聖書 — 口語訳 (1955)

ガラテヤ人への手紙 2

概要

ガラテヤ人への手紙2章で、パウロは福音の真理を守り抜きます。エルサレムで教会の指導者たちと会ったこと、彼らが異邦人への宣教を認め、テトスに割礼を強いなかったことを語ります。続いて、アンテオケでペテロの態度が恵みと矛盾していたため、彼をいさめたことを記します。そこからこの章の中心が生まれます。人は律法の行いによらず、イエス・キリストを信じる信仰によって義とされるのです。パウロは個人的な告白で結びます。キリストとともに十字架につけられ、自分を愛してくださった神の御子への信仰によって生きている、と。

この章の3つの区分

  1. 1-10節エルサレムのパウロ:福音が認められ、自由が守られる
  2. 11-14節パウロ、アンテオケでペテロをいさめる
  3. 15-21節信仰による義:キリストとともに十字架につけられて

1その後十四年たってから、わたしはバルナバと一緒に、テトスをも連れて、再びエルサレムに上った。

2そこに上ったのは、啓示によってである。そして、わたしが異邦人の間に宣べ伝えている福音を、人々に示し、「重だった人たち」には個人的に示した。それは、わたしが現に走っており、またすでに走ってきたことが、むだにならないためである。

3しかし、わたしが連れていたテトスでさえ、ギリシヤ人であったのに、割礼をしいられなかった。

4それは、忍び込んできたにせ兄弟らがいたので――彼らが忍び込んできたのは、キリスト・イエスにあって持っているわたしたちの自由をねらって、わたしたちを奴隷にするためであった。

5わたしたちは、福音の真理があなたがたのもとに常にとどまっているように、瞬時も彼らの強要に屈服しなかった。

6そして、かの「重だった人たち」からは――彼らがどんな人であったにしても、それは、わたしには全く問題ではない。神は人を分け隔てなさらないのだから――事実、かの「重だった人たち」は、わたしに何も加えることをしなかった。

7それどころか、彼らは、ペテロが割礼の者への福音をゆだねられているように、わたしには無割礼の者への福音がゆだねられていることを認め、

8(というのは、ペテロに働きかけて割礼の者への使徒の務につかせたかたは、わたしにも働きかけて、異邦人につかわして下さったからである)、

9かつ、わたしに賜わった恵みを知って、柱として重んじられているヤコブとケパとヨハネとは、わたしとバルナバとに、交わりの手を差し伸べた。そこで、わたしたちは異邦人に行き、彼らは割礼の者に行くことになったのである。

10ただ一つ、わたしたちが貧しい人々をかえりみるようにとのことであったが、わたしはもとより、この事のためにも大いに努めてきたのである。

11ところが、ケパがアンテオケにきたとき、彼に非難すべきことがあったので、わたしは面とむかって彼をなじった。

12というのは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、彼は異邦人と食を共にしていたのに、彼らがきてからは、割礼の者どもを恐れ、しだいに身を引いて離れて行ったからである。

13そして、ほかのユダヤ人たちも彼と共に偽善の行為をし、バルナバまでがそのような偽善に引きずり込まれた。

14彼らが福音の真理に従ってまっすぐに歩いていないのを見て、わたしは衆人の面前でケパに言った、「あなたは、ユダヤ人であるのに、自分自身はユダヤ人のように生活しないで、異邦人のように生活していながら、どうして異邦人にユダヤ人のようになることをしいるのか」。

15わたしたちは生れながらのユダヤ人であって、異邦人なる罪人ではないが、

16人の義とされるのは律法の行いによるのではなく、ただキリスト・イエスを信じる信仰によることを認めて、わたしたちもキリスト・イエスを信じたのである。それは、律法の行いによるのではなく、キリストを信じる信仰によって義とされるためである。なぜなら、律法の行いによっては、だれひとり義とされることがないからである。

17しかし、キリストにあって義とされることを求めることによって、わたしたち自身が罪人であるとされるのなら、キリストは罪に仕える者なのであろうか。断じてそうではない。

18もしわたしが、いったん打ちこわしたものを、再び建てるとすれば、それこそ、自分が違反者であることを表明することになる。

19わたしは、神に生きるために、律法によって律法に死んだ。わたしはキリストと共に十字架につけられた。

20生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。

21わたしは、神の恵みを無にはしない。もし、義が律法によって得られるとすれば、キリストの死はむだであったことになる。

鍵となる聖句

16節
人の義とされるのは律法の行いによるのではなく、ただキリスト・イエスを信じる信仰によることを認めて、わたしたちもキリスト・イエスを信じたのである。それは、律法の行いによるのではなく、キリストを信じる信仰によって義とされるためである。なぜなら、律法の行いによっては、だれひとり義とされることがないからである。

この章の中心となる聖句です。義とされることは、律法の行いからではなく、イエス・キリストへの信仰から来ます。パウロはこれを繰り返し強調します。福音全体の土台だからです。

20節
生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。

パウロはキリスト者の生き方を、キリストとの結びつきとして描きます。古い自分はキリストとともに死に、今の生は、自分を愛された神の御子への信仰によって生きるものとなりました。「私のために」という言葉に個人的な思いがにじみます。

21節
わたしは、神の恵みを無にはしない。もし、義が律法によって得られるとすれば、キリストの死はむだであったことになる。

パウロは論理的な帰結を示します。もし義が律法によって得られるなら、キリストの死は無駄になります。恵みを受け入れることは、その恵みを無にしないことです。

4-5節
それは、忍び込んできたにせ兄弟らがいたので――彼らが忍び込んできたのは、キリスト・イエスにあって持っているわたしたちの自由をねらって、わたしたちを奴隷にするためであった。 わたしたちは、福音の真理があなたがたのもとに常にとどまっているように、瞬時も彼らの強要に屈服しなかった。

パウロは、キリスト・イエスにある自由と、それを奪おうとした人々について語ります。彼が譲らなかった理由は、ガラテヤの人々にとって福音の真理が懸かっていたからです。

この章に登場する人物

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説教が語っていること

キリストにある自由:ガラテヤ人への手紙東京クライスト教会でのガラテヤ書連続説教の第一回です。キリストが与える自由が、律法主義にも放縦にも脅かされることを語り、それを単なる赦しと区別します。義とされるとは、キリストにあって正しいと宣言されることです。要約を読む →十字架で贖われたあなたは、もう罪の奴隷ではないメラニー・エリスマンは十字架での贖いのイメージを探ります。買い戻されて自由にされた奴隷のように、信じる者は、自分では払えなかった負債から解放されます。私たちのために身をささげられたキリストの愛が、いっそう明らかになります。要約を読む →あなたの中に形成されるキリスト 今どこにいるかを示す4つの兆候セレスタン・ヤオ牧師はガラテヤ4章19節から、新しく生まれた信者は皆、キリストが内に形づくられるまで成長するよう召されていると語ります。霊的成長を測る具体的なしるしを示します。要約を読む →キリストにあって:どんな状況でも揺るがないあなたのアイデンティティアイデンティティをテーマにした連続説教で、説教者はキリストにあるという表現に目を留めます。救いはキリストのうちにあり、信じる者もキリストのうちにあり、どんな状況でもキリストにあって立つことができます。要約を読む →

ガラテヤ人への手紙2章についてよくある質問

ガラテヤ2章16節の、信仰によって義とされるとはどういう意味ですか

義とされるとは、神の前に正しいと宣言されることです。パウロは、それが律法の行いを果たすことではなく、イエス・キリストに信頼することで得られると述べます。稼ぎ取る報酬ではなく、受け取る賜物です。行いは信仰者の生活からなくなるのではなく、信仰に先立つのでなく、信仰に続くものとなります。

ガラテヤ2章20節の、私はキリストとともに十字架につけられたとはどういう意味ですか

パウロはイエスとの霊的な結びつきを語っています。十字架において、律法と罪の下にあった古い生き方が終わり、キリストに導かれる新しい生き方が始まります。自分を滅ぼそうとする努力のことではなく、愛し、ご自身をささげてくださった方への信仰のことです。この点の強調の置き方は伝統によって異なりますが、いずれもキリストにある新しいアイデンティティを見ています。

なぜパウロはアンテオケでペテロをいさめたのですか

ペテロは異邦人の信者と食事をともにしていましたが、エルサレムから来た人々を恐れて、そこから身を引くようになりました。この態度は、異邦人が十分に受け入れられるにはユダヤの習慣に従うべきだという印象を与えかねませんでした。パウロはこれを福音の真理に反するものと見て、公然と指摘しました。

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