聖書 — 口語訳 (1955)

ヘブル人への手紙 7

概要

ヘブル人への手紙7章は、イエスの祭司職がモーセの律法の祭司職にまさる理由を説明します。著者はメルキゼデクから始めます。サレムの王であり、いと高き神の祭司であった彼に、アブラハムは創世記14章で出会いました。アブラハムが十分の一をささげ、彼から祝福を受けたことから、メルキゼデクはレビ人よりもすぐれた者として示されます。イエスはその位に等しい、とこしえの祭司であり、よりすぐれた契約の保証人です。その祭司職は過ぎ去ることがありません。イエスは、神に近づく人々のために、とりなすために生きておられるのです。

この章の5つの区分

  1. 1-3節メルキゼデク、義の王、平和の王
  2. 4-10節レビにまさる祭司職
  3. 11-19節もう一人の祭司、よりすぐれた望み
  4. 20-25節誓い、よりすぐれた契約、変わることのない祭司職
  5. 26-28節完全な大祭司、ご自身を一度だけささげられた方

1このメルキゼデクはサレムの王であり、いと高き神の祭司であったが、王たちを撃破して帰るアブラハムを迎えて祝福し、

2それに対して、アブラハムは彼にすべての物の十分の一を分け与えたのである。その名の意味は、第一に義の王、次にまたサレムの王、すなわち平和の王である。

3彼には父がなく、母がなく、系図がなく、生涯の初めもなく、生命の終りもなく、神の子のようであって、いつまでも祭司なのである。

4そこで、族長のアブラハムが最もよいぶんどり品の十分の一を与えたのだから、この人がどんなにすぐれた人物であったかが、あなたがたにわかるであろう。

5さて、レビの子のうちで祭司の務をしている者たちは、兄弟である民から、同じくアブラハムの子孫であるにもかかわらず、十分の一を取るように、律法によって命じられている。

6ところが、彼らの血統に属さないこの人が、アブラハムから十分の一を受けとり、約束を受けている者を祝福したのである。

7言うまでもなく、小なる者が大なる者から祝福を受けるのである。

8その上、一方では死ぬべき人間が、十分の一を受けているが、他方では「彼は生きている者」とあかしされた人が、それを受けている。

9そこで、十分の一を受けるべきレビでさえも、アブラハムを通じて十分の一を納めた、と言える。

10なぜなら、メルキゼデクがアブラハムを迎えた時には、レビはまだこの父祖の腰の中にいたからである。

11もし全うされることがレビ系の祭司制によって可能であったら――民は祭司制の下に律法を与えられたのであるが――なんの必要があって、なお、「アロンに等しい」と呼ばれない、別な「メルキゼデクに等しい」祭司が立てられるのであるか。

12祭司制に変更があれば、律法にも必ず変更があるはずである。

13さて、これらのことは、いまだかつて祭壇に奉仕したことのない、他の部族に関して言われているのである。

14というのは、わたしたちの主がユダ族の中から出られたことは、明らかであるが、モーセは、この部族について、祭司に関することでは、ひとことも言っていない。

15そしてこの事は、メルキゼデクと同様な、ほかの祭司が立てられたことによって、ますます明白になる。

16彼は、肉につける戒めの律法によらないで、朽ちることのないいのちの力によって立てられたのである。

17それについては、聖書に「あなたこそは、永遠に、メルキゼデクに等しい祭司である」とあかしされている。

18このようにして、一方では、前の戒めが弱くかつ無益であったために無効になると共に、

19(律法は、何事をも全うし得なかったからである)、他方では、さらにすぐれた望みが現れてきて、わたしたちを神に近づかせるのである。

20その上に、このことは誓いをもってなされた。人々は、誓いをしないで祭司とされるのであるが、

21この人の場合は、次のような誓いをもってされたのである。すなわち、彼について、こう言われている、「主は誓われたが、心を変えることをされなかった。あなたこそは、永遠に祭司である」。

22このようにして、イエスは更にすぐれた契約の保証となられたのである。

23かつ、死ということがあるために、務を続けることができないので、多くの人々が祭司に立てられるのである。

24しかし彼は、永遠にいますかたであるので、変らない祭司の務を持ちつづけておられるのである。

25そこでまた、彼は、いつも生きていて彼らのためにとりなしておられるので、彼によって神に来る人々を、いつも救うことができるのである。

26このように、聖にして、悪も汚れもなく、罪人とは区別され、かつ、もろもろの天よりも高くされている大祭司こそ、わたしたちにとってふさわしいかたである。

27彼は、ほかの大祭司のように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために、日々、いけにえをささげる必要はない。なぜなら、自分をささげて、一度だけ、それをされたからである。

28律法は、弱さを身に負う人間を立てて大祭司とするが、律法の後にきた誓いの御言は、永遠に全うされた御子を立てて、大祭司としたのである。

鍵となる聖句

1-3節
このメルキゼデクはサレムの王であり、いと高き神の祭司であったが、王たちを撃破して帰るアブラハムを迎えて祝福し、 それに対して、アブラハムは彼にすべての物の十分の一を分け与えたのである。その名の意味は、第一に義の王、次にまたサレムの王、すなわち平和の王である。 彼には父がなく、母がなく、系図がなく、生涯の初めもなく、生命の終りもなく、神の子のようであって、いつまでも祭司なのである。

メルキゼデクは創世記14章に短く登場します。著者は、聖書が彼の出自にも終わりにも触れていないことに注目し、それをキリストの祭司職の影としています。彼の名は義の王という意味で、サレムは平和を思わせます。

19節
(律法は、何事をも全うし得なかったからである)、他方では、さらにすぐれた望みが現れてきて、わたしたちを神に近づかせるのである。

律法は人を完全にはしませんでした。必要を示しはしても、それを満たすことはできなかったのです。そこで、よりすぐれた望みが与えられ、それによって私たちは神に近づくことができます。

24-25節
しかし彼は、永遠にいますかたであるので、変らない祭司の務を持ちつづけておられるのである。 そこでまた、彼は、いつも生きていて彼らのためにとりなしておられるので、彼によって神に来る人々を、いつも救うことができるのである。

死のために次々と交代した祭司たちとは違い、イエスはいつまでも変わらず生きておられます。だからこそ、イエスによって神に近づく人々を完全に救うことができ、その人々のためにとりなしてくださいます。

26-27節
このように、聖にして、悪も汚れもなく、罪人とは区別され、かつ、もろもろの天よりも高くされている大祭司こそ、わたしたちにとってふさわしいかたである。 彼は、ほかの大祭司のように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために、日々、いけにえをささげる必要はない。なぜなら、自分をささげて、一度だけ、それをされたからである。

私たちに必要だった大祭司は、聖く、汚れがなく、自分の罪のために毎日ささげ物をする必要のない方です。イエスはご自身を、ただ一度だけささげられました。

この章に登場する人物

説教が語っていること

ヘブル人への手紙7章についてよくある質問

ヘブル人への手紙7章のメルキゼデクとは誰ですか

メルキゼデクは、サレムの王であり、いと高き神の祭司で、創世記14章でアブラハムを祝福した人物です。ヘブル人への手紙7章は彼をキリストの影として示します。名は義の王を意味し、サレムは平和を思わせ、聖書は彼の誕生も死も記していません。信じる人々はこの記事を、イエスがとこしえの王であり祭司であることのしるしとして読みます。

ヘブル人への手紙7章25節はどういう意味ですか

この節は、イエスが、ご自身によって神に近づく人々を完全に救うことができると述べています。いつも生きて、その人々のためにとりなしておられるからです。イエスの働きは十字架で終わらず、今も仲介者であり続けておられるということです。神に立ち返る人は、自分の功績に頼る必要がありません。

イエスの祭司職と律法の祭司職はどう違いますか

律法の祭司たちは大勢いて、死ぬ存在であり、自分自身の罪のためにもいけにえをささげなければなりませんでした。イエスは罪がなく、とこしえに生きておられ、ご自身を一度だけささげられました。その祭司職は神の誓いに基づき、よりすぐれた契約をもたらします。律法には人を完全にすることはできなかったのです。

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