聖書 — 口語訳 (1955)

箴言 17

概要

箴言17章は、家庭、友情、正義、言葉といった人間関係の営みに触れています。争いに満ちた家よりも価値のある平和から始まり、心を試みるのは神だけであることを思い起こさせます。章は、愛によって覆われる過ち、初めのうちに避けたほうがよい争い、どんなときにも愛する友、薬となる喜びに満ちた心、言葉を控えることについて語ります。結びは、ぴりっとした一言です。黙っていれば、愚かな人でさえ知恵ある者と思われるのです。

この章の4つの区分

  1. 1-6節平和、神の精錬、そして家庭
  2. 7-14節言葉、覆われる過ち、避けるべき争い
  3. 15-21節正義、友情、そして愚かな人の悲しみ
  4. 22-28節喜びに満ちた心と言葉を慎むこと

1平穏であって、ひとかたまりのかわいたパンのあるのは、争いがあって、食物の豊かな家にまさる。

2賢いしもべは身持の悪いむすこを治め、かつ、その兄弟たちの中にあって、資産の分け前を獲る。

3銀を試みるものはるつぼ、金を試みるものは炉、人の心を試みるものは主である。

4悪を行う者は偽りのくちびるに聞き、偽りをいう者は悪しき舌に耳を傾ける。

5貧しい者をあざける者はその造り主を侮る、人の災を喜ぶ者は罰を免れない。

6孫は老人の冠である、父は子の栄えである。

7すぐれた言葉は愚かな者には似合わない、まして偽りを言うくちびるは 君たる者には似合わない。

8まいないはこれを贈る人の目には幸運の玉のようだ、その向かう所、どこでも彼は栄える。

9愛を追い求める人は人のあやまちをゆるす、人のことを言いふらす者は友を離れさせる。

10一度の戒めがさとき人に徹するのは、百度の懲らしめが愚かな人に徹するよりも深い。

11悪しき者はただ、そむく事のみを求める、それゆえ、彼に向かっては残忍な使者がつかわされる。

12愚かな者が愚かな事をするのに会うよりは、子をとられた雌ぐまに会うほうがよい。

13悪をもて善に報いる者は、悪がその家を離れることがない。

14争いの初めは水がもれるのに似ている、それゆえ、けんかの起らないうちにそれをやめよ。

15悪しき者を正しいとする者、正しい者を悪いとする者、この二つの者はともに主に憎まれる。

16愚かな者はすでに心がないのに、どうして知恵を買おうとして 手にその代金を持っているのか。

17友はいずれの時にも愛する、兄弟はなやみの時のために生れる。

18知恵のない人は手をうって、その隣り人の前で保証をする。

19争いを好む者は罪を好む、その門を高くする者は滅びを求める。

20曲った心の者はさいわいを得ない、みだりに舌をもって語る者は災に陥る。

21愚かな子を生む者は嘆きを得る、愚か者の父は喜びを得ない。

22心の楽しみは良い薬である、たましいの憂いは骨を枯らす。

23悪しき者は人のふところからまいないを受けて、さばきの道をまげる。

24さとき者はその顔を知恵にむける、しかし、愚かな者は目を地の果にそそぐ。

25愚かな子はその父の憂いである、またこれを産んだ母の痛みである。

26正しい人を罰するのはよくない、尊い人を打つのは悪い。

27言葉を少なくする者は知識のある者、心の冷静な人はさとき人である。

28愚かな者も黙っているときは、知恵ある者と思われ、そのくちびるを閉じている時は、さとき者と思われる。

鍵となる聖句

1節
平穏であって、ひとかたまりのかわいたパンのあるのは、争いがあって、食物の豊かな家にまさる。

争いのあるごちそうよりも、家庭の平和のほうがまさっています。この節は幸せの問いの焦点を移します。大切なのは食卓ではなく、そこにある雰囲気です。

14節
争いの初めは水がもれるのに似ている、それゆえ、けんかの起らないうちにそれをやめよ。

争いを始めることは、堤防を開くことに似ています。水が走り出したら、もう制御できません。口論が激しくなる前に身を引く、という助言です。

17節
友はいずれの時にも愛する、兄弟はなやみの時のために生れる。

真の友情は、不幸の中で測られます。友はどんなときにも愛し、すべてがうまくいかないときには兄弟となります。

22節
心の楽しみは良い薬である、たましいの憂いは骨を枯らす。

この節は、内なる喜びと健康のつながりを語っています。生き方の原則を述べているのであり、気持ちの沈んだ心が必ず過ちだと約束するものではありません。

27-28節
言葉を少なくする者は知識のある者、心の冷静な人はさとき人である。 愚かな者も黙っているときは、知恵ある者と思われ、そのくちびるを閉じている時は、さとき者と思われる。

言葉を控え、落ち着いている人は、悟りがあることを示します。沈黙もまた、知恵の一つのかたちです。

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説教が語っていること

箴言17章についてよくある質問

箴言17章17節はどういう意味ですか

この節は、友はどんなときにも愛し、苦難のときには兄弟となると語っています。真の友情は、よい時に左右されません。試練を通るときにあらわれるのです。自分自身が忠実な友であるように、そしてすでに忠実な友である人々を、楽な日に会えるかどうかで判断せずに見分けるように、と促しています。

箴言17章1節はどういう意味ですか

この節は、平和のうちに食べる一切れの干したパンは、争いのある、ごちそうに満ちた家にまさると述べています。富は調和を買えないことを思い起こさせます。家庭でもチームでも、人間関係の質は物質的な快適さよりも大切であり、そのために時間を割く価値があります。

箴言17章28節の黙っている愚かな人についてはどういう意味ですか

この節は、愚かな人でさえ、黙っていれば知恵ある者と思われると述べています。これは皮肉であり、実際的な指摘でもあります。話すことを減らせば、愚かなことを言わずにすみます。言葉を慎むことと落ち着いた心を結びつける27節とも通じています。ふりをするのではなく、自分の言うことをよく量ることを学ぶということです。

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