聖書 — 口語訳 (1955)

マルコによる福音書 11

概要

マルコ福音書11章は、イエスが子ろばに乗ってエルサレムに入られる場面から始まります。群衆は「ホサナ」と叫んで迎えます。翌日、イエスは葉ばかりで実のないいちじくの木に近づき、そののち宮に入って、売り買いする人々を追い出されます。宮は、すべての国民の祈りの家であるべきだからです。枯れたいちじくの木は、信仰と祈りと赦しについての教えのきっかけとなります。章の終わりでは、宗教指導者たちがイエスの権威について問いただします。

この章の5つの区分

  1. 1-11節エルサレム入城:「ホサナ」
  2. 12-14節葉ばかりのいちじくの木
  3. 15-19節イエスが宮をきよめる
  4. 20-26節枯れたいちじくの木:信仰と祈りと赦し
  5. 27-33節何の権威によってか:イエスは問いで答えられる

1さて、彼らがエルサレムに近づき、オリブの山に沿ったベテパゲ、ベタニヤの附近にきた時、イエスはふたりの弟子をつかわして言われた、

2「むこうの村へ行きなさい。そこにはいるとすぐ、まだだれも乗ったことのないろばの子が、つないであるのを見るであろう。それを解いて引いてきなさい。

3もし、だれかがあなたがたに、なぜそんな事をするのかと言ったなら、主がお入り用なのです。またすぐ、ここへ返してくださいますと、言いなさい」。

4そこで、彼らは出かけて行き、そして表通りの戸口に、ろばの子がつないであるのを見たので、それを解いた。

5すると、そこに立っていた人々が言った、「そのろばの子を解いて、どうするのか」。

6弟子たちは、イエスが言われたとおり彼らに話したので、ゆるしてくれた。

7そこで、弟子たちは、そのろばの子をイエスのところに引いてきて、自分たちの上着をそれに投げかけると、イエスはその上にお乗りになった。

8すると多くの人々は自分たちの上着を道に敷き、また他の人々は葉のついた枝を野原から切ってきて敷いた。

9そして、前に行く者も、あとに従う者も共に叫びつづけた、「ホサナ、主の御名によってきたる者に、祝福あれ。

10今きたる、われらの父ダビデの国に、祝福あれ。いと高き所に、ホサナ」。

11こうしてイエスはエルサレムに着き、宮にはいられた。そして、すべてのものを見まわった後、もはや時もおそくなっていたので、十二弟子と共にベタニヤに出て行かれた。

12翌日、彼らがベタニヤから出かけてきたとき、イエスは空腹をおぼえられた。

13そして、葉の茂ったいちじくの木を遠くからごらんになって、その木に何かありはしないかと近寄られたが、葉のほかは何も見当らなかった。いちじくの季節でなかったからである。

14そこで、イエスはその木にむかって、「今から後いつまでも、おまえの実を食べる者がないように」と言われた。弟子たちはこれを聞いていた。

15それから、彼らはエルサレムにきた。イエスは宮に入り、宮の庭で売り買いしていた人々を追い出しはじめ、両替人の台や、はとを売る者の腰掛をくつがえし、

16また器ものを持って宮の庭を通り抜けるのをお許しにならなかった。

17そして、彼らに教えて言われた、「『わたしの家は、すべての国民の祈の家ととなえらるべきである』と書いてあるではないか。それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしてしまった」。

18祭司長、律法学者たちはこれを聞いて、どうかしてイエスを殺そうと計った。彼らは、群衆がみなその教に感動していたので、イエスを恐れていたからである。

19夕方になると、イエスと弟子たちとは、いつものように都の外に出て行った。

20朝はやく道をとおっていると、彼らは先のいちじくが根元から枯れているのを見た。

21そこで、ペテロは思い出してイエスに言った、「先生、ごらんなさい。あなたがのろわれたいちじくが、枯れています」。

22イエスは答えて言われた、「神を信じなさい。

23よく聞いておくがよい。だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう。

24そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。

25また立って祈るとき、だれかに対して、何か恨み事があるならば、ゆるしてやりなさい。そうすれば、天にいますあなたがたの父も、あなたがたのあやまちを、ゆるしてくださるであろう。

26〔もしゆるさないならば、天にいますあなたがたの父も、あなたがたのあやまちを、ゆるしてくださらないであろう〕」。

27彼らはまたエルサレムにきた。そして、イエスが宮の内を歩いておられると、祭司長、律法学者、長老たちが、みもとにきて言った、

28「何の権威によってこれらの事をするのですか。だれが、そうする権威を授けたのですか」。

29そこで、イエスは彼らに言われた、「一つだけ尋ねよう。それに答えてほしい。そうしたら、何の権威によって、わたしがこれらの事をするのか、あなたがたに言おう。

30ヨハネのバプテスマは天からであったか、人からであったか、答えなさい」。

31すると、彼らは互に論じて言った、「もし天からだと言えば、では、なぜ彼を信じなかったのか、とイエスは言うだろう。

32しかし、人からだと言えば……」。彼らは群衆を恐れていた。人々が皆、ヨハネを預言者だとほんとうに思っていたからである。

33それで彼らは「わたしたちにはわかりません」と答えた。するとイエスは言われた、「わたしも何の権威によってこれらの事をするのか、あなたがたに言うまい」。

鍵となる聖句

9-10節
そして、前に行く者も、あとに従う者も共に叫びつづけた、「ホサナ、主の御名によってきたる者に、祝福あれ。 今きたる、われらの父ダビデの国に、祝福あれ。いと高き所に、ホサナ」。

ホサナは救ってくださいという意味です。ダビデの国について語ることで、群衆はイエスを約束されたメシヤと認めています。それでもイエスは軍馬ではなく子ろばに乗って入られ、へりくだった王として自らを示されます。

17節
そして、彼らに教えて言われた、「『わたしの家は、すべての国民の祈の家ととなえらるべきである』と書いてあるではないか。それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしてしまった」。

イエスは預言者イザヤのことばを引き、宮はすべての国民に開かれているべきだと語られます。売り買いする人々を追い出すことで、外の庭までしか神に近づけなかった人々の場所を守られたのです。

22-23節
イエスは答えて言われた、「神を信じなさい。 よく聞いておくがよい。だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう。

いちじくの木に驚く弟子たちに、イエスは神への信仰を呼びかけて答えられます。山が海に入るという表現は、神への信仰が成し遂げることを語る比喩的な言い方で、キリスト者はこれをさまざまに理解しています。

24節
そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。

イエスは信頼をもって祈るように招かれます。この節は祈りについてよく引用されますが、文脈の中で読む必要があります。信仰が向かう先は神であって、神に求める結果ではありません。

25節
また立って祈るとき、だれかに対して、何か恨み事があるならば、ゆるしてやりなさい。そうすれば、天にいますあなたがたの父も、あなたがたのあやまちを、ゆるしてくださるであろう。

赦しは、祈りについての教えのすぐ後に置かれています。神の前に立つことは、誰かに対する恨みを手放すことを含みます。これは規則である前に、内面の自由への招きです。

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説教が語っていること

実か葉か? ―イエスがあなたの信仰を診断するジェイソン・プロコピオは、この章全体を信仰の診断として読みます。入城、いちじくの木、宮という流れです。いちじくの木はイスラエルを表す典型的な象徴であり、イエスが探しておられるのは葉だけでなく実だと語ります。要約を読む →締め出された者たちの庭:あなたに明かされたキリストの奥義ムニール・ノセルは、マルコ11章17節の宮きよめから語ります。台が異邦人の庭をふさぎ、外国人が神に近づける唯一の場所を奪っていました。イエスはそこで、排除された人々のための道を守られたのです。要約を読む →健全な教えにとどまり、魂を得る者となるために使徒イヴァン・カスタヌーは、マルコ11章12節から14節を土台に、キリストは季節の主であり、実を求めておられると語ります。そこから、主の前に言い訳はなく、教会が成長するには健全な教理が必要だと結びます。要約を読む →神様が探しておられる、あなたの応答が試される朝説教者はマルコ11章24節を引き、信仰をもって神に近づくよう招きます。疑いながら祈ることは祈りを妨げると言い、目に見えることより神が語られることを信じられるよう、信仰を育てることを勧めます。要約を読む →賛美のいけにえ、あなたの奇跡の夜マルコ11章23節が、ヨハネの手紙第一5章14節と結びつけられます。心を神に合わせる賛美は、みこころにかなう願いを整えると語られ、自分の山に語りかける出発点とされます。要約を読む →

マルコによる福音書11章についてよくある質問

なぜイエスはマルコ11章でいちじくの木をのろわれたのですか

マルコは、いちじくの季節ではなかったと記しています。多くの人は、これを預言的な行為と理解します。旧約聖書では、いちじくの木はしばしばイスラエルの象徴だからです。葉ばかり茂って実のない木は、実質を伴わない外見だけの信仰を表します。しかも、この出来事は宮の場面に挟まれており、その読み方を裏づけています。

マルコ11章9節の「ホサナ」とはどういう意味ですか

ホサナはヘブライ語で救ってくださいという意味です。群衆は詩篇118篇のことばを用いて、エルサレムでイエスを迎えました。ダビデの国に言及することで、待ち望まれたメシヤとしてイエスを認めています。キリスト者はこの場面を、棕櫚の主日に記念します。

イエスが山に海へ入れと言うよう語られたのは、どういう意味ですか

23節で、イエスは神への信仰の力を語るために、力強い比喩を用いられます。多くの人は、越えがたく見える障害の前で、確信をもって祈るようにとの招きだと見ます。この約束の範囲については、キリスト教の諸伝統の間で見解が分かれます。22節の神への信仰と25節の赦しという文脈は、まず神との関係が問われていることを思い出させます。

なぜイエスは宮の商人たちを追い出されたのですか

両替人や動物を売る人々は、異邦人が祈りに来られる唯一の場所だった外の庭を占めていました。イエスはイザヤのことばを引き、神の家はすべての国民の祈りの家であるべきだと語られました。

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