聖書 — 口語訳 (1955)
マタイによる福音書 11
概要
マタイによる福音書11章は、獄中のバプテスマのヨハネの問いから始まります。あなたは、来たるべき方なのでしょうか。イエスはみわざをもって答え、続いてヨハネを預言者の中で最も大いなる者として称え、不信仰なこの時代とガリラヤの町々を責めます。そして父に向かい、これらのことを幼な子たちに示されたことを賛美し、父を知らせることができるのは御子だけだと語ります。章は、よく知られた招きで頂点に達します。疲れた者、重荷を負う者は、わたしのもとに来なさい。
この章の6つの区分
1イエスは十二弟子にこのように命じ終えてから、町々で教えまた宣べ伝えるために、そこを立ち去られた。
2さて、ヨハネは獄中でキリストのみわざについて伝え聞き、自分の弟子たちをつかわして、
3イエスに言わせた、「『きたるべきかた』はあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか」。
4イエスは答えて言われた、「行って、あなたがたが見聞きしていることをヨハネに報告しなさい。
5盲人は見え、足なえは歩き、重い皮膚病にかかった人はきよまり、耳しいは聞え、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている。
6わたしにつまずかない者は、さいわいである」。
7彼らが帰ってしまうと、イエスはヨハネのことを群衆に語りはじめられた、「あなたがたは、何を見に荒野に出てきたのか。風に揺らぐ葦であるか。
8では、何を見に出てきたのか。柔らかい着物をまとった人か。柔らかい着物をまとった人々なら、王の家にいる。
9では、なんのために出てきたのか。預言者を見るためか。そうだ、あなたがたに言うが、預言者以上の者である。
10『見よ、わたしは使をあなたの先につかわし、あなたの前に、道を整えさせるであろう』 と書いてあるのは、この人のことである。
11あなたがたによく言っておく。女の産んだ者の中で、バプテスマのヨハネより大きい人物は起らなかった。しかし、天国で最も小さい者も、彼よりは大きい。
12バプテスマのヨハネの時から今に至るまで、天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている。
13すべての預言者と律法とが預言したのは、ヨハネの時までである。
14そして、もしあなたがたが受けいれることを望めば、この人こそは、きたるべきエリヤなのである。
15耳のある者は聞くがよい。
16今の時代を何に比べようか。それは子供たちが広場にすわって、ほかの子供たちに呼びかけ、
17『わたしたちが笛を吹いたのに、あなたたちは踊ってくれなかった。弔いの歌を歌ったのに、胸を打ってくれなかった』 と言うのに似ている。
18なぜなら、ヨハネがきて、食べることも、飲むこともしないと、あれは悪霊につかれているのだ、と言い、
19また人の子がきて、食べたり飲んだりしていると、見よ、あれは食をむさぼる者、大酒を飲む者、また取税人、罪人の仲間だ、と言う。しかし、知恵の正しいことは、その働きが証明する」。
20それからイエスは、数々の力あるわざがなされたのに、悔い改めることをしなかった町々を、責めはじめられた。
21「わざわいだ、コラジンよ。わざわいだ、ベツサイダよ。おまえたちのうちでなされた力あるわざが、もしツロとシドンでなされたなら、彼らはとうの昔に、荒布をまとい灰をかぶって、悔い改めたであろう。
22しかし、おまえたちに言っておく。さばきの日には、ツロとシドンの方がおまえたちよりも、耐えやすいであろう。
23ああ、カペナウムよ、おまえは天にまで上げられようとでもいうのか。黄泉にまで落されるであろう。おまえの中でなされた力あるわざが、もしソドムでなされたなら、その町は今日までも残っていたであろう。
24しかし、あなたがたに言う。さばきの日には、ソドムの地の方がおまえよりは耐えやすいであろう」。
25そのときイエスは声をあげて言われた、「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。
26父よ、これはまことにみこころにかなった事でした。
27すべての事は父からわたしに任せられています。そして、子を知る者は父のほかにはなく、父を知る者は、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほかに、だれもありません。
28すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。
29わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。
30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。
鍵となる聖句
イエスに言わせた、「『きたるべきかた』はあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか」。
獄中からヨハネは、イエスが来たるべき方なのかと尋ねます。この問いは、現実が期待していたものと違うとき、忠実な信仰者でさえ疑うことがあると示しています。
盲人は見え、足なえは歩き、重い皮膚病にかかった人はきよまり、耳しいは聞え、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている。 わたしにつまずかない者は、さいわいである」。
イエスはしるしをもって答えます。盲人は見え、足なえは歩き、貧しい人々に福音が宣べ伝えられます。そして、わたしにつまずかない者は幸いだと語ります。
あなたがたによく言っておく。女の産んだ者の中で、バプテスマのヨハネより大きい人物は起らなかった。しかし、天国で最も小さい者も、彼よりは大きい。
イエスはヨハネを、女から生まれた者の中で最も大いなる者として称え、同時に、天国で最も小さい者でも彼より大きいと語ります。御国は、偉大さの尺度を変えてしまいます。
すべての事は父からわたしに任せられています。そして、子を知る者は父のほかにはなく、父を知る者は、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほかに、だれもありません。
父と子は互いを知っており、子は父を知らせることを選ばれます。ここで、神を知ることは、知的な努力の結果ではなく、啓示の賜物です。
すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。 わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。
イエスは、疲れた者、重荷を負う者を、休みを得るために自分のもとに招きます。そのくびきが負いやすいのは、イエスが柔和で心のへりくだった方だからです。新たな課題を課すのではなく、イエスのもとで学ぶよう招いておられます。
聖書クイズに挑戦
説教が語っていること
マタイによる福音書11章についてよくある質問
なぜバプテスマのヨハネは、マタイによる福音書11章3節で疑うのですか
ヨハネは獄中にあり、一方イエスは奇跡を行い、御国を宣べ伝えておられます。彼の期待と現実は一致していません。イエスはヨハネを責めず、みわざをもって答え、イザヤ書を引き、そのあとヨハネを称えます。この箇所は、誠実な疑いはイエスのもとに持っていけることを示しています。
マタイによる福音書11章12節の「天国は激しく襲われている」とはどういう意味ですか
この聖句は難しく、いくつもの訳し方があります。力強く進む御国を、人々が決意をもってつかみ取るという姿を見る人も多く、御国が争われ攻撃されている姿を見る人もいます。いずれにしても、文脈はこの聖句を、バプテスマのヨハネの登場と、それが示す転換点に結びつけています。
「わたしのくびきを負うて」とはどういう意味ですか
くびきとは、役畜をつなぐ木の道具です。ラビたちの言葉では、師の教えを指すこともあります。ですからイエスは、ご自分の弟子となり、柔和で心のへりくだったイエスから学ぶよう招いておられます。そのくびきは負いやすく、荷は軽いので、たましいに休みを与えると約束されています。
「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい」という招きは、誰に向けられていますか
疲れ、重荷を負うすべての人に向けられています。それは、疲労であれ、罪責感であれ、重すぎる宗教の負担であれ、変わりません。イエスは、来る前に自分を良くするようにとは求めません。わたしのもとに来なさいと言い、休みを与えると約束されます。
マタイによる福音書 11を引用している記事
口語訳(1955年)— パブリックドメイン。