聖書 — 口語訳 (1955)

詩篇 23

概要

詩篇23篇は、羊飼いから王になったダビデの最もよく知られた賛歌です。神を、羊の群れを養い、導き、回復させ、守る羊飼いにたとえています。詩は牧場から暗い谷へ、さらに敵の前に整えられた食卓へと進み、主の家で終わります。苦しみを否定することなく安心を与えます。谷は確かにありますが、羊飼いはそこをあなたと共に歩いてくださいます。葬儀や試練、恐れを覚える時によく読まれます。

表題は、この詩篇をダビデの作としています。ダビデは王になる前、父の羊の群れを飼い、ししや熊から羊を守りました(サムエル記上17章34節から35節)。ですから、ここで語られる仕事を知り尽くしています。本文は、特定の出来事を記していません。若き日の思い出と見る読者もいれば、逃亡と敵を経験した王の円熟した詩篇と見る読者もいます。これは信頼の詩篇で、おそらくすべての詩篇の中で最もよく知られています。羊飼いの姿は聖書全体を貫いています。神はイスラエルの羊飼いと呼ばれ、イエスは羊のためにいのちを捨てる良い羊飼いとしてご自身を示されました(ヨハネによる福音書10章11節)。今日でも、病床のそばで、葬儀で、また夜眠る前に読まれ、多くの子どもたちがこの詩篇を暗唱します。

この章の4つの区分

  1. 1-3節備え、憩わせ、魂を生き返らせる羊飼い
  2. 4節死の陰の谷:あなたがわたしと共にいてくださる
  3. 5節敵の前に整えられた食卓
  4. 6節恵みといつくしみ、そして主の家

1主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。

2主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。

3主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。

4たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。

5あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。

6わたしの生きているかぎりは 必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。

詩篇23篇を節ごとに読む

1節自分を羊と認める王は、乏しいことがない

詩篇全体が、この最初の一文に収まっています。羊飼いから王になったダビデは、羊飼いの側に立つこともできました。けれども選んだのは、すべてを他者に頼る羊の立場です。ダビデは、主は牧者だと一般論を述べるのではなく、「わたしの牧者」と言います。これは神についての考えではなく、生きた関係です。その結果がすぐに続きます。わたしには乏しいことがない。これは富の約束ではありません。同じ言い方が荒野のイスラエルについても使われています。四十年間、毎朝のマナを受けて、民は何も欠けませんでした(申命記2章7節)。神は羊が本当に必要とするものを備えてくださいますが、望むものすべてを与えるわけではありません。今日、足りないと感じているなら、この節はまず、あなたの前を歩いてくださる方を見るよう招いています。

2節羊飼いが与える憩い、いこいのみぎわで

ユダヤの乾いた丘では、青草も静かな水も偶然には見つかりません。地形を知り尽くした羊飼いが必要です。動詞に注目してください。伏させ、伴われる。働くのは神で、羊は受け取る側です。羊は、満ち足りて安全だと感じるときにしか身を横たえません。ダビデの語る憩いは、信頼の実なのです。「いこいのみぎわ」は、文字どおり休息の水を意味します。忙しい毎日の中で、この節は、休むことが時間の無駄でも贅沢でもなく、神の配慮の一部だと思い出させます。羊飼いは、羊がまだ立ち止まろうとも思わないうちに、羊を憩わせることさえあります。この憩いを受け入れるとは、自分が自分の人生の羊飼いではないと認めることです。

3節魂を生き返らせ、正しい道に導いてくださる

「魂をいきかえらせ」と訳された言葉は、疲れ果てた人にいのちを取り戻させることも、迷った人を連れ戻すことも意味します。二つの意味は重なります。羊飼いは力尽きた羊を起こし、迷い出た一匹を探しに行きます。イエスのたとえ話のとおりです(ルカによる福音書15章4節から7節)。そして、羊を正しい道へ導きます。まっすぐで安全な、どこかへ通じる道、そして神が喜ばれる道です。しかも、それは御名のためです。神があなたを導かれるのは、あなたがそれにふさわしいからではなく、ご自身が真実なお方だからです。すべてを台無しにしたと思うときも、この節は、あなたの回復が、あなたの評判ではなく、良い羊飼いである神の御名にかかっていることを思い出させます。

4節暗い谷の中でも、神はあなたと共に歩まれる

場面が突然変わります。牧場のあとに、死の陰の谷が現れます。深い暗闇を指す言葉で、日の差さない谷間、危険、病、死別、そして死そのものまでを思わせます。ダビデは、谷を歩むときのことを語ります。谷は、良い羊飼いの羊にとっても、道の一部なのです。けれども彼はそこに住みつかず、通り抜けます。そして、ここですべてが変わります。それまでダビデは神について語っていましたが、谷では神に直接語りかけます。「あなたがわたしと共におられる」。羊飼いの杖と鞭は、野獣から群れを守り、導き、引き止めるための道具でした。それが慰めになるのは、羊飼いがそこにいて、守る備えをしておられることを示すからです。

5節敵の前に整えられた食卓

絵は牧場から宴の席に移り、羊飼いは客をもてなす主人になります。古代の東方では、客を食卓に迎えることは、その人を守る責任を負うことを意味しました。客の頭に油を注ぐのは、敬意とさわやかさを表す行いです。イエスも、それをしてくれなかった家の主人に、そのことを指摘されました(ルカによる福音書7章46節)。あふれる杯は、必要を超える豊かさを語ります。いちばん意外なのは、敵がそこにいることです。宴は敵が消えたあとではなく、敵の目の前で開かれます。神が与える平安は、すべての争いが終わることに左右されません。困難がまだ残っていても、あなたは神の食卓につき、敬われ、養われることができます。この節を、聖餐にあずかるときに思い起こすクリスチャンも多くいます。

6節神の恵みに追われて、主の家へ

詩篇は、確信に満ちた肯定の言葉で結ばれます。口語訳で「伴う」と訳されたヘブライ語は、むしろ追いかけるという意味で、敵が人の後ろから追いかけるときに使う言葉です。長い間サウルに、そして自分の息子アブサロムに追われたダビデは、この絵を逆転させます。今や彼を追うのは、神の恵みといつくしみです。いつくしみとは、契約に基づく神の変わらぬ愛、ご自分の民を離さない愛のことです。主の宮は、神が民のただ中におられる場所でした。主から始まった詩篇は、主で閉じられます。クリスチャンはここに、イエスが開いてくださった望みも読み取ります。父の家に、ご自分の民のための場所を用意してくださるという望みです(ヨハネによる福音書14章2節)。あなたの人生は、神のうちに始まり、神のうちに終わります。

詩篇23篇の祈り方

この詩篇を祈るとき

  • 病気の家族や、人生の終わりを迎えようとしている人のそばにいるとき。
  • 大切な人を亡くし、心の空白があまりにも大きく感じられるとき。
  • 疲れ果てて、もう休むことさえできないとき。
  • 大切な決断の前で、どの道を選べばよいか分からないとき。
  • お金が足りず、明日への不安に押しつぶされそうなとき。
  • 職場や家庭の対立が重くのしかかっているとき。
  • 夜、眠る前に、一日を羊飼いである主にゆだねるとき。

詩篇23篇に基づく祈り

主よ、あなたは私の牧者です。導きを必要とする羊のように、あなたのもとに来ました。今日私に足りないものを、あなたはご存じです。必要でもないのに求めているものも、ご存じです。大切なことについて、あなたに信頼することを教えてください。時間がないと思うときも、私を憩わせ、いこいのみぎわに導き、疲れた魂を生き返らせ、私があなたから離れるときには連れ戻してください。私にふさわしさがあるからではなく、あなたが御名のとおり真実なお方だからこそ、正しい道に導いてください。恐れを隠しません。今通っている谷は暗く、まだ出口が見えません。けれども、あなたは私と共におられます。あなたの杖と鞭が、私を慰めてくださいますように。困難の中でも食卓を整え、望んだ以上に杯を満たしてくださることを感謝します。羊のためにいのちを捨てられた良い羊飼い、主イエスよ、生きているかぎりあなたに従い、とこしえにあなたの家に住みたいと願います。アーメン。

鍵となる聖句

1節
主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。

ダビデは自分を羊とし、神を羊飼いと呼びます。乏しいことがないとは、何もかも持っているという意味ではなく、本当に必要なものを神が配慮してくださるという意味です。

3節
主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。

羊飼いは魂を生き返らせます。疲れ果てた人にいのちを取り戻させるということです。また、ご自身の名のために、義の道へと導いてくださいます。

4節
たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。

この詩篇は、谷を避けられるとは約束していません。約束されているのは、谷の中での神の臨在です。羊飼いの杖と鞭は、守りと導きの象徴です。

5節
あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。

食卓を共にすることは、歓迎と名誉のしるしです。神は争いのただ中で、信仰者を大切な客として迎え、あふれるほどの杯を注いでくださいます。

このテーマで祈る

説教が語っていること

詩篇23篇についてよくある質問

詩篇23篇、主は私の羊飼いとはどういう意味ですか

詩篇23篇は、羊飼いが群れを世話するように、神が信仰者を養い、憩わせ、導き、守ってくださると語ります。羊飼いだったダビデは、経験から語っています。この詩篇の信頼は、危険がないことにではなく、群れと共にとどまる羊飼いの臨在にあります。

詩篇23篇は誰が、どのような状況で書いたのですか

表題はダビデの作としています。具体的な出来事は記されていませんが、羊飼いの言葉は、父の羊を飼っていた若き日を思わせます。敵を前にした王としての生涯の中で書かれたと見る読者もいれば、もっと古い思い出と見る読者もいます。

死の陰の谷とは何を指しますか

重い病、死別、命の危険、深い苦しみなど、非常に暗い道のりを指します。この詩篇は、神が共におられるので、信仰者はそこでわざわいを恐れないと語ります。強調されているのは神の臨在と、谷は通り抜けるもので、そこにとどまるものではないということです。

詩篇23篇はどのように祈り、黙想すればよいですか

ゆっくりと、一日に一節ずつ読んでみましょう。それぞれの節で、神に何を期待しているのか、何をゆだねたのかを自分に問いかけます。4節では、今通っている谷を言葉にして、あなたがわたしと共にいてくださる、と言い直してください。夜に声に出して読み、心の平安を取り戻す信仰者も多くいます。

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