聖書 — 口語訳 (1955)

伝道の書 8

概要

伝道の書8章で、伝道者は知恵と権威について考え、それから、自分を戸惑わせるものを正面から見つめます。敬われる悪人、忘れられる義人、遅れるさばきです。それでも、幸福は神をかしこむ者にあると断言します。人は死をつかさどることも、神のすべてのわざを窮めることもできないと見て、神が賜わる日々を、働きの中で喜びをもって受けるよう勧めます。この章は、理解できないことの前での謙遜へと招いています。

この章の4つの区分

  1. 1-9節知恵、王の権威、そして人の限界
  2. 10-14節不正の謎と、神をかしこむこと
  3. 15節喜びを神の賜物として受ける
  4. 16-17節神のわざは人の手の届かないところにある

1だれが知者のようになり得よう。だれが事の意義を知り得よう。人の知恵はその人の顔を輝かせ、またその粗暴な顔を変える。

2王の命を守れ。すでに神をさして誓ったことゆえ、驚くな。

3事が悪い時は、王の前を去れ、ためらうな。彼はすべてその好むところをなすからである。

4王の言葉は決定的である。だれが彼に「あなたは何をするのか」と言うことができようか。

5命令を守る者は災にあわない。知者の心は時と方法をわきまえている。

6人の悪が彼の上に重くても、すべてのわざには時と方法がある。

7後に起る事を知る者はない。どんな事が起るかをだれが彼に告げ得よう。

8風をとどめる力をもつ人はない。また死の日をつかさどるものはない。戦いには免除はない。また悪はこれを行う者を救うことができない。

9わたしはこのすべての事を見た。また日の下に行われるもろもろのわざに心を用いた。時としてはこの人が、かの人を治めて、これに害をこうむらせることがある。

10またわたしは悪人の葬られるのを見た。彼らはいつも聖所に出入りし、それを行ったその町でほめられた。これもまた空である。

11悪しきわざに対する判決がすみやかに行われないために、人の子らの心はもっぱら悪を行うことに傾いている。

12罪びとで百度悪をなして、なお長生きするものがあるけれども、神をかしこみ、み前に恐れをいだく者には幸福があることを、わたしは知っている。

13しかし悪人には幸福がない。またその命は影のようであって長くは続かない。彼は神の前に恐れをいだかないからである。

14地の上に空な事が行われている。すなわち、義人であって、悪人に臨むべき事が、その身に臨む者がある。また、悪人であって、義人に臨むべき事が、その身に臨む者がある。わたしは言った、これもまた空であると。

15そこで、わたしは歓楽をたたえる。それは日の下では、人にとって、食い、飲み、楽しむよりほかに良い事はないからである。これこそは日の下で、神が賜わった命の日の間、その勤労によってその身に伴うものである。

16わたしは心をつくして知恵を知ろうとし、また地上に行われるわざを昼も夜も眠らずに窮めようとしたとき、

17わたしは神のもろもろのわざを見たが、人は日の下に行われるわざを窮めることはできない。人はこれを尋ねようと労しても、これを窮めることはできない。また、たとい知者があって、これを知ろうと思っても、これを窮めることはできないのである。

鍵となる聖句

4節
王の言葉は決定的である。だれが彼に「あなたは何をするのか」と言うことができようか。

この節は王の言葉の力を語ります。文脈では人間の王の権威のことですが、多くの説教者はこれを、信者に委ねられた神のみことばに当てはめています。

8節
風をとどめる力をもつ人はない。また死の日をつかさどるものはない。戦いには免除はない。また悪はこれを行う者を救うことができない。

人は自分の死の日をつかさどることができません。伝道者は、だれも越えられない限界を思い起こさせ、謙遜と、神に拠り頼むことへと招いています。

12-13節
罪びとで百度悪をなして、なお長生きするものがあるけれども、神をかしこみ、み前に恐れをいだく者には幸福があることを、わたしは知っている。 しかし悪人には幸福がない。またその命は影のようであって長くは続かない。彼は神の前に恐れをいだかないからである。

罪びとが栄えているように見えても、伝道者は、幸福は神をかしこむ者にあると断言します。この信仰の確信は、目に見えるものにもかかわらず揺らぎません。

15節
そこで、わたしは歓楽をたたえる。それは日の下では、人にとって、食い、飲み、楽しむよりほかに良い事はないからである。これこそは日の下で、神が賜わった命の日の間、その勤労によってその身に伴うものである。

人生の謎を前に、伝道者は喜びをたたえます。食い、飲み、勤労の中で楽しむことです。それは現実からの逃避ではなく、神の賜物としての喜びです。

17節
わたしは神のもろもろのわざを見たが、人は日の下に行われるわざを窮めることはできない。人はこれを尋ねようと労しても、これを窮めることはできない。また、たとい知者があって、これを知ろうと思っても、これを窮めることはできないのである。

知者でさえ、日の下で神がなさることをすべて理解することはできません。この書は、説明を要求するよりも、神に信頼するよう招いています。

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説教が語っていること

太陽の下の不正義に負けない、キリストにある幸せカルヴァリー・チャペル・パリスは、8章と9章を不正の前で読みます。敬われる悪人と、忘れられる義人です。説教者は、神が備えてくださる幸福は、それでもなお受け取ることができ、キリストの臨在に至るまで大きくなると語ります。要約を読む →伝道者の書に学ぶ幸せ:それは受け取る贈り物伝道の書の連続講解の第五回です。幸福は受け取るべき賜物として示されます。メッセージは、自分にできること、手の届かないこと、今から知ることのできることを区別します。要約を読む →詩篇90篇:死を見つめるときに与えられる慰め説教者は8節を引用し、人には自分の死の日をつかさどる力がないが、神は主権者であり続けると語ります。自分の最期を思う人への慰めです。要約を読む →王であり祭司である ― キリストにある二重の冠4節は、王であり祭司と呼ばれた信者の権威について語るために用いられます。その言葉が力を持つのは、神のみことばを担っているからです。要約を読む →賛美のいけにえ、あなたの奇跡の夜インパクト・モントリオール・キリスト教センターは、賛美にささげた夕べの中で4節を取り上げ、御霊に満たされた信者の言葉は空しく落ちることはないと語ります。要約を読む →

伝道の書8章についてよくある質問

伝道の書8章の中心的なメッセージは何ですか。

この章は、日の下の人生には、不正、死、遅れるさばきといった謎があることを示します。伝道者はそこから反抗も逃避も導かず、神をかしこむことと、日々受ける喜びを導きます。人は神のわざをすべて理解することはできないと認めています。

「王の言葉は決定的である」(伝道の書8章4節)とはどういう意味ですか。

文脈では、伝道者は人間の王の権威を語っています。だれもその王に説明を求めることができません。いくつかの説教は、この節を神のみことばや、それを宣べ伝える信者の言葉に当てはめます。この読み方は応用であり、本文の第一の意味ではありません。

伝道の書で、なぜ悪人は栄えるように見えるのですか。

伝道者は10節と14節でこの不正を見て、それを空しさ、つまり謎と呼んでいます。しかし、本当の幸福は神をかしこむ者にあると断言します(12節と13節)。この書は、すべての答えではなく、信頼へと招いています。

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