聖書 — 口語訳 (1955)

マタイによる福音書 6

概要

マタイの福音書6章は、山上の説教の一部です。イエスは、施し、祈り、断食という三つの敬虔な行いについて、人に見られるためではなく、隠れたところで見ておられる父の前で行うようにと語ります。続いて主の祈りを教え、本当の宝、神とマモンのどちらに仕えるのか、そして思い煩いへと目を向けさせます。章は、まず神の国と神の義を求め、一日一日を生きるようにという招きで閉じられます。

この章の5つの区分

  1. 1-4節人に見られるためではなく、隠れたところで施す
  2. 5-15節父に祈る:主の祈りと赦し
  3. 16-18節ただ父の前で断食する
  4. 19-24節本当の宝と、神かマモンかの選択
  5. 25-34節思い煩わない:まず神の国を求める

1自分の義を、見られるために人の前で行わないように、注意しなさい。もし、そうしないと、天にいますあなたがたの父から報いを受けることがないであろう。

2だから、施しをする時には、偽善者たちが人にほめられるため会堂や町の中でするように、自分の前でラッパを吹きならすな。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。

3あなたは施しをする場合、右の手のしていることを左の手に知らせるな。

4それは、あなたのする施しが隠れているためである。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。

5また祈る時には、偽善者たちのようにするな。彼らは人に見せようとして、会堂や大通りのつじに立って祈ることを好む。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。

6あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。

7また、祈る場合、異邦人のように、くどくどと祈るな。彼らは言葉かずが多ければ、聞きいれられるものと思っている。

8だから、彼らのまねをするな。あなたがたの父なる神は、求めない先から、あなたがたに必要なものはご存じなのである。

9だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。

10御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。

11わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。

12わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。

13わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。

14もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。

15もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう。

16また断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つきをするな。彼らは断食をしていることを人に見せようとして、自分の顔を見苦しくするのである。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。

17あなたがたは断食をする時には、自分の頭に油を塗り、顔を洗いなさい。

18それは断食をしていることが人に知れないで、隠れた所においでになるあなたの父に知られるためである。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いて下さるであろう。

19あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。

20むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。

21あなたの宝のある所には、心もあるからである。

22目はからだのあかりである。だから、あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいだろう。

23しかし、あなたの目が悪ければ、全身も暗いだろう。だから、もしあなたの内なる光が暗ければ、その暗さは、どんなであろう。

24だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。

25それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。

26空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。

27あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。

28また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。

29しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

30きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。

31だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。

32これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。

33まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。

34だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。

鍵となる聖句

6節
あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。

イエスは、人目につかない場所で、戸を閉めて、隠れたところにおられる父に祈るよう招きます。祈りは見せるものではなく、神との関係です。

9-13節
だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。 御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。 わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。 わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。 わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。

主の祈りは、祈りの手本として与えられています。まず父、御名、御国、みこころが先に来て、その後で日ごとの糧、赦し、悪からの守りといった私たちの必要へと進みます。

21節
あなたの宝のある所には、心もあるからである。

私たちの宝のあるところに、心もあります。何を最も大切にするかが、やがて人生の向きを決めます。

24節
だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。

イエスは、人は二人の主人に仕えることはできないと言います。神とお金は同じ忠誠を求めるので、だれが主人かを選ぶ必要があります。

33節
まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。

まず神の国と神の義を求めることで、優先順位が正しい順序に戻ります。この節は豊かさを約束しているのではなく、私たちの必要をご存じの父を信頼するようにと招いています。

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説教が語っていること

マタイによる福音書6章:主の祈り、祈りを学ぶための七つの願い講師は、主の祈りは魔法の言葉ではなく手本であると示します。七つの願いは二つに分かれ、前半は父の目的、後半は私たちの必要です。要約を読む →祈るとき、あなたを変える4つの言葉6節から、祈る、入る、戸を閉める、父に報いていただくという四つの動詞が祈りを導きます。メッセージは、祈りを対話として捉え、語ることと同じくらい聞くことを大切にしています。要約を読む →本当にあなたを養ってくださる方25節から34節は、給料や上司や助けといった経路と、源である神とを区別するために用いられます。空の鳥や野の花を見ることは具体的な信仰の訓練となり、働くことや責任を果たすことを否定するものではありません。要約を読む →イエスが教える気前の良さポッドキャストは、お金についてのイエスの教えを取り上げます。イエスはお金に反対しているのでも、人を金持ちにする方でもありません。管理者となること、お金に支配されないこと、喜んで与えることを求めておられます。要約を読む →まず神の国を求めなさい:神をあなたの最優先に説教者は33節を預言者ハガイとともに読みます。神を二番目にする民は、多く蒔いても少ししか刈り取れません。神を第一にすることで、生活は整えられます。要約を読む →

マタイによる福音書6章についてよくある質問

マタイ6章の主の祈りはどういう意味ですか

イエスは主の祈りを、繰り返す決まり文句ではなく、祈りを学ぶための手本として与えました。最初の三つの願いは神について、つまり御名、御国、みこころです。続く願いは私たちについて、つまり日ごとの糧、赦し、悪からの救いです。伝統によって祈り方は少しずつ異なりますが、中心は同じです。

まず神の国と神の義を求めなさいとは、どういう意味ですか

33節でイエスは、食べ物や着る物の心配よりも先に、神とその義を第一にするよう招いています。信じる人が欠乏から守られるとは言っていません。父が私たちの必要をご存じであること、思い煩いに人生を支配させてはならないことを思い出させています。働くことや慎重さにも、その場所があります。

なぜイエスは隠れたところで祈るようにと言われたのですか

イエスは、人々と一緒に祈ることを否定してはいません。ご自身も人々と祈られました。戒めているのは、見られるために祈ることです。戸を閉めて自分の部屋に入るなら、ただ父のためだけに祈ることになります。そこで、見せかけから離れて、関係が築かれていきます。

マタイ6:24のマモンとは何ですか

マモンはアラム語で、お金や富を指す言葉です。ここでは、ほとんど競い合う主人のように扱われています。イエスは持つこと自体を禁じているのではなく、お金が神の座を占めることを退けています。両方に従うことはできず、どちらかが先になってしまうからです。

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