聖書 — 口語訳 (1955)
イザヤ書 7
概要
イザヤ書7章は、ユダ王国にとって危機の時を舞台にしています。アハズ王はスリヤとイスラエルの連合軍に怯えていますが、励ましの言葉を受けます。敵は「燃え残りのくすぶっている切り株」にすぎないというのです。神はしるしを求めるよう勧められますが、アハズはそれを断ります。そこで預言者は、神は我々と共におられるという意味のインマヌエルのしるしを告げ、続いてアッスリヤの恐るべき襲来を告げます。この章は、マタイによる福音書がイエスの誕生の預言をここに見ていることから、広く知られています。
この章の5つの区分
1ユダの王、ウジヤの子ヨタム、その子アハズの時、スリヤの王レヂンとレマリヤの子であるイスラエルの王ペカとが上ってきて、エルサレムを攻めたが勝つことができなかった。
2時に「スリヤがエフライムと同盟している」とダビデの家に告げる者があったので、王の心と民の心とは風に動かされる林の木のように動揺した。
3その時、主はイザヤに言われた、「今、あなたとあなたの子シャル・ヤシュブと共に出て行って、布さらしの野へ行く大路に沿う上の池の水道の端でアハズに会い、
4彼に言いなさい、『気をつけて、静かにし、恐れてはならない。レヂンとスリヤおよびレマリヤの子が激しく怒っても、これら二つの燃え残りのくすぶっている切り株のゆえに心を弱くしてはならない。
5スリヤはエフライムおよびレマリヤの子と共にあなたにむかって悪い事を企てて言う、
6「われわれはユダに攻め上って、これを脅かし、われわれのためにこれを破り取り、タビエルの子をそこの王にしよう」と。
7主なる神はこう言われる、この事は決して行われない、また起ることはない。
8スリヤのかしらはダマスコ、ダマスコのかしらはレヂンである。(六十五年のうちにエフライムは敗れて、国をなさないようになる。)
9エフライムのかしらはサマリヤ、サマリヤのかしらはレマリヤの子である。もしあなたがたが信じないならば、立つことはできない』」。
10主は再びアハズに告げて言われた、
11「あなたの神、主に一つのしるしを求めよ、陰府のように深い所に、あるいは天のように高い所に求めよ」。
12しかしアハズは言った、「わたしはそれを求めて、主を試みることをいたしません」。
13そこでイザヤは言った、「ダビデの家よ、聞け。あなたがたは人を煩わすことを小さい事とし、またわが神をも煩わそうとするのか。
14それゆえ、主はみずから一つのしるしをあなたがたに与えられる。見よ、おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルととなえられる。
15その子が悪を捨て、善を選ぶことを知るころになって、凝乳と、蜂蜜とを食べる。
16それはこの子が悪を捨て、善を選ぶことを知る前に、あなたが恐れているふたりの王の地は捨てられるからである。
17主はエフライムがユダから分れた時からこのかた、臨んだことのないような日をあなたと、あなたの民と、あなたの父の家とに臨ませられる。それはアッスリヤの王である」。
18その日、主はエジプトの川々の源にいる、はえを招き、アッスリヤの地にいる蜂を呼ばれる。
19彼らはみな来て、険しい谷、岩の裂け目、すべてのいばら、すべての牧場の上にとどまる。
20その日、主は大川の向こうから雇ったかみそり、すなわちアッスリヤの王をもって、頭と足の毛とをそり、また、ひげをも除き去られる。
21その日、人は若い雌牛一頭と羊二頭を飼い、
22それから出る乳が多いので、凝乳を食べることができ、すべて国のうちに残された者は凝乳と、蜂蜜とを食べることができる。
23その日、銀一千シケルの価ある千株のぶどうの木のあった所も、ことごとくいばらと、おどろの生える所となり、
24いばらと、おどろとが地にはびこるために、人々は弓と矢をもってそこへ行く。
25くわをもって掘り耕したすべての山々にも、あなたは、いばらと、おどろとを恐れて、そこへ行くことができない。その地はただ牛を放ち、羊の踏むところとなる。
鍵となる聖句
彼に言いなさい、『気をつけて、静かにし、恐れてはならない。レヂンとスリヤおよびレマリヤの子が激しく怒っても、これら二つの燃え残りのくすぶっている切り株のゆえに心を弱くしてはならない。
神は王に、敵の怒りを前にして落ち着いているよう勧められます。敵は、くすぶっている燃え残りの切り株にすぎないと言われます。人が恐れるものも、神の目には小さなものです。
エフライムのかしらはサマリヤ、サマリヤのかしらはレマリヤの子である。もしあなたがたが信じないならば、立つことはできない』」。
この節の最後の一文は警告です。「もしあなたがたが信じないならば、立つことはできない」。民も人生も、その確かさは神への信頼にかかっています。
しかしアハズは言った、「わたしはそれを求めて、主を試みることをいたしません」。 そこでイザヤは言った、「ダビデの家よ、聞け。あなたがたは人を煩わすことを小さい事とし、またわが神をも煩わそうとするのか。
アハズは、主を試みたくないと言ってしるしを求めることを断ります。敬虔に聞こえますが、実際には他のものに頼ることを選んでおり、イザヤはそれを責めます。
それゆえ、主はみずから一つのしるしをあなたがたに与えられる。見よ、おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルととなえられる。
神ご自身がしるしを与えられます。インマヌエルと呼ばれる男の子、すなわち神は我々と共におられるという意味です。クリスチャンはここにイエスの預言を見て、マタイ1:23がそれを引用しています。ユダヤ人の読者や多くの注解者は、アハズ王の時代の文脈での第一の意味も指摘しています。
この章に登場する人物
説教が語っていること
イザヤ書7章についてよくある質問
イザヤ書7:14のインマヌエルとはどういう意味ですか。
インマヌエルは神は我々と共におられるという意味です。イザヤは、アハズ王へのしるしとして約束された子に、この名を与えています。マタイによる福音書(1:22から23)はこの節をイエスの誕生に当てはめ、イエスのうちに、民の間におられる神を見ています。そのためクリスチャンはこの節をクリスマスに読みますが、これがまずアハズに向けられた言葉であったことも認めています。
イザヤ書7:14は「おとめ」のことですか、それとも若い女のことですか。
ヘブライ語の単語は、結婚適齢期の若い女性を指します。古代ギリシア語訳とマタイによる福音書は処女と訳し、キリスト教の伝統はここにイエスの処女降誕を見ています。他方で、アハズの時代にとってのしるしの意味を重んじる読み方もあります。この点については伝統によって見方が分かれます。口語訳はここを「おとめ」と訳しています。
なぜアハズはしるしを求めることを拒んだのですか。
アハズは、主を試みたくないと答えます。謙遜のように聞こえますが、実際にはアッスリヤの力に頼って、ほかのところに安全を求めていました。それでも神は、彼の信頼を固めるためにしるしを差し出されたのです。この箇所は、信仰を口にしながら、神以外のものに頼ることがありうると教えています。
イザヤ書 7を引用している記事
口語訳(1955年)— パブリックドメイン。