聖書 — 口語訳 (1955)
エペソ人への手紙 5
概要
エペソ人への手紙5章は、具体的なクリスチャン生活を描きます。パウロは、ご自身をささげられたキリストにならい、愛のうちを歩むことで神にならうよう呼びかけます。以前の闇の生活と、光の子としてのアイデンティティを対比し、賢く生き、時を贖い、酒ではなく御霊に満たされるよう勧めます。章は、キリストの教会への愛にかたどられた結婚で終わります。この箇所の読み方は、とくに夫婦における服従と導きについて、伝統によって異なります。
この章の5つの区分
1こうして、あなたがたは、神に愛されている子供として、神にならう者になりなさい。
2また愛のうちを歩きなさい。キリストもあなたがたを愛して下さって、わたしたちのために、ご自身を、神へのかんばしいかおりのささげ物、また、いけにえとしてささげられたのである。
3また、不品行といろいろな汚れや貪欲などを、聖徒にふさわしく、あなたがたの間では、口にすることさえしてはならない。
4また、卑しい言葉と愚かな話やみだらな冗談を避けなさい。これらは、よろしくない事である。それよりは、むしろ感謝をささげなさい。
5あなたがたは、よく知っておかねばならない。すべて不品行な者、汚れたことをする者、貪欲な者、すなわち、偶像を礼拝する者は、キリストと神との国をつぐことができない。
6あなたがたは、だれにも不誠実な言葉でだまされてはいけない。これらのことから、神の怒りは不従順の子らに下るのである。
7だから、彼らの仲間になってはいけない。
8あなたがたは、以前はやみであったが、今は主にあって光となっている。光の子らしく歩きなさい――
9光はあらゆる善意と正義と真実との実を結ばせるものである――
10主に喜ばれるものがなんであるかを、わきまえ知りなさい。
11実を結ばないやみのわざに加わらないで、むしろ、それを指摘してやりなさい。
12彼らが隠れて行っていることは、口にするだけでも恥ずかしい事である。
13しかし、光にさらされる時、すべてのものは、明らかになる。
14明らかにされたものは皆、光となるのである。だから、こう書いてある、「眠っている者よ、起きなさい。死人のなかから、立ち上がりなさい。そうすれば、キリストがあなたを照すであろう」。
15そこで、あなたがたの歩きかたによく注意して、賢くない者のようにではなく、賢い者のように歩き、
16今の時を生かして用いなさい。今は悪い時代なのである。
17だから、愚かな者にならないで、主の御旨がなんであるかを悟りなさい。
18酒に酔ってはいけない。それは乱行のもとである。むしろ御霊に満たされて、
19詩とさんびと霊の歌とをもって語り合い、主にむかって心からさんびの歌をうたいなさい。
20そしてすべてのことにつき、いつも、わたしたちの主イエス・キリストの御名によって、父なる神に感謝し、
21キリストに対する恐れの心をもって、互に仕え合うべきである。
22妻たる者よ。主に仕えるように自分の夫に仕えなさい。
23キリストが教会のかしらであって、自らは、からだなる教会の救主であられるように、夫は妻のかしらである。
24そして教会がキリストに仕えるように、妻もすべてのことにおいて、夫に仕えるべきである。
25夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい。
26キリストがそうなさったのは、水で洗うことにより、言葉によって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、
27また、しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清くて傷のない栄光の姿の教会を、ご自分に迎えるためである。
28それと同じく、夫も自分の妻を、自分のからだのように愛さねばならない。自分の妻を愛する者は、自分自身を愛するのである。
29自分自身を憎んだ者は、いまだかつて、ひとりもいない。かえって、キリストが教会になさったようにして、おのれを育て養うのが常である。
30わたしたちは、キリストのからだの肢体なのである。
31「それゆえに、人は父母を離れてその妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである」。
32この奥義は大きい。それは、キリストと教会とをさしている。
33いずれにしても、あなたがたは、それぞれ、自分の妻を自分自身のように愛しなさい。妻もまた夫を敬いなさい。
鍵となる聖句
こうして、あなたがたは、神に愛されている子供として、神にならう者になりなさい。 また愛のうちを歩きなさい。キリストもあなたがたを愛して下さって、わたしたちのために、ご自身を、神へのかんばしいかおりのささげ物、また、いけにえとしてささげられたのである。
パウロは、愛への呼びかけを、愛されている子というアイデンティティの上に据えます。模範は、ご自身をささげられたキリストです。クリスチャンの愛は、この賜物に照らして測られます。
あなたがたは、以前はやみであったが、今は主にあって光となっている。光の子らしく歩きなさい――
この節は見方を変えます。以前は闇であったが、今は主にあって光となっています。行いは努力である前に、すでに受けているアイデンティティから生まれるものです。
酒に酔ってはいけない。それは乱行のもとである。むしろ御霊に満たされて、
パウロは、酒の酔いと御霊の満たしを対比します。この動詞は、保ち続けるべき状態を示唆し、続く箇所はその実を示しています。賛美、感謝、そして互いに従い合うことです。
夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい。
夫への呼びかけは、キリストが教会を愛されたように、ご自身をささげるまでに愛することです。信者は、夫婦における導きについて伝統によって異なる理解をしますが、この愛が犠牲的であることは、みな認めています。
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説教が語っていること
エペソ人への手紙5章についてよくある質問
エペソ5章16節の時を贖うとはどういう意味ですか
この表現は、機会をつかみ、与えられた時間をよく用いるよう招いています。時を過ぎるままにしないということです。訳によっては、機会を生かす、時間を最大限に用いる、などと訳されます。パウロは、危険だと見ている世にあって、それを知恵のしるしと見ています。
御霊に満たされるとはどういう意味ですか
パウロは、放蕩に至る酒の酔いと、歌、感謝、互いに従い合うことに現れる御霊の満たしを対比しています。この満たしをどう理解するかは、キリスト教の伝統によって異なりますが、いずれも神の御霊に導かれる生き方だと見ています。
エペソ5章は妻の服従と夫の愛について何と言っていますか
この箇所は、信者が互いに従い合うことから始まり、次に妻と夫に語りかけます。夫には、キリストが教会を愛し、ご自身をささげられたように妻を愛するよう呼びかけます。夫婦の導きという考え方は、教会によってさまざまに解釈されますが、本文は愛、尊敬、そして自分をささげることを強調しています。
なぜパウロは光と闇について語るのですか
信仰がもたらした変化を表すためです。信者は以前は闇でしたが、今は主にあって光となっています。このイメージは、闇のわざを拒み、光の子として歩むようにという勧めの土台となっています。
エペソ人への手紙 5を引用している記事
口語訳(1955年)— パブリックドメイン。