聖書 — 口語訳 (1955)
ローマ人への手紙 5
概要
ローマ人への手紙5章は、信仰による義認の結果を語ります。義とされた私たちには、神との平和、神の恵みへの道、そして苦難の中でも失望に終わらない希望があります。パウロはこの確信を十字架に置きます。キリストは、私たちがまだ罪人であり敵であったときに死んでくださいました。後半は二人の人を比べます。アダムによって罪と死が世に入り、イエス・キリストによって恵みと義が与えられます。罪の増し加わるところに、恵みもますます満ちあふれました。
この章の5つの区分
1このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。
2わたしたちは、さらに彼により、いま立っているこの恵みに信仰によって導き入れられ、そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。
3それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、
4忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。
5そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。
6わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さったのである。
7正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないであろう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるであろう。
8しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。
9わたしたちは、キリストの血によって今は義とされているのだから、なおさら、彼によって神の怒りから救われるであろう。
10もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう。
11そればかりではなく、わたしたちは、今や和解を得させて下さったわたしたちの主イエス・キリストによって、神を喜ぶのである。
12このようなわけで、ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのである。
13というのは、律法以前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪として認められないのである。
14しかし、アダムからモーセまでの間においても、アダムの違反と同じような罪を犯さなかった者も、死の支配を免れなかった。このアダムは、きたるべき者の型である。
15しかし、恵みの賜物は罪過の場合とは異なっている。すなわち、もしひとりの罪過のために多くの人が死んだとすれば、まして、神の恵みと、ひとりの人イエス・キリストの恵みによる賜物とは、さらに豊かに多くの人々に満ちあふれたはずではないか。
16かつ、この賜物は、ひとりの犯した罪の結果とは異なっている。なぜなら、さばきの場合は、ひとりの罪過から、罪に定めることになったが、恵みの場合には、多くの人の罪過から、義とする結果になるからである。
17もし、ひとりの罪過によって、そのひとりをとおして死が支配するに至ったとすれば、まして、あふれるばかりの恵みと義の賜物とを受けている者たちは、ひとりのイエス・キリストをとおし、いのちにあって、さらに力強く支配するはずではないか。
18このようなわけで、ひとりの罪過によってすべての人が罪に定められたように、ひとりの義なる行為によって、いのちを得させる義がすべての人に及ぶのである。
19すなわち、ひとりの人の不従順によって、多くの人が罪人とされたと同じように、ひとりの従順によって、多くの人が義人とされるのである。
20律法がはいり込んできたのは、罪過の増し加わるためである。しかし、罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた。
21それは、罪が死によって支配するに至ったように、恵みもまた義によって支配し、わたしたちの主イエス・キリストにより、永遠のいのちを得させるためである。
鍵となる聖句
このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。
信仰によって義とされた私たちは、神との平和を持っています。これは一時的な感情ではなく、イエス・キリストによって与えられた、神の前での新しい状態です。
それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、 忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。 そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。
パウロは鎖のようにつなぎます。患難は忍耐を生み、忍耐は練られた品性を生み、それが希望を生みます。この希望は失望に終わりません。神の愛が御霊によってすでに私たちの心に注がれているからです。
しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。
神は、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、ご自身の愛を示されました。神の愛は、人が変わることに先立っています。
もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう。
敵であった私たちは、御子の死によって和解させられました。パウロはそこから信頼の論拠を引き出します。敵のためにこれほどのことをされた神は、和解した者のために、さらにしてくださいます。
律法がはいり込んできたのは、罪過の増し加わるためである。しかし、罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた。 それは、罪が死によって支配するに至ったように、恵みもまた義によって支配し、わたしたちの主イエス・キリストにより、永遠のいのちを得させるためである。
律法は違反の大きさを明らかにしましたが、恵みはいっそう満ちあふれました。恵みは義によって支配し、イエス・キリストによって永遠のいのちに導きます。
この章に登場する人物
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説教が語っていること
ローマ人への手紙5章についてよくある質問
ローマ人への手紙5章1節の、信仰によって義とされるとはどういう意味ですか。
義とされるとは、法廷の宣告のように、神によって義と宣言されることです。パウロは、それが人の努力ではなく、イエス・キリストへの信仰によると説明します。その結果が神との平和です。争いは解決し、神の恵みへの道が開かれています。
なぜパウロはローマ人への手紙5章3節で苦難を誇るのですか。
パウロは、苦しみがそれ自体で良いと言っているのではありません。苦難は忍耐を生み、練られた品性を生み、希望を生むと言っています。信者がその中に立てるのは、神の愛が、御霊によってすでに心に注がれているからです。
罪の増し加わるところに恵みもますます満ちあふれた、とはどういう意味ですか。
パウロは、神の恵みが人の罪よりも大きいと語っています。次の章でパウロ自身が説明するように、もっと罪を犯すべきだという意味ではありません。イエス・キリストにある恵みにとって、大きすぎる罪はないということです。
ローマ人への手紙 5を引用している記事
口語訳(1955年)— パブリックドメイン。