聖書 — 口語訳 (1955)

ルカによる福音書 17

概要

ルカによる福音書17章は、エルサレムへの途上でのイエスの教えをいくつか続けて記しています。小さな者をつまずかせることへの警告、罪を犯した兄弟をいさめ、帰ってくるたびに赦すこと、そして信仰を増してほしいと願う使徒たちには、からし種ほどで十分だと答えます。僕のたとえは、弟子が何も要求せずに務めを果たすものだと教えます。十人のらい病人がいやされますが、感謝に戻ったのはサマリヤ人の一人だけです。最後にイエスは、神の国はあなたがたのただ中にあると語り、人の子の日を告げます。

この章の5つの区分

  1. 1-4節つまずきと、繰り返される赦し
  2. 5-10節からし種ほどの信仰とふつつかな僕
  3. 11-19節十人のらい病人と、帰ってきたサマリヤ人
  4. 20-21節神の国はあなたがたのただ中にある
  5. 22-37節人の子の日:ノアとロトの日のように目を覚ましている

1イエスは弟子たちに言われた、「罪の誘惑が来ることは避けられない。しかし、それをきたらせる者は、わざわいである。

2これらの小さい者のひとりを罪に誘惑するよりは、むしろ、ひきうすを首にかけられて海に投げ入れられた方が、ましである。

3あなたがたは、自分で注意していなさい。もしあなたの兄弟が罪を犯すなら、彼をいさめなさい。そして悔い改めたら、ゆるしてやりなさい。

4もしあなたに対して一日に七度罪を犯し、そして七度『悔い改めます』と言ってあなたのところへ帰ってくれば、ゆるしてやるがよい」。

5使徒たちは主に「わたしたちの信仰を増してください」と言った。

6そこで主が言われた、「もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、『抜け出して海に植われ』と言ったとしても、その言葉どおりになるであろう。

7あなたがたのうちのだれかに、耕作か牧畜かをする僕があるとする。その僕が畑から帰って来たとき、彼に『すぐきて、食卓につきなさい』と言うだろうか。

8かえって、『夕食の用意をしてくれ。そしてわたしが飲み食いするあいだ、帯をしめて給仕をしなさい。そのあとで、飲み食いをするがよい』と、言うではないか。

9僕が命じられたことをしたからといって、主人は彼に感謝するだろうか。

10同様にあなたがたも、命じられたことを皆してしまったとき、『わたしたちはふつつかな僕です。すべき事をしたに過ぎません』と言いなさい」。

11イエスはエルサレムへ行かれるとき、サマリヤとガリラヤとの間を通られた。

12そして、ある村にはいられると、重い皮膚病にかかった十人の人に出会われたが、彼らは遠くの方で立ちとどまり、

13声を張りあげて、「イエスさま、わたしたちをあわれんでください」と言った。

14イエスは彼らをごらんになって、「祭司たちのところに行って、からだを見せなさい」と言われた。そして、行く途中で彼らはきよめられた。

15そのうちのひとりは、自分がいやされたことを知り、大声で神をほめたたえながら帰ってきて、

16イエスの足もとにひれ伏して感謝した。これはサマリヤ人であった。

17イエスは彼にむかって言われた、「きよめられたのは、十人ではなかったか。ほかの九人は、どこにいるのか。

18神をほめたたえるために帰ってきたものは、この他国人のほかにはいないのか」。

19それから、その人に言われた、「立って行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのだ」。

20神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、「神の国は、見られるかたちで来るものではない。

21また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。

22それから弟子たちに言われた、「あなたがたは、人の子の日を一日でも見たいと願っても見ることができない時が来るであろう。

23人々はあなたがたに、『見よ、あそこに』『見よ、ここに』と言うだろう。しかし、そちらへ行くな、彼らのあとを追うな。

24いなずまが天の端からひかり出て天の端へとひらめき渡るように、人の子もその日には同じようであるだろう。

25しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない。

26そして、ノアの時にあったように、人の子の時にも同様なことが起るであろう。

27ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていたが、そこへ洪水が襲ってきて、彼らをことごとく滅ぼした。

28ロトの時にも同じようなことが起った。人々は食い、飲み、買い、売り、植え、建てなどしていたが、

29ロトがソドムから出て行った日に、天から火と硫黄とが降ってきて、彼らをことごとく滅ぼした。

30人の子が現れる日も、ちょうどそれと同様であろう。

31その日には、屋上にいる者は、自分の持ち物が家の中にあっても、取りにおりるな。畑にいる者も同じように、あとへもどるな。

32ロトの妻のことを思い出しなさい。

33自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである。

34あなたがたに言っておく。その夜、ふたりの男が一つ寝床にいるならば、ひとりは取り去られ、他のひとりは残されるであろう。

35ふたりの女が一緒にうすをひいているならば、ひとりは取り去られ、他のひとりは残されるであろう。

36〔ふたりの男が畑におれば、ひとりは取り去られ、他のひとりは残されるであろう〕」。

37弟子たちは「主よ、それはどこであるのですか」と尋ねた。するとイエスは言われた、「死体のある所には、またはげたかが集まるものである」。

鍵となる聖句

3-4節
あなたがたは、自分で注意していなさい。もしあなたの兄弟が罪を犯すなら、彼をいさめなさい。そして悔い改めたら、ゆるしてやりなさい。 もしあなたに対して一日に七度罪を犯し、そして七度『悔い改めます』と言ってあなたのところへ帰ってくれば、ゆるしてやるがよい」。

イエスは、罪を犯した兄弟をいさめ、悔い改めたらゆるしてやるように、一日に七度であってもそうするようにと言われます。赦しは特別に偉大な信仰者だけの偉業ではなく、弟子の普通の生活を描いています。

6節
そこで主が言われた、「もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、『抜け出して海に植われ』と言ったとしても、その言葉どおりになるであろう。

使徒たちは信仰を増してほしいと願います。イエスは、量よりも、そこにあることが大切だと答えます。からし種一粒ほどの小さな信仰でも、神が働かれるには十分です。桑の木が抜け出すという比喩は、あえて印象的に語られています。

10節
同様にあなたがたも、命じられたことを皆してしまったとき、『わたしたちはふつつかな僕です。すべき事をしたに過ぎません』と言いなさい」。

僕のたとえのあと、イエスは「わたしたちはふつつかな僕です。すべき事をしたに過ぎません」と言うよう勧めます。奉仕を軽んじるのではなく、従ったから神が自分に負うていると考える高ぶりを取り除くのです。

17-18節
イエスは彼にむかって言われた、「きよめられたのは、十人ではなかったか。ほかの九人は、どこにいるのか。 神をほめたたえるために帰ってきたものは、この他国人のほかにはいないのか」。

イエスは、いやされた十人のうち、神をほめたたえるために帰ってきたのが他国人一人だけであることに驚かれます。この箇所は、感謝が、受けた恵みを越えて、主との二度目の出会いとなりうることを示しています。

21節
また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。

神の国はいつ来るのかと問う人々に、イエスは、それはすでに彼らのただ中にある、つまりイエスご自身にあると答えます。翻訳や注解者の間では、「あなたがたのただ中に」とあなたがたの内にの間で見解が分かれています。

この章に登場する人物

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説教が語っていること

ルカによる福音書17章についてよくある質問

ルカによる福音書17章6節のからし種ほどの信仰とはどういう意味ですか

使徒たちが信仰を増してほしいと願うと、イエスは、からし種一粒ほどの小さな信仰があれば桑の木を抜き出させるのに十分だと答えます。メッセージは信仰の大きさではなく、その性質にあります。信仰は、信じる人ではなく、働かれる神に寄りかかるものです。

なぜ十人のらい病人のうち一人だけがイエスに感謝しに戻ったのですか

ルカは、帰ってきたのがサマリヤ人、つまり他国人であったと記します。イエスは、九人が神をほめたたえなかったことを指摘し、帰ってきた人に、その信仰があなたを救ったと言われます。この物語は、神の恵みを当然のものとせず、与えてくださる方のもとに帰るよう招いています。

ルカによる福音書17章21節の「神の国は、実にあなたがたのただ中にある」とはどういう意味ですか

イエスはパリサイ人に、神の国は目立つ形で来るのではなく、すでにご自身とそのみわざの中に現れていると答えます。ギリシャ語はあなたがたの内にとも訳せ、注解者の意見は一致していませんが、「あなたがたのただ中に」という読み方が最も一般的です。

本当に一日に七度赦さなければなりませんか

イエスは、兄弟が一日に七度帰ってきて「悔い改めます」と言うなら、ゆるしてやるがよいと言われます。七という数字は満ちることを表します。七回まで数えて八回目で止めるということではなく、毎回赦す用意のある心を持つということです。これは、悪いことをした人をいさめる必要がなくなるという意味ではありません。

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