聖書 — 口語訳 (1955)
箴言 10
概要
箴言10章は、ソロモンの箴言の本格的な集録の始まりです。これまでの章のような長い教えではなく、短い格言が続き、正しい人と悪い人、知恵ある者と愚かな者が絶えず対比されます。働くこと、富、言葉、憎しみと愛、戒めなどが語られます。その中心にあるのは主を恐れることです。神の知恵に従って生きる人は堅く立ち、それを退ける人はやがて崩れていきます。これらの箴言は一般的な傾向を述べたもので、自動的に実現する約束ではありません。
この章の5つの区分
1ソロモンの箴言。知恵ある子は父を喜ばせ、愚かな子は母の悲しみとなる。
2不義の宝は益なく、正義は人を救い出して、死を免れさせる。
3主は正しい人を飢えさせず、悪しき者の欲望をくじかれる。
4手を動かすことを怠る者は貧しくなり、勤め働く者の手は富を得る。
5夏のうちに集める者は賢い子であり、刈入れの時に眠る者は恥をきたらせる子である。
6正しい者のこうべには祝福があり、悪しき者の口は暴虐を隠す。
7正しい者の名はほめられ、悪しき者の名は朽ちる。
8心のさとき者は戒めを受ける、むだ口をたたく愚かな者は滅ぼされる。
9まっすぐに歩む者の歩みは安全である、しかし、その道を曲げる者は災にあう。
10目で、めくばせする者は憂いをおこし、あからさまに、戒める者は平和をきたらせる。
11正しい者の口は命の泉である、悪しき者の口は暴虐を隠す。
12憎しみは、争いを起し、愛はすべてのとがをおおう。
13さとき者のくちびるには知恵があり、知恵のない者の背にはむちがある。
14知恵ある者は知識をたくわえる、愚かな者のむだ口は、今にも滅びをきたらせる。
15富める者の宝は、その堅き城であり、貧しい者の乏しきは、その滅びである。
16正しい者の受ける賃銀は命に導き、悪しき者の利得は罪に至る。
17教訓を守る者は命の道にあり、懲らしめを捨てる者は道をふみ迷う。
18憎しみを隠す者には偽りのくちびるがあり、そしりを口に出す者は愚かな者である。
19言葉が多ければ、とがを免れない、自分のくちびるを制する者は知恵がある。
20正しい者の舌は精銀である、悪しき者の心は価値が少ない。
21正しい者のくちびるは多くの人を養い、愚かな者は知恵がなくて死ぬ。
22主の祝福は人を富ませる、主はこれになんの悲しみをも加えない。
23愚かな者は、戯れ事のように悪を行う、さとき人には賢い行いが楽しみである。
24悪しき者の恐れることは自分に来り、正しい者の願うことは与えられる。
25あらしが通りすぎる時、悪しき者は、もはや、いなくなり、正しい者は永久に堅く立てられる。
26なまけ者は、これをつかわす者にとっては、酢が歯をいため、煙が目を悩ますようなものだ。
27主を恐れることは人の命の日を多くする、悪しき者の年は縮められる。
28正しい者の望みは喜びに終り、悪しき者の望みは絶える。
29主は、まっすぐに歩む者には城であり、悪を行う者には滅びである。
30正しい者はいつまでも動かされることはない、悪しき者は、地に住むことができない。
31正しい者の口は知恵をいだし、偽りの舌は抜かれる。
32正しい者のくちびるは喜ばるべきことをわきまえ、悪しき者の口は偽りを語る。
鍵となる聖句
言葉が多ければ、とがを免れない、自分のくちびるを制する者は知恵がある。
この聖句は控えめであることを勧めています。言葉が多ければ、人を傷つけたり偽りを言ったりする危険も増えます。賢さとは、ふさわしい時に黙ることを知っていることです。
主の祝福は人を富ませる、主はこれになんの悲しみをも加えない。
祝福は人間の働きだけからではなく、神から来ます。また「悲しみをも加えない」とあるように、神が与えるものには、貪欲という毒が伴いません。
主を恐れることは人の命の日を多くする、悪しき者の年は縮められる。
主を恐れるとは、神を敬い、神に信頼することです。この箴言はそれを人生の原則として示していますが、あらゆる場合に当てはまる機械的な保証とはしていません。
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箴言10章についてよくある質問
箴言10章12節「愛はすべてのとがをおおう」とはどういう意味ですか。
この聖句は、争いをあおる憎しみと、あらゆる過ちを暴こうとしない愛を対比しています。おおうとは、悪を否定することでも是認することでもありません。ゆるし、蒸し返さず、議論に勝つことよりも関係を守るということです。新約聖書もペテロの第一の手紙4章8節でこの考えを取り上げています。
箴言10章のメッセージは何ですか。
この章は二つの道を対比します。正しい人、賢い人の道と、悪い人、愚かな人の道です。働くこと、言葉、戒め、祝福が語られます。中心となる原則は、神の知恵に従う生き方は堅固であり、悪はやがて崩れるということです。これらは知恵の格言であって、数字で保証された約束ではありません。
箴言10章22節の「主の祝福」とはどういう意味ですか。
この聖句は、真の富は神の祝福から来ること、そしてそれには何の悲しみも伴わないことを述べています。おもに物質的な備えと読む人もいれば、人格を形づくるより広い祝福と読む人もいます。いずれにしても、すべてを自分の努力に頼るのではなく、神から受けるようにと招いています。
箴言 10を引用している記事
口語訳(1955年)— パブリックドメイン。