聖書 — 口語訳 (1955)
箴言 25
概要
箴言25章は、ソロモンの作とされ、ヒゼキヤ王の人々が書き写した箴言集の始まりです。冒頭には有名な節があり、ものごとを隠すのは神の栄光、それを探り出すのは王たちの栄光だと語ります。続いて、権力者の前での生き方、秘密を裏切らずに争いを収めること、よい時に語ること、誠実さと忍耐についての助言が並びます。章は、敵への親切と、城壁のない町にたとえられる自制で結ばれます。
この章の4つの区分
1これらもまたソロモンの箴言であり、ユダの王ヒゼキヤに属する人々がこれを書き写した。
2事を隠すのは神の誉であり、事を窮めるのは王の誉である。
3天の高さと地の深さと、王たる者の心とは測ることができない。
4銀から、かなくそを除け、そうすれば、銀細工人が器を造る材料となる。
5王の前から悪しき者を除け、そうすれば、その位は正義によって堅く立つ。
6王の前で自ら高ぶってはならない、偉い人の場に立ってはならない。
7尊い人の前で下にさげられるよりは、「ここに上がれ」といわれるほうがましだ。
8あなたが目に見たことを、軽々しく法廷に出してはならない。あとになり、あなたが隣り人にはずかしめられるとき、あなたはどうしようとするのか。
9隣り人と争うことがあるならば、ただその人と争え、他人の秘密をもらしてはならない。
10そうでないと、聞く者があなたをいやしめ、あなたは、いつまでもそしられる。
11おりにかなって語る言葉は、銀の彫り物に金のりんごをはめたようだ。
12知恵をもって戒める者は、これをきく者の耳にとって、金の耳輪、精金の飾りのようだ。
13忠実な使者はこれをつかわす者にとって、刈入れの日に冷やかな雪があるようだ、よくその主人の心を喜ばせる。
14贈り物をすると偽って誇る人は、雨のない雲と風のようだ。
15忍耐をもって説けば君も言葉をいれる、柔らかな舌は骨を砕く。
16蜜を得たならば、ただ足るほどにこれを食べよ、おそらくは食べすごして、それを吐き出すであろう。
17隣り人の家に足をしげくしてはならない、おそらくは彼は煩わしくなって、あなたを憎むようになろう。
18隣り人に敵して偽りのあかしを立てる人は、こん棒、つるぎ、または鋭い矢のようだ。
19悩みに会うとき不信実な者を頼みにするのは、悪い歯、またはなえた足を頼みとするようなものだ。
20心の痛める人の前で歌をうたうのは、寒い日に着物を脱ぐようであり、また傷の上に酢をそそぐようだ。
21もしあなたのあだが飢えているならば、パンを与えて食べさせ、もしかわいているならば水を与えて飲ませよ。
22こうするのは、火を彼のこうべに積むのである、主はあなたに報いられる。
23北風は雨を起し、陰言をいう舌は人の顔を怒らす。
24争いを好む女と一緒に家におるよりは、屋根のすみにおるほうがよい。
25遠い国から来るよい消息は、かわいている人が飲む冷やかな水のようだ。
26正しい者が悪い者の前に屈服するのは、井戸が濁ったよう、また泉がよごれたようなものだ。
27蜜を多く食べるのはよくない、ほめる言葉は控え目にするがよい。
28自分の心を制しない人は、城壁のない破れた城のようだ。
鍵となる聖句
事を隠すのは神の誉であり、事を窮めるのは王の誉である。
神は隠され、王、すなわち責任を負う者は、探り調べるよう召されています。この節は、表面をなぞるだけでなく深く掘り下げるよう促すもので、神がかくれんぼをしておられるという意味ではありません。
おりにかなって語る言葉は、銀の彫り物に金のりんごをはめたようだ。
ふさわしい時に語られる正しい言葉は、宝飾品にたとえられています。その価値は、正しさと同じくらい、時にもよります。この箴言は、真実を語るだけでは足りず、ふさわしい時に語ることも必要だと教えています。
もしあなたのあだが飢えているならば、パンを与えて食べさせ、もしかわいているならば水を与えて飲ませよ。 こうするのは、火を彼のこうべに積むのである、主はあなたに報いられる。
敵に食べ物と飲み物を与えることは、具体的な親切の行いです。燃える炭は、一般に、人を変わるように導きうる、救いに至る恥と理解されています。パウロはローマ12章でこの箇所を引いています。
聖書クイズに挑戦
説教が語っていること
箴言25章についてよくある質問
箴言25章2節はどういう意味ですか
この節は、ものを隠すのは神の栄光、それを探り出すのは王たちの栄光だと語ります。神は一度にすべてを明かされるのではなく、私たちを、探し、考え、忍耐するよう招いておられます。責任ある立場にある人は、真剣に調べるよう召されています。多くの説教者は、これを試練にあてはめ、神がそこに教えを隠しておられることがあると語ります。
敵の頭に燃える炭火を積むとはどういう意味ですか
21節と22節は、敵に食べ物と水を与えて、よく扱うことを語っています。燃える炭の像は、復讐としてではなく、たいていは悔い改めに導きうる恥として理解されます。パウロはこの箇所をローマ12章で取り上げています。
箴言25章28節は自制について何と言っていますか
この節は、自分を制することのできない人を、破られて城壁のない町にたとえています。古代では、城壁が住民を守っていました。同じように、自制は、怒りや行き過ぎ、後悔する言葉から人を守ります。新約聖書は、自制を御霊の実のひとつに数えています。
箴言 25を引用している記事
口語訳(1955年)— パブリックドメイン。