聖書 — 口語訳 (1955)

ルカによる福音書 10

概要

ルカによる福音書10章は四つの場面を収めています。イエスは七十人の弟子を二人ずつ遣わします。収穫は多いが、働き人は少ない。帰ってきた弟子たちは悪霊が服従したことを喜びますが、イエスは、彼らの名が天にしるされていることを喜ぶようにと招きます。律法の専門家が永遠のいのちを受け継ぐ方法を尋ね、善きサマリヤ人のたとえが隣り人とは誰かを捉え直させます。マルタとマリヤの家では、イエスは、あわただしさよりも御言葉に聞くことを先に置きます。

この章の5つの区分

  1. 1-12節七十人の派遣:収穫は多い
  2. 13-16節メッセージを拒む町々
  3. 17-24節弟子たちの帰還と、天にしるされた名の喜び
  4. 25-37節最も大切な戒めと善きサマリヤ人
  5. 38-42節マルタとマリヤ:良いほうを選ぶ

1その後、主は別に七十二人を選び、行こうとしておられたすべての町や村へ、ふたりずつ先におつかわしになった。

2そのとき、彼らに言われた、「収穫は多いが、働き人が少ない。だから、収穫の主に願って、その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい。

3さあ、行きなさい。わたしがあなたがたをつかわすのは、小羊をおおかみの中に送るようなものである。

4財布も袋もくつも持って行くな。だれにも道であいさつするな。

5どこかの家にはいったら、まず『平安がこの家にあるように』と言いなさい。

6もし平安の子がそこにおれば、あなたがたの祈る平安はその人の上にとどまるであろう。もしそうでなかったら、それはあなたがたの上に帰って来るであろう。

7それで、その同じ家に留まっていて、家の人が出してくれるものを飲み食いしなさい。働き人がその報いを得るのは当然である。家から家へと渡り歩くな。

8どの町へはいっても、人々があなたがたを迎えてくれるなら、前に出されるものを食べなさい。

9そして、その町にいる病人をいやしてやり、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。

10しかし、どの町へはいっても、人々があなたがたを迎えない場合には、大通りに出て行って言いなさい、

11『わたしたちの足についているこの町のちりも、ぬぐい捨てて行く。しかし、神の国が近づいたことは、承知しているがよい』。

12あなたがたに言っておく。その日には、この町よりもソドムの方が耐えやすいであろう。

13わざわいだ、コラジンよ。わざわいだ、ベツサイダよ。おまえたちの中でなされた力あるわざが、もしツロとシドンでなされたなら、彼らはとうの昔に、荒布をまとい灰の中にすわって、悔い改めたであろう。

14しかし、さばきの日には、ツロとシドンの方がおまえたちよりも、耐えやすいであろう。

15ああ、カペナウムよ、おまえは天にまで上げられようとでもいうのか。黄泉にまで落されるであろう。

16あなたがたに聞き従う者は、わたしに聞き従うのであり、あなたがたを拒む者は、わたしを拒むのである。そしてわたしを拒む者は、わたしをおつかわしになったかたを拒むのである」。

17七十二人が喜んで帰ってきて言った、「主よ、あなたの名によっていたしますと、悪霊までがわたしたちに服従します」。

18彼らに言われた、「わたしはサタンが電光のように天から落ちるのを見た。

19わたしはあなたがたに、へびやさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けた。だから、あなたがたに害をおよぼす者はまったく無いであろう。

20しかし、霊があなたがたに服従することを喜ぶな。むしろ、あなたがたの名が天にしるされていることを喜びなさい」。

21そのとき、イエスは聖霊によって喜びあふれて言われた、「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。父よ、これはまことに、みこころにかなった事でした。

22すべての事は父からわたしに任せられています。そして、子がだれであるかは、父のほか知っている者はありません。また父がだれであるかは、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほか、だれも知っている者はいません」。

23それから弟子たちの方に振りむいて、ひそかに言われた、「あなたがたが見ていることを見る目は、さいわいである。

24あなたがたに言っておく。多くの預言者や王たちも、あなたがたの見ていることを見ようとしたが、見ることができず、あなたがたの聞いていることを聞こうとしたが、聞けなかったのである」。

25するとそこへ、ある律法学者が現れ、イエスを試みようとして言った、「先生、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」。

26彼に言われた、「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」。

27彼は答えて言った、「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります」。

28彼に言われた、「あなたの答は正しい。そのとおり行いなさい。そうすれば、いのちが得られる」。

29すると彼は自分の立場を弁護しようと思って、イエスに言った、「では、わたしの隣り人とはだれのことですか」。

30イエスが答えて言われた、「ある人がエルサレムからエリコに下って行く途中、強盗どもが彼を襲い、その着物をはぎ取り、傷を負わせ、半殺しにしたまま、逃げ去った。

31するとたまたま、ひとりの祭司がその道を下ってきたが、この人を見ると、向こう側を通って行った。

32同様に、レビ人もこの場所にさしかかってきたが、彼を見ると向こう側を通って行った。

33ところが、あるサマリヤ人が旅をしてこの人のところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、

34近寄ってきてその傷にオリブ油とぶどう酒とを注いでほうたいをしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。

35翌日、デナリ二つを取り出して宿屋の主人に手渡し、『この人を見てやってください。費用がよけいにかかったら、帰りがけに、わたしが支払います』と言った。

36この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか」。

37彼が言った、「その人に慈悲深い行いをした人です」。そこでイエスは言われた、「あなたも行って同じようにしなさい」。

38一同が旅を続けているうちに、イエスがある村へはいられた。するとマルタという名の女がイエスを家に迎え入れた。

39この女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、御言に聞き入っていた。

40ところが、マルタは接待のことで忙がしくて心をとりみだし、イエスのところにきて言った、「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを、なんともお思いになりませんか。わたしの手伝いをするように妹におっしゃってください」。

41主は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。

42しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」。

鍵となる聖句

2節
そのとき、彼らに言われた、「収穫は多いが、働き人が少ない。だから、収穫の主に願って、その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい。

イエスは、収穫は多いのに働き人は少ないと見ておられます。最初の指示は祈ることです。宣教への派遣は、まず祈りの問題なのです。

20節
しかし、霊があなたがたに服従することを喜ぶな。むしろ、あなたがたの名が天にしるされていることを喜びなさい」。

イエスは、成果に基づく喜びを正されます。宣教の成功よりも、神のものとされていることが大切です。信者のアイデンティティは、神がしるされたことによるのであって、自分が成し遂げたことによるのではありません。

27節
彼は答えて言った、「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります」。

律法の専門家は、律法を二つの愛にまとめます。全身全霊で神を愛し、隣り人を自分のように愛することです。続くたとえは、この愛が具体的に何を意味するかを示しています。

37節
彼が言った、「その人に慈悲深い行いをした人です」。そこでイエスは言われた、「あなたも行って同じようにしなさい」。

イエスは最初の問いを逆転させます。わたしの隣り人は誰かではなく、わたしは誰の隣り人になるのか、です。あわれみは、民族や宗教の境を越えます。

42節
しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」。

イエスは、マルタが仕えていることを責めているのではなく、思い煩いに押しつぶされていることを指摘しておられます。良いほうとは、イエスの足もとにとどまることであり、それが奉仕に先立ち、奉仕を養います。

この章に登場する人物

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説教が語っていること

ルカによる福音書10章についてよくある質問

善きサマリヤ人のたとえは何を意味していますか

傷ついた人は祭司とレビ人に見過ごされ、ユダヤ人に軽蔑されていたサマリヤ人に助けられます。イエスはわたしの隣り人とは誰かという問いに、視点を変えて答えられます。隣り人とは、あわれみを実行する人です。愛は、自分の仲間や自分の快適さの中にとどまりません。

なぜイエスはマルタに、マリヤは良いほうを選んだと言われたのですか

マルタは奉仕に没頭して思い煩っていました。一方マリヤは、座ってイエスの言葉に聞いていました。イエスは奉仕を責めてはおられませんが、必要なことはただ一つ、イエスのそばにいて聞くことだと思い起こさせます。奉仕は、そこに源があります。

なぜ名が天にしるされていることを喜ぶのですか

七十人は、悪霊が服従するのを見て喜んで帰ってきます。イエスはその喜びを退けず、その置き場所を移されます。成果は変わりうるが、神のものとされていることは変わりません。20節は、働きの出来に左右されない喜びを示しています。

なぜイエスは弟子たちを二人ずつ遣わされたのですか

本文は直接の説明をしていません。一般には、互いの支えと、証しを分かち合うという原則だと見られており、またイエスご自身が行こうとしておられる場所へ弟子たちを遣わされたということです。続く指示は、神への依存と、告げるべき平和を強調しています。

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