聖書は決して平気なふりを求めません。「イエスは涙を流された」— 友ラザロの墓の前で(ヨハネ11章35節)。よみがえらせる直前であってもです。悲しみは神が伴ってくださる道であり、隠すべき弱さではありません。「悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう」(マタイ5章4節)。
キリスト者の希望は涙を消すのではなく、涙を通り抜けます。私たちは「望みを持たない外の人々のように」悲しむのではなく(テサロニケ第一4章13節)、やがて「神は彼らの目から涙を全くぬぐいとって下さる」のです(黙示録21章4節)。その日まで、神は心の砕けた者を癒やされます。
悲しみに関する聖書の言葉
« 主は心の砕けた者に近く、たましいの悔いくずおれた者を救われる。 »
« 悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。 »
« イエスは涙を流された。 »
« 兄弟たちよ。眠っている人々については、無知でいてもらいたくない。望みを持たない外の人々のように、あなたがたが悲しむことのないためである。 »
« 人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。 »
« 主は心の打ち砕かれた者をいやし、その傷を包まれる。 »
« 「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。 »
« 神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。 »
悲しみに関するよくある質問
死を悲しんで泣くのは信仰の欠如ですか?
いいえ — イエスご自身が泣かれました(ヨハネ11章35節)。キリスト教信仰は痛みの否定ではありません。涙を禁じる希望ではなく、涙を通り抜ける希望です。
キリストにあって死んだ人はどうなりますか?
「からだを離れて、主と共に住む」(コリント第二5章8節)。聖書はキリストのもとでの直接の臨在と、終わりの日の復活を語ります。別離は現実ですが、一時的です。
悲しんでいる人をどう支えられますか?
神がなさるように、説明よりも臨在によってです。そばにいる、聴く、具体的に仕える。ヨブの友人たちが最も役に立ったのは、七日間黙って座っていた間でした。