はじめに
あなたは今、すべてが自分に襲いかかってくるように感じられる季節の中にいるかもしれません。居座る病、揺らぐ仕事、崩れかけた家庭、目に見える答えのないまま残される祈り。そして心の奥底で、同じ問いが繰り返し浮かびます。「神が私を愛しておられるなら、なぜこの苦難があるのか。」
エフィシエント・チャーチで力強く語られたある説教の中で、長老ジュニアス・アナネは、この見方をひっくり返します。彼は痛みを軽く見ることも、混乱を否定することもしません。しかし彼は権威をもって、逆境はあなたを葬るためにあるのではなく、あなたの人生に神の栄光が現れるためにあるのだと宣言します。イエスご自身も、ラザロについてこう言われました。「この病気は死で終わるものではなく、神の栄光のため、神の子がそれによって栄光を受けるためのものです」(ヨハネ11:4)。
この記事はそのメッセージの流れをたどり、あなたが自分の置かれている状況を別の視点から見つめられるようにするためのものです。それは呪いとしてではなく、神がご自身の力を現される土壌として、です。
説教の構成
1. 苦難はあなたの優先順位を変える
ヤイロは会堂司でした。彼はその時代の宗教的、さらには政治的権威ともつながりのある、尊敬される人物でした。ヨハネ12章42節によれば、彼の同僚の多くはイエスを信じていながら、会堂から追放されることを恐れて公に告白できずにいました。ところがヤイロは、皆の見ている前で、三十三歳の若者の足もとにひれ伏します。なぜこの豹変が起きたのでしょうか。理由はただ一つ、彼の娘が死にかけていたからです。
ジュニアス・アナネは率直にこう語ります。苦難には、あなたの人生の優先順位を組み替える力がある、と。昨日まであなたを縛っていたもの(評判、人目への恐れ、地位への執着)が、突然二の次になるのです。あなたはイエスのもとへ走り出す用意ができます。たとえ何かをひっくり返すことになっても、ある種の集まりの中での立場を失うことになっても。
ニコデモもまたイエスのもとに来ましたが、それは夜のことでした。彼の苦難は、白昼堂々と行動するにはまだ十分深くはなかったのです。私たちの中にも、いまだニコデモのように生きている人がいます。「人からどう思われるか」を恐れて、神を陰に置いたままにしているのです。しかし逆境は、その妥協を打ち砕きます。それは仮面を剥ぎ取り、あなたを本当に救うことのできるただ一人の方の前に立たせるのです。
2. 開かれた門には必ず敵対者がいる
エペソで使徒パウロはこう書いています。「有力な働きの門が私のために大きく開かれていますが、反対者も大勢います」(第一コリント16:9)。パウロは逃げ出すこともできたはずです。しかし彼はとどまることを選びました。反対者の存在は門を無効にするのではなく、むしろその門を裏づけるものだと理解していたからです。
説教者はこの点を繰り返し強調します。もし敵があなたの周りで荒れ狂っているとしても、それは神があなたを見捨てられた印ではありません。むしろ多くの場合、大きな門があなたに開かれている印なのです。カレブはアナクの子らを前にして、民にこう言いました。「神は彼らを私たちの餌食として与えてくださる。」巨人たちの存在は、その地が征服する価値のあるものであることを証明していたのです。
だから落ち着いていなさい。騒ぎのせいで、自分の「エペソ」を離れてはいけません。巨人ではなく、門を見つめなさい。アナクの子らではなく、乳と蜜を見つめなさい。あなたの敵対者のことは神が扱ってくださいます。あなたは自分の使命に専念しなさい。
3. 逆境はあなたを高めるための助け
ジュニアス・アナネは、ある神の器が彼のために祈ってくれた個人的な出来事を分かち合います。「主よ、もし彼があなたの栄光を見るために逆境が必要なら、どうかそれを起こしてください。」この祈りは最初、呪いのように聞こえました。しかし彼はやがて、それを祝福として理解するようになりました。
箴言10章22節はこう宣言しています。「人を富ませるのは主の祝福である。」私たちはこれをしばしば物質的な約束として聞きます。説教者はそこにもう一つの層を明らかにします。人を富ませる祝福とは、人を整える祝福だということです。それはあなたを鍛え、あなたを形づくり、神が明日あなたに託そうとしているものを担えるように備えるのです。
したがって逆境は、あなたの終わりではありません。それはあなたをさらに遠くへ運ぶ跳躍台です。神はそれを用いて、あなたの考え方、物事の見方、状況の受け止め方を調整されます。あなたを打ち砕くように見えるその出来事こそ、実は神があなたを成長させるために用いる道具なのです。
4. ペニンナがいなければ、新しい歌もない
サムエル記第一1章で、ハンナはエルカナのもう一人の妻ペニンナに軽んじられます。ペニンナには子どもがいましたが、ハンナにはいませんでした。ペニンナは年ごとにハンナを挑発し、あざけり、傷つけました。この苦しみがなければ、ハンナはあれほど激しい祈りをもって神殿に上ることはなかったでしょう。ペニンナがいなければ、彼女は「語り、成し遂げてくださる神」についての啓示を得ることもなかったでしょう。
だからこそ、祈りが聞かれた後、ハンナはこう歌うことができたのです。「主のように聖なる方はいない。まことに、あなたのほかに、だれもいない。私たちの神のような岩はない」(サムエル記第一2:2)。この歌は苦難の中から生まれました。ペニンナがいなければ、このような礼拝が天に上ることは決してなかったでしょう。
あなたが今通っている季節の終わりに、神はあなたの唇に新しい歌を置いてくださいます。まだ誰も聞いたことのない証しです。今や実質を伴う礼拝です。なぜなら、あなたはもう耳で聞いた神を賛美しているのではなく、自分の目で見た神を賛美しているからです。
5. 神は戦いを学ばせるためにあえて敵を残される
士師記3章1-2節には、主がカナンにある国々を残されたのは、「これによってイスラエルを試み、戦いを経験したことのないイスラエルの子孫のすべての世代に戦いを教えるため」であったと記されています。エジプトを出た父たちは戦いを経験していました。しかしその子どもたちは何も知りませんでした。敵対者がそのまま残されていなければ、次の世代は柔弱になり、信仰に踏みとどまることができなくなっていたでしょう。
あなたが火で焼き尽くされてしまえばいいと思う敵対者がいるかもしれません。しかし神はあえてそれを残されます。あなたを罰するためではなく、あなたを鍛えるためです。「あなたが火の中を歩いても、焼けることはない」(イザヤ43:2)。あなたは父たちよりも強く、霊的に鍛えられ、信仰に深く根ざした者となって出て来るのです。他の人を滅ぼすものが、あなたを築き上げているのです。
6. 自分のたましいに語りかけなさい。「あなたはまだ何も見ていない」
詩篇42篇で、詩人は自分自身にこう語りかけます。「わがたましいよ、なぜ、おまえはうなだれているのか。神を待ち望め。」あなたのたましいは、感情の座です。そこであなたは泣き、そこにうつが居座り、そこに抑圧が住み着きます。あなたは自分のたましいに、自分の神学を決めさせてはいけません。
時間を取って、たましいに語りかけなさい。主の恵みを思い出させなさい。あなたはまだ何も見ていない、と宣言しなさい。今起きていることは「益となるように共に働く」(ローマ8:28)ものであり、神の栄光が現れるためのものだと告げなさい。たましいがうなだれるままにすることを拒みなさい。一度も嘘をついたことのない方の真実さを疑うことを拒みなさい。
覚えておきたいポイント
- 苦難は、神があなたの優先順位を調整し、あなたをご自分に近づけるために用いる道具です。
- 敵対者の存在は、しばしば重要な門があなたの前に開かれた証拠です。
- 主の祝福は、まず整えることによって富ませます。与える前に、鍛えるのです。
- あなたの人生の「ペニンナ」がいなければ、礼拝のある側面を発見することは決してなかったでしょう。
- 神はある戦いを残されますが、それはあなたを押しつぶすためではなく、戦いを教えるためです。
- 自分のたましいに語りかけ、こう宣言しなさい。「あなたはまだ何も見ていない。」
個人への適用
- あなたは今、どんな苦難を通っていますか。ヤイロのように、人目を気にせずイエスの足もとにひれ伏す備えができていますか。
- 騒ぎのせいで手放してしまいそうな「開かれた門」はありませんか。巨人ではなく門を見つめるために、何が必要でしょうか。
- 神は今の季節を通して、あなたの中に何を整えようとしていますか。どんな霊的な力を鍛えようとしていますか。
- あなたの「ペニンナ」は誰ですか。その人や状況を通してあなたのうちに生まれる深みのゆえに、神に感謝できますか。
- この試練を通り抜けた後、神はあなたの唇からどんな新しい歌、どんな前例のない証しを引き出そうとしていますか。
引用された聖句
- ヨハネ11:4 ・ この病気は死で終わるものではなく、神の栄光のためのものです。
- ローマ8:28 ・ すべてのことは、神を愛する者たちの益となるように共に働きます。
- 第一コリント16:9 ・ 有力な働きの門が大きく開かれていますが、反対者も大勢います。
- 箴言10:22 ・ 人を富ませるのは主の祝福です。
- ヨハネ12:42 ・ しかし指導者たちの中にも、イエスを信じた者が大勢いました。
- サムエル記第一1章 ・ ハンナとペニンナ。
- サムエル記第一2:2 ・ 主のように聖なる方はいません。
- 士師記3:1-2 ・ 主がイスラエルを試みるために残された国々。
- イザヤ43:2 ・ あなたが火の中を歩いても、焼けることはありません。
- 詩篇42篇 ・ わがたましいよ、なぜうなだれているのか。
- 使徒の働き10章 ・ ペテロとコルネリウス。
よくある質問
神は私の人生に苦しみを送られるのですか。
聖書はいくつかの原因を区別しています。私たち自身の選択、敵、堕落したこの世、そして時には神が私たちを形づくるために許され、あるいは引き起こされる試練です。このメッセージが語っているのは、たとえ苦難が神から出たものでなくても、それは神を通り抜けていき、神はそれをご自分の栄光を現すために用いられるということです(ローマ8:28)。苦難が最終的な結論になることは決してありません。
逆境のただ中で「開かれた門」をどう見分ければよいですか。
開かれた門は多くの場合、内なる平安、神からの明確な召し、みことばによる確認、そして信仰の成熟した人々からの賢い助言によって裏づけられます。その周りにある逆境は門を無効にするのではなく、むしろその価値を裏づけるのです。エペソにいたパウロのように、自分に問うべき問いは「神が私をここに置かれたのか」ということです。もしそうなら、そこにとどまりなさい。
祈っているのに、たましいがうなだれてしまうときはどうすればよいですか。
詩人がしたように、たましいに語りかけなさい。過去の救い、神の真実さ、すでに果たされた約束を思い出させなさい。ともに祈ってくれる兄弟姉妹に囲まれなさい。みことばで信仰を養いなさい。そして何よりも、自分のたましいに、まだ何も見ていないと宣言しなさい。あなたを贖う方が生きておられるゆえに、最良のものはこれから訪れます。
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