。聖書は彼の名を記していません。

イエスはなぜ目にどろを塗られたのですか。

本文は説明していません。ヨハネは、イエスがつばきでどろを作り、盲人の目に塗って、シロアムの池で洗うよう送ったことだけを記します(ヨハネ9章7節)。人が土のちりから造られたこと(創世記2章7節)を思い起こす読者は多いですが、これは解釈であり、本文の主張ではありません。

生まれつきの盲人の話は聖書のどこにありますか。

ヨハネ9章1節から41節にすべてがあります。弟子たちの問い、シロアムでのいやし、近所の人とパリサイ人による尋問、両親の召喚、追放、そしてイエスとの最後の出会いです。ヨハネ8章12節で、イエスが世の光であると宣言された流れの中にあります。

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