聖書 — 口語訳 (1955)

ローマ人への手紙 14

概要

ローマ人への手紙14章は、ローマの教会が抱えていたとても具体的な問題を扱います。食べ物や特別な日について、信者の意見が一致しなかったのです。パウロは、こうした二次的な事柄で全員が同じ考えになることを求めてはいません。まず互いに受け入れ合い、軽んじたり、さばいたりしないように勧めます。だれもが主のしもべであり、神に対して自分のことを申し開きするからです。さらに、神の国は飲み食いのことではないと語り、自分の自由を使うことよりも愛を優先するよう教えます。

この章の5つの区分

  1. 1-4節軽んじず、さばかずに受け入れる
  2. 5-9節だれもが主のために行う
  3. 10-13節私たちはみな神の前に立つ:兄弟のつまずきとならないために
  4. 14-18節自由よりも愛を:神の国は義と平和と喜び
  5. 19-23節平和を追い求め、確信をもって行う

1信仰の弱い者を受けいれなさい。ただ、意見を批評するためであってはならない。

2ある人は、何を食べてもさしつかえないと信じているが、弱い人は野菜だけを食べる。

3食べる者は食べない者を軽んじてはならず、食べない者も食べる者をさばいてはならない。神は彼を受けいれて下さったのであるから。

4他人の僕をさばくあなたは、いったい、何者であるか。彼が立つのも倒れるのも、その主人によるのである。しかし、彼は立つようになる。主は彼を立たせることができるからである。

5また、ある人は、この日がかの日よりも大事であると考え、ほかの人はどの日も同じだと考える。各自はそれぞれ心の中で、確信を持っておるべきである。

6日を重んじる者は、主のために重んじる。また食べる者も主のために食べる。神に感謝して食べるからである。食べない者も主のために食べない。そして、神に感謝する。

7すなわち、わたしたちのうち、だれひとり自分のために生きる者はなく、だれひとり自分のために死ぬ者はない。

8わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである。

9なぜなら、キリストは、死者と生者との主となるために、死んで生き返られたからである。

10それだのに、あなたは、なぜ兄弟をさばくのか。あなたは、なぜ兄弟を軽んじるのか。わたしたちはみな、神のさばきの座の前に立つのである。

11すなわち、「主が言われる。わたしは生きている。すべてのひざは、わたしに対してかがみ、すべての舌は、神にさんびをささげるであろう」と書いてある。

12だから、わたしたちひとりびとりは、神に対して自分の言いひらきをすべきである。

13それゆえ、今後わたしたちは、互にさばき合うことをやめよう。むしろ、あなたがたは、妨げとなる物や、つまずきとなる物を兄弟の前に置かないことに、決めるがよい。

14わたしは、主イエスにあって知りかつ確信している。それ自体、汚れているものは一つもない。ただ、それが汚れていると考える人にだけ、汚れているのである。

15もし食物のゆえに兄弟を苦しめるなら、あなたは、もはや愛によって歩いているのではない。あなたの食物によって、兄弟を滅ぼしてはならない。キリストは彼のためにも、死なれたのである。

16それだから、あなたがたにとって良い事が、そしりの種にならぬようにしなさい。

17神の国は飲食ではなく、義と、平和と、聖霊における喜びとである。

18こうしてキリストに仕える者は、神に喜ばれ、かつ、人にも受けいれられるのである。

19こういうわけで、平和に役立つことや、互の徳を高めることを、追い求めようではないか。

20食物のことで、神のみわざを破壊してはならない。すべての物はきよい。ただ、それを食べて人をつまずかせる者には、悪となる。

21肉を食わず、酒を飲まず、そのほか兄弟をつまずかせないのは、良いことである。

22あなたの持っている信仰を、神のみまえに、自分自身に持っていなさい。自ら良いと定めたことについて、やましいと思わない人は、さいわいである。

23しかし、疑いながら食べる者は、信仰によらないから、罪に定められる。すべて信仰によらないことは、罪である。

鍵となる聖句

4節
他人の僕をさばくあなたは、いったい、何者であるか。彼が立つのも倒れるのも、その主人によるのである。しかし、彼は立つようになる。主は彼を立たせることができるからである。

パウロはそれぞれを本来の立場に戻します。しもべが立つのも倒れるのも、その主人によるのであり、兄弟たちの意見によるのではありません。二次的な点で他の信者をさばくことは、主の座を奪うことになります。

7-8節
すなわち、わたしたちのうち、だれひとり自分のために生きる者はなく、だれひとり自分のために死ぬ者はない。 わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである。

だれも自分のために生きる者はなく、自分のために死ぬ者もありません。信者のいのちは、死に至るまで主のものです。この事実が、意見の争いを小さなものにしてくれます。

17節
神の国は飲食ではなく、義と、平和と、聖霊における喜びとである。

神の国の物差しは食べ物の決まりではなく、その実です。聖霊における義と平和と喜びです。何にこだわるべきかを見分ける基準がここにあります。

23節
しかし、疑いながら食べる者は、信仰によらないから、罪に定められる。すべて信仰によらないことは、罪である。

自分の良心に反して行うことは、それ自体が許されていることでも罪になります。この聖句は、一人ひとりの確信を尊び、兄弟を良心に反する行動へ押しやらないようにと私たちを促します。

説教が語っていること

ローマ人への手紙14章についてよくある質問

ローマ人への手紙14章のメッセージは何ですか

パウロは、食べ物や祝いの日のような二次的な点で違いがあっても、信者が互いを受け入れるよう求めます。だれも相手を軽んじたり、さばいたりしてはいけません。それぞれが主に対して責任を負っているからです。さらに、兄弟愛は個人の自由に先立つと教え、兄弟をつまずかせることは控えるよう勧めています。

ローマ人への手紙14章の「信仰の弱い兄弟」とはだれですか

ある習慣について、まだ良心が敏感な信者のことです。たとえば肉を食べることや、特定の日を守ることなどです。パウロはその人を悪いクリスチャンとは扱いません。受け入れ、その確信をあざけらず、良心に反して行動させないようにと求めています。

「信仰によらないことは、罪である」とはどういう意味ですか

23節でパウロは、許されているかどうか疑いながら行うなら、それは自分の良心に反することであり、その人にとって罪になると説明します。すべては相対的だと言っているのではありません。神の前で確信を持ち、他の人の確信も尊ぶよう招いているのです。

ローマ人への手紙 14を引用している記事

← すべての章

口語訳(1955年)— パブリックドメイン。