救いに関する聖書の言葉25選

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はじめに

「救い」という言葉は聖書に繰り返し登場しますが、あいまいな宗教用語として受け取られることがあります。しかし、それはとても具体的なことを指しています。神から離れている状態とその結果から救い出され、神とともにある新しい生活に入ることです。このページでは、口語訳の聖書から25の言葉を五つの段階に分けて紹介します。なぜ救われる必要があるのか、なぜイエスだけがそれをなしうるのか、この救いはどのように信仰によって受けるのか、神が信じる者に与えてくださる確信、そしてそこから生まれる生き方です。初めてこの問いを考える方も、確信を固めたい方も、それぞれの箇所を文脈とともに、自分のペースで読んでください。救いは自分で得るものではなく、受け取るものです。これらの箇所がその方法を語っています。

なぜ救われる必要があるのか

1. ローマ人への手紙3章23節

「すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、」

パウロは福音を説明するためにローマの教会に書いています。だれもが神を必要としていることを示した後、こう要約します。「すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており」。宗教的な人も、信じない人も、この事実から除外されません。これがあらゆる良い知らせの出発点です。 ローマ人への手紙3章を全文で読む。

2. ローマ人への手紙6章23節

「罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。」

パウロは二つの支払いを対比します。罪は報酬として死を支払い、神は賜物を与えます。「神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのち」という一文がすべてを変えます。賜物は稼ぐものではありません。主キリスト・イエスにあって受け取れば十分です。 ローマ人への手紙6章を全文で読む。

3. ルカによる福音書19章10節

「人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである」。」

イエスはこの言葉を、皆から嫌われていた取税人ザアカイが悔い改めた直後に、彼の家で語られます。それは使命の要約です。正しい人たちを安心の中に確かめるために来たのではなく、「失われたものを尋ね出して救うため」に来たのです。人が神を求めるずっと前に、神がまず人を求めておられます。 ルカによる福音書19章を全文で読む。

4. テモテへの第一の手紙1章15節

「「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった」という言葉は、確実で、そのまま受けいれるに足るものである。わたしは、その罪人のかしらなのである。」

パウロはこれを、確実で受け入れるに足る言葉と呼びます。「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった」。そして、かつてキリスト者を迫害した自分がその罪人のかしらだと付け加えます。恵みにとって重すぎる過去はありません。 テモテへの第一の手紙1章を全文で読む。

5. イザヤ書53章5節

「しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。」

イエスの七百年前に、イザヤは民の罪のために刺し貫かれたしもべを描きました。新約聖書は、十字架のキリストをそこに見ています。この箇所は救いがどう成し遂げられるかを説明します。私たちに下るはずだった懲らしめを彼が負い、「その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ」。 イザヤ書53章を全文で読む。

イエスだけが救う

6. 使徒行伝4章12節

「この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」。」

ペテロは、足の不自由な人をいやした後に尋問する宗教指導者たちの前で語ります。証言は率直です。「この人による以外に救はない」。救われるべき名は、ほかに人間に与えられていないからです。彼が主張する唯一性は、キリストがなさったことの比類なさから来ています。 使徒行伝4章を全文で読む。

7. ヨハネによる福音書14章6節

「イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」

トマスは、道が分からないと言ったばかりです。イエスは答えます。「わたしは道であり、真理であり、命である」。道筋を示すのではなく、ご自身を示されます。救いは受け入れるべき教理ではなく、そこへ向かう一人の方です。 ヨハネによる福音書14章を全文で読む。

8. テモテへの第一の手紙2章5-6節

「神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである。 彼は、すべての人のあがないとしてご自身をささげられたが、それは、定められた時になされたあかしにほかならない。」

パウロはテモテに、すべての人が救われることを望まれる神が仲保者を与えられたと説明します。「神と人との間の仲保者もただひとり」で、それは人なるキリスト・イエスです。彼はすべての人のあがないとしてご自身をささげられました。イエスは私たちに完全に近く、同時に完全に神であられる方です。 テモテへの第一の手紙2章を全文で読む。

9. ペテロの第一の手紙1章18-19節

「あなたがたのよく知っているとおり、あなたがたが先祖伝来の空疎な生活からあがない出されたのは、銀や金のような朽ちる物によったのではなく、 きずも、しみもない小羊のようなキリストの尊い血によったのである。」

ペテロは散らされた信者たちに、解放の代価を思い出させます。彼らは銀や金で買い戻されたのではなく、傷もしみもない小羊のような「キリストの尊い血」によってあがない出されたのです。このあがないは神にとって高価で、あなたにとっては無償です。 ペテロの第一の手紙1章を全文で読む。

10. ヘブル人への手紙7章25節

「そこでまた、彼は、いつも生きていて彼らのためにとりなしておられるので、彼によって神に来る人々を、いつも救うことができるのである。」

著者は、イエスの祭司職を、死んで交代しなければならなかった旧約の祭司たちのものと比べます。イエスはいつも生きて、とりなしておられます。だからイエスによって神に来る人々を「いつも救うことができる」のです。イエスの救いは十字架で終わりません。 ヘブル人への手紙7章を全文で読む。

信仰によって受ける賜物

11. ヨハネによる福音書3章17節

「神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。」

この節は、イエスとニコデモの夜の対話の中で、ヨハネ3章16節に続いています。よくある誤解を解きます。神は世を裁くために御子を遣わされたのではなく、「御子によって、この世が救われるため」です。神があなたに向ける意図は、脅しではなく救いです。 ヨハネによる福音書3章を全文で読む。

12. 使徒行伝16章30-31節

「それから、ふたりを外に連れ出して言った、「先生がた、わたしは救われるために、何をすべきでしょうか」。 ふたりが言った、「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」。」

ピリピで、地震に恐れおののいた看守が、救われるために何をすべきかと尋ねます。パウロとシラスの答えは短いものでした。「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」。果たすべき課題の一覧ではなく、信頼するようにという招きを受けたのです。 使徒行伝16章を全文で読む。

13. ローマ人への手紙10章9-10節

「すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。 なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。」

パウロはローマの教会に、救いに伴うことを説明します。二つの結びついた行いを描きます。「自分の口で、イエスは主であると告白し」、心で、神がイエスをよみがえらせたと信じることです。救いは、心の奥で信じることと同じくらい、口で言うことにもかかわります。 ローマ人への手紙10章を全文で読む。

14. エペソ人への手紙2章8-9節

「あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。 決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。」

パウロは、主張できる資格を何も持たなかった、異邦人出身の信者たちに書いています。「あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである」と思い出させ、それは神の賜物であり、だれも誇ることがないためだと言います。救いは人をへりくだらせ、同時に自由にします。 エペソ人への手紙2章を全文で読む。

15. ローマ人への手紙10章13節

「なぜなら、「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」とあるからである。」

パウロは預言者ヨエルを引用し、この約束が一つの民族だけのものではないことを示します。「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」。すべての人に門が開かれています。単純で誠実な言葉でイエスを呼ぶことは、すでに主が聞かれる祈りです。 ローマ人への手紙10章を全文で読む。

神が与えてくださる確信

16. ヨハネによる福音書5章24節

「よくよくあなたがたに言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをつかわされたかたを信じる者は、永遠の命を受け、またさばかれることがなく、死から命に移っているのである。」

イエスはここで、「よくよく」と繰り返しながら、特別な厳粛さをもって語ります。わたしの言葉を聞き、わたしを遣わされた方を信じる者は、すでに永遠の命を持ち、「死から命に移っている」のです。動詞は過去形です。救いは単なる期待ではありません。 ヨハネによる福音書5章を全文で読む。

17. ヨハネによる福音書10章27-28節

「わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。 わたしは、彼らに永遠の命を与える。だから、彼らはいつまでも滅びることがなく、また、彼らをわたしの手から奪い去る者はない。」

イエスはご自分を、羊を知っている羊飼いとして示します。羊は声を聞いてついて行きます。イエスは彼らに永遠の命を与え、「いつまでも滅びることがなく」、だれも彼らをわたしの手から奪い去る者はないと断言されます。羊の安全は、羊の力ではなく、羊飼いの力にかかっています。 ヨハネによる福音書10章を全文で読む。

18. ヨハネの第一の手紙5章11-13節

「そのあかしとは、神が永遠のいのちをわたしたちに賜わり、かつ、そのいのちが御子のうちにあるということである。 御子を持つ者はいのちを持ち、神の御子を持たない者はいのちを持っていない。 これらのことをあなたがたに書きおくったのは、神の子の御名を信じるあなたがたに、永遠のいのちを持っていることを、悟らせるためである。」

ヨハネは明確な目的をもって手紙を書き、それを最後に述べます。信じる者たちが、永遠のいのちを持っていることを知るためです。確信は決して高慢ではありません。それは神があなたのために望んでおられることです。 ヨハネの第一の手紙5章を全文で読む。

19. ペテロの第一の手紙1章3-5節

「ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神は、その豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ、 あなたがたのために天にたくわえてある、朽ちず汚れず、しぼむことのない資産を受け継ぐ者として下さったのである。 あなたがたは、終りの時に啓示さるべき救にあずかるために、信仰により神の御力に守られているのである。」

ペテロは手紙の冒頭を、私たちを新しく生まれさせて生ける望みを抱かせてくださった神への賛美で始めます。相続財産は天にたくわえられ、信者たちは神の力によって、信仰を通して救いのために守られています。保っているのはあなたの握る力ではなく、神の力です。 ペテロの第一の手紙1章を全文で読む。

20. ローマ人への手紙8章16-17節

「御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。 もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである。」

パウロは、救いを受けた者のアイデンティティを、御霊が内側から確かめてくださると説明します。「御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる」。信者は通りがかりの客ではなく、キリストとともに相続人です。 ローマ人への手紙8章を全文で読む。

救われた者として生きる

21. テモテへの第二の手紙1章9節

「神はわたしたちを救い、聖なる招きをもって召して下さったのであるが、それは、わたしたちのわざによるのではなく、神ご自身の計画に基き、また、永遠の昔にキリスト・イエスにあってわたしたちに賜わっていた恵み、」

パウロはテモテに、二人が共に受けた召しの源を思い出させます。神は私たちを救い、聖なる招きをもって召されましたが、それは「わたしたちのわざによるのではなく」、神ご自身の計画と恵みによります。召しは私たちの努力に先立ちます。救われるために仕えるのではなく、救われているから仕えるのです。 テモテへの第二の手紙1章を全文で読む。

22. テサロニケ人への第一の手紙5章9節

「神は、わたしたちを怒りにあわせるように定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによって救を得るように定められたのである。」

パウロは、来るべき裁きを心配していたテサロニケの人々を安心させます。彼ははっきり言います。「神は、わたしたちを怒りにあわせるように定められたのではなく」、イエス・キリストによって救いを得るように定められたのです。神のみこころへのこの信頼によって、明日への恐れなしに生きられます。 テサロニケ人への第一の手紙5章を全文で読む。

23. ピリピ人への手紙2章12-13節

「わたしの愛する者たちよ。そういうわけだから、あなたがたがいつも従順であったように、わたしが一緒にいる時だけでなく、いない今は、いっそう従順でいて、恐れおののいて自分の救の達成に努めなさい。 あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。」

パウロは「自分の救の達成に努めなさい」と求めますが、救いを得ることを言っているのではありません。すでに救われている信者たちに語っています。それは救いを成熟させることを意味します。そして約束で締めくくります。神が「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ」てくださるのです。 ピリピ人への手紙2章を全文で読む。

24. テトスへの手紙2章11-12節

「すべての人を救う神の恵みが現れた。 そして、わたしたちを導き、不信心とこの世の情欲とを捨てて、慎み深く、正しく、信心深くこの世で生活し、」

パウロは、クレタの諸教会の責任者テトスに、ごく普通のキリスト者の生活を説明します。すべての土台はこれです。「すべての人を救う神の恵みが現れた」。同じ恵みが、不信心を捨てて、慎み深く、正しく、信心深く生きるよう教えます。 テトスへの手紙2章を全文で読む。

25. ヘブル人への手紙9章28節

「キリストもまた、多くの人の罪を負うために、一度だけご自身をささげられた後、彼を待ち望んでいる人々に、罪を負うためではなしに二度目に現れて、救を与えられるのである。」

著者は、多くの人の罪を負うためにささげられたキリストのただ一度のいけにえと、これから来る再臨を並べます。キリストは、「彼を待ち望んでいる人々に、罪を負うためではなしに二度目に現れて、救を与えられる」のです。救われた者として生きるとは、すべてをすでに成し遂げられた方を、信頼と目ざめをもって待つことでもあります。 ヘブル人への手紙9章を全文で読む。

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よくある質問

聖書でいう救われるとはどういう意味ですか。

救われるとは、罪による神との断絶から救い出され、イエス・キリストによって永遠のいのちを受けることです。救いは、赦しと新しい関係をもって今から始まり、キリストの来臨のときに完全に成就します。エペソ人への手紙2章8-9節はその性質を要約しています。

聖書によれば、どうすれば救われますか。

聖書の答えは、私たちの罪のために死に、よみがえられたイエス・キリストへの信仰です。使徒行伝16章31節は単純に、主イエスを信じなさいと言います。ローマ人への手紙10章9節は口での告白を付け加えます。誠実な祈りで神にそう告げ、そのあと教会につながる道を探してください。

救いを失うことはありますか。

クリスチャンの間でも意見が分かれるテーマですが、新約聖書は神の真実を強調しています。ヨハネによる福音書10章28節で、羊は決して滅びないと言い、ペテロは神の力によって守られている信者たちについて語ります。同時に聖書は、忍耐して、この賜物をなおざりにしないよう勧めています。

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