はじめに
もうすぐ夏休みですね。旅立ちがあり、再会があり、休息があります。でも、たとえこの夏をご自宅で過ごすとしても、あなたはとても大切なことを経験できます。それは神の愛にとどまることです。カシー牧師は、この夏の休みのためにひとつの黙想の贈り物を用意しました。それは、ゆっくりと開いていく五つの章、ヨハネ13章から17章です。この五つの章はとても重みがあります。ヨハネによる福音書全体の四分の一を占めているからです。そして実は、これらは一つの、同じ説教なのです。
イエス様がこの言葉を語られたのは、悲劇的な瞬間でした。裏切りが目前に迫っています。ペトロの否認まであと数時間です。十字架が近づいています。弟子たちはそのことに気づいていません。それでもイエス様は、ご自分のことに閉じこもるのではなく、長い時間をかけて、愛する者たちを慰め、備えさせ、励まされました。この言葉全体は、最初の節から最後の節まで、たった一つのことばを中心に展開しています。それは「愛」です。この愛こそ、人生の試練に立ち向かうための究極の薬なのです。
メッセージの構成
1. 悲劇的な状況と、愛という名の薬
- イエス様はまさに裏切られ、否認され、裁かれ、十字架へと送られようとしています。
- 弟子たちはこれから倒れ、逃げ、迫害と殉教を経験することになります。
- 今日でも、教会は苦しみを経験しています。ニジェールで、ブルキナファソで、中東で、北アフリカで。
- イエス様はご自分の痛みを気にかけるのではなく、弟子たちを備え、慰めておられます。その薬とは、ご自分の愛なのです。
2. ヨハネ13章:十字架による清め
- イエス様は弟子たちの足を洗われます。それは本来、最も身分の低い奴隷に任される仕事でした。
- この行為は清めの象徴です。それは、私たちを完全に清めるために十字架で流される血を予告しています。
- 十字架の前には、あなたのすべての傷を置くことができます。裏切り、拒絶、恥、虐待、暴力。十字架はそれで十分なのです。
- そこから新しい戒めが生まれます。「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」
3. ヨハネ14章:「あなたがたの心を騒がせてはならない」
- 弟子たちの不安に対して、イエス様はこう言われます。「神を信じ、またわたしを信じなさい。」
- イエス様は場所を備えに行かれます。私たちの永遠の行く先は、父のもとにある住まいです。
- イエス様は私たちを一人にはされません。慰め主である聖霊を送り、その方は永遠に私たちとともにいてくださいます。
- 神にあるあなたのアイデンティティが、あなたを自由にします。あなたはもはや恐れ、恥、怒り、依存の奴隷ではありません。あなたは神の子どもなのです。
4. ヨハネ15章:キリストにとどまること、それが実り豊かな人生の秘訣
- イエス様はぶどうの木、私たちは枝です。イエス様なしには、私たちは何もできません。
- 豊かな人生の秘訣は、枝が木に結びついているように、イエス様に結びついていることです。
- この関係は日々育てられていきます。イエス様と過ごす時間、みことばの黙想、心からの祈りによって。
- 「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛にとどまりなさい。」これが招きです。
5. ヨハネ16章:喜びを生み出す苦しみ
- イエス様は現実を隠されません。私たちは試練、拒絶、時には迫害を経験することになります。
- イエス様はそれを、子を産む女性にたとえられます。激しい痛みですが、その痛みは命を生み出します。
- 今の悲しみは喜びに変わります。それは誰もあなたから奪うことのできない深い喜びです。
- 苦しみは無駄ではありません。それは新しい変化と新しい喜びを備えるものなのです。
6. ヨハネ17章:イエス様はあなたのために祈られる
- イエス様の祈りには悲しみの影がまったくありません。あなたのために十字架へ向かうことを、イエス様は喜んでおられます。
- イエス様はあなたを父にゆだね、あなたを祝福し、今日も天であなたのために執り成しをしておられます。
- イエス様は、父がご自分を愛された、その愛があなたの心に注がれ、あなたもその愛で愛し返せるようにと願っておられます。
- あなたは、父と子と聖霊との深い一致へと招かれているのです。
まとめのポイント
- ヨハネ13章から17章は、イエス様が弟子たちに「わたしはあなたがたを最後まで愛している」と語る、一つの告別の説教です。
- 裏切り、恐れ、苦しみに対する究極の薬は、キリストの愛です。
- 十字架はあなたのすべての傷に対して十分です。あなたの裏切り、恥、暴力を、そこに置きに来てください。
- あなたのアイデンティティは、「被害者」から「神の子ども」へと変わるときに変化します。あなたはもう恐れの奴隷ではありません。
- 実り豊かな人生の秘訣は、枝が木に結びついているように、キリストに結びついたままでいることです。
個人への適用
- この夏、あなたは本当に時間を取って、イエス様からの贈り物としてヨハネ13章から17章をゆっくり読んでいますか。
- まだ十字架のもとに置いていない古い傷(拒絶、裏切り、虐待、恥)はありませんか。
- 今日のあなたを定めているアイデンティティは何ですか。過去の被害者ですか、それとも神に愛される子どもですか。
- あなたとイエス様との関係は、機械的な義務になっていますか、それとも毎日本当に彼にとどまりたいと願う心ですか。
- 今直面している試練を、あなたは子を産む女性のように、イエス様がそこに生み出そうとしている喜びを待ち望みながら生きる用意がありますか。
引用聖句
- ヨハネ 13:1・「彼らを最後まで愛し抜かれた」
- テトス 3:5・新しく生まれる洗いの水
- ヨハネ 14:1-3・「あなたがたの心を騒がせてはならない」
- ヨハネ 15:5,9・ぶどうの木と枝、そして愛
- ヨハネ 16:20-22・悲しみが喜びに変わる
- ヨハネ 17:26・「あなたがわたしを愛された愛が彼らのうちにあるように」
よくある質問
なぜヨハネ13章から17章を黙想することがそれほど大切なのですか。
これらの五つの章は、逮捕される直前にイエス様が語られた、一つの説教です。ヨハネによる福音書全体の四分の一にあたり、その重みがうかがえます。イエス様はそこで、これから来る試練に備えて弟子たちに「最後まで愛している」と語り直しておられます。夏休みに黙想するのにふさわしい、まさに贈り物のような箇所です。
「キリストにとどまる」とは、日々の生活で具体的にどういうことですか。
キリストにとどまるとは、枝がぶどうの木に結びついているように、イエス様に結びついたままでいることです。実際には、毎日育てていく親密な関係として表れます。イエス様と時間を過ごすこと、みことばに耳を傾けること、祈りの中で語りかけることです。それは機械的な義務ではなく、本当につながっていたいと願う心なのです。
キリストの愛は、私の傷を本当に癒すことができるのですか。
十字架は、私たちのすべての傷に対して十分です。そこに私たちの重荷を置き、神の子どもという新しいアイデンティティを受け取るとき、私たちは被害者というアイデンティティから抜け出します。イエス様の血は清め、その愛は回復させます。心理学は理解の助けになりますが、深いところで癒すのはキリストの愛なのです。
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