はじめに
デイビッド・ポティエが、御霊の賜物についての5週間にわたる新しいシリーズをチャペルで開始します。これは決して語り尽くすことのできない壮大なテーマですが、ここでは特に、あまり取り上げられることの少ない賜物、預言、知恵、知識、異言、解き明かしに焦点を当てることが選ばれました。この最初のメッセージは全体像をつかむための導入であり、パウロが賜物について語る大きな講話、コリント人への手紙第一12章から14章に基づいています。そして出発点から、はっきりとした確信が示されます。御霊の賜物を熱心に求めることは、性格や好みの問題ではなく、聖書的な命令である、ということです。しかしすぐに一つの歯止めも示されます。愛がなければ、どんな賜物も何の役にも立たない、ということです。
メッセージの構成
1. コリント、賜物に満ちていながら混乱にも満ちていた教会
- パウロは西暦54年頃、自分が4年前に設立した教会に手紙を書いています。信仰に入ったばかりで、しばしば未熟なクリスチャンたちであり、名声を追い求め、性的に奔放で、派手な霊性を好み、競争心と個人主義に満ちた文化の中で育った人々でした。
- 「まるで現代の脱キリスト教化した西洋社会のようだ。」このメッセージは、今日のあなたにとって非常に切実なものです。
- パウロ自身も認めています。コリントの人々には、賜物が何一つ欠けていません。彼らは賜物を愛し、賜物を実践していますが、その実践は乱れています。競争心、比較、複数の人が同時に話すこと、支離滅裂な預言、高慢、そして「正しい賜物」を持たない人々を孤立させること、などです。
- デイビッドは打ち明けます。自分がパウロの立場だったら、「みんな、成熟するまで賜物はいったんお休みにしよう」と言っていただろう、と。しかしパウロはまったく逆のことをします。
2. 「賜物を熱心に求めなさい」、それは選択肢ではなく命令
- 12章の最後の言葉は命令です。「最も大きな賜物を熱心に求めなさい」(コリント人への手紙第一12章31節)。パウロはこれを14章1節、そして14章39節でも繰り返します。
- 「これは選択肢ではありません。好みや性格やスタイルの問題でもありません。命令に従うかどうかを知るために祈ることはできません。従う力を求めて祈ることはできますが、従うべきかどうかを祈って決めることはできないのです。」
- 14章39節は、このチャペルの牧会的な核心をまとめています。「預言することを熱心に求めなさい。ただし、すべてを礼儀正しく、秩序をもって行いなさい。」
3. 御霊の賜物についての明確な定義
- デイビッドが一週間かけて練り上げた定義がこちらです。「御霊の賜物とは、神の恵みの賜物であり、聖霊によって分け与えられ、私たちが神の教会を建て上げ、世界における神の使命を果たすことができるようにするためのものである。」
- それは何でしょうか。超自然的な恵みです。ギリシャ語で「恵み」を意味する言葉は「カリス」であり、新約聖書で「御霊の賜物」を表すのに最もよく使われる言葉は「カリスマ」です。両者のつながりは明白です。ローマ人への手紙12章6節、「私たちは、与えられた恵みに従って、異なる賜物を持っています。」
- 誰がそれを分け与えるのでしょうか。聖霊です。「これらすべてのことは、同じ一つの御霊が働いて、御心のままに、それぞれの人に分け与えてくださるのです。」(コリント人への手紙第一12章11節)あなたは自分の賜物を選ぶことはできません。それは贈り物なのです。
- どんな効果があるのでしょうか。賜物はあなたを装備し、神があなたの人生に置かれた召しを果たせるようにしてくれます。そしてあなたは例外なく召されています。教会の中でも外でも、あなたの召命に応じて異なる形で用いられます。
- その目的は何でしょうか。教会を建て上げること(パウロが手紙の中で語ること)と、神の使命を果たすこと(ルカが使徒の働きの中で語ること)です。どちらか一方ではなく、両方です。
4. 生まれ持った才能か、御霊の賜物か。あなたがすでに知っている違い
- 神の召しを、生まれ持った才能によって果たすことと、御霊によって超自然的に果たすこととの間には、大きな違いがあります。
- 教師でも、看護師でも、配管工でも、経営者でも、あなたはよく知っているはずです。自分の力だけで仕事に臨むのと、聖霊の満たしに頼るのとでは、生み出される実が違うということを。
- 奉仕においても同じです。「自分の才能だけで奉仕を果たそうとすると、すぐに疲れ果て、すぐに消耗してしまいます。しかし聖霊に頼るとき、その影響力はまったく違うものになります。」
- もしまだイエスを受け入れていないなら、あなたの内には聖霊がおられません。イエスに人生を委ね、悔い改めてください。そうすれば聖霊があなたの内に住んでくださり、あなたはその賜物にあずかることができます。
5. コリント人への手紙第一12章の九つの賜物、その概観
- 新約聖書には賜物のリストが五つあります(コリント人への手紙第一12章に二つ、ローマ人への手紙12章に一つ、ペテロの手紙第一4章に一つ、エペソ人への手紙4章に一つ)。合計するとおよそ22から23の賜物になります。どのリストも同じではなく、どれも網羅的ではありません。
- 四つの大きなカテゴリーがあります。御言葉の働き(教え、勧め、知恵、知識)、しるし(癒やし、奇跡、異言、解き明かし)、奉仕の賜物(信仰、奉仕、寛大さ、指導、援助、もてなし、憐れみ、識別)、そして職務(使徒、預言者、伝道者、牧師、教師)です。
- 聖書全体の中で最初に「御霊に満たされた」と記されている人物は、説教者でも預言者でもありません。それは職人ベツァルエルです。神は彼に、幕屋を建てるための知恵と英知と技能を与えられました。神の御国を建て上げるために神があなたに委ねてくださったどんな能力も、御霊の満たしによって育まれるべき御霊の賜物なのです。
6. 知恵の言葉、然るべき時に何をすべきかを知る
- 定義、神の真理を具体的な状況に霊感によって適用することです。複雑な状況の中で何をすべきかを知り、聖書的な真理とその時々の識別力を組み合わせた方向性を示すことです。
- 多くの場合、意思決定、対立の解決、リーダーシップに関わるものです。誰かが本物の知恵の言葉を与えてくれるとき、あなたは何をすべきか分からないまま帰るのではなく、何をすべきかがはっきりと分かるのです。
- デイビッドは証しします。彼はこの賜物を自分のオフィスで日常的に用いています。新しい情報がなくても、知恵がはっきりと与えられるのです。また、家族が重い過去を持つ家を買うべきか迷っていたとき、あるメンター牧師からもこの賜物を受け取ったことがあります。
- 聖書的な模範、それは、二人の母親と、真っ二つにされそうになった赤ん坊を前にしたソロモンです。
7. 知識の言葉、神だけが与えることのできる情報
- 定義、聖霊から受け取る、自然には知り得なかったはずの情報です。人間的には知ることが不可能な事実、状況、隠された詳細のことです。
- イエスはヨハネによる福音書4章で、サマリアの女に対してこれを示されました。「あなたに夫がいないと言ったのは、もっともなことです。」ペテロは使徒の働き5章で、アナニアとサフィラに対してこれを示しました。
- デイビッドは語ります。シャーブルックでユースパスターをしていたとき、彼のグループの一人の若者が、あるクリスチャンではない来訪者に対して、その来訪者が数か月前に実際に過ごしていたリビングルーム(暖炉、暖炉の飾り、「絶えず祈りなさい」と書かれたポスター)を具体的に描写するのを目にしました。神はその若者の心を揺さぶろうとしておられたのです。
8. 信仰の賜物、並外れた仕方で神を信じること
- これは、すべてのクリスチャンが受け取る救いの信仰ではありません。特定の状況において、並外れた仕方で神を信じるために御霊から与えられる能力です。
- これはうぬぼれでも、前向きな思考でもありません。すべてが不可能に思えるときでも祈り続けることができるようにし、疲れ果てている他の人々の信仰を強めるための、増幅された信仰です。
- カルティエヴィルのプロジェクトの証し。一年以上にわたって、100万ドル近い資金不足がありました。デイビッドは、この教会を諦めるべきではないと感じていました。しかし彼の心の中には、この金額に対する具体的な信仰があり、それをスタッフに語り、祈り続けました。そしてついに、ある友人の牧師がその金額を補うと約束してくれる電話がかかってきたのです。
9. 癒やしの賜物、複数形であることには理由がある
- 定義、聖霊の顕現によって、神が病気や苦しみの中にある人に、身体的、感情的、時には霊的な回復をもたらすことです。
- なぜ複数形なのでしょうか。それは、自分の意志で自由に作り出せる能力ではないからです。それは神がその時々に与えてくださる賜物です。あなたの責任は変わりません。それは、病人のために信仰をもって祈ることです。
- もう一つの注意点があります。神は時に、特定の分野(聴覚障害、不妊、がんなど)において、特定の人に特別な恵みを与えられます。デイビッドは、神が劇的に癒やされる場面を見てきました(余命1年と宣告された幼いカリーヌが、35歳になった今も元気に生きています)。しかし彼はこう念を押します。「神を操ることはできません。神をコントロールしようとすることは、クリスチャン版の魔術に陥ることです。」
10. 奇跡を行う賜物
- 自然の法則を超えた超自然的な介入です。復活(使徒の働き9章のペテロとタビタ)、自然現象に対する奇跡などが含まれます。
- 家族の証し。デイビッドの父親は若い頃、屋外でのクリスチャンの集会の最中、晴れ間の予報もまったくない真っ黒な空の下で、ある神の人が祈るのを目にしました。周囲は雨。しかし集会の上空だけには、光の輪ができていたのです。
- 「多くの奇跡を目にしないからといって、それが存在しないということにはならない。」もはやそれを信じない唯一の正当な理由があるとすれば、御言葉がそれを廃止していることでしょう。しかし御言葉はまさにその正反対のことを語っています。
11. 預言と霊の識別
- 預言、それは、神が心に置かれたことを伝える人の言葉であり、それは徳を高め、励まし、慰めるためのものです。印象、映像、言葉、聖句、重荷など、いくつもの形を取ります。このシリーズでは、後にこのテーマだけを扱うメッセージが用意されています。
- 霊の識別、それは、ある現れの霊的な源を見分ける能力です。使徒の働き16章で、パウロはある女奴隷が真実を語っていながら、悪しき霊に動かされていることを見分けました。
- 「輝くものすべてがイエスであるとは限らない。敵は角を生やして来るのではなく、光の天使を装って来るのだ。」
- 占星術、魔術、呪術、死者との交信など、霊的なものが爆発的に広がる世界の中で、本物の光と呼べるものはただ一つ、イエス・キリストだけです。
12. 異言と解き明かし
- 異言、それは、自然には学んだことのない言語で神の素晴らしい御業を語る能力であり、聖霊によって与えられます(使徒の働き2章、10章、19章、コリント人への手紙第一12章から14章)。
- 異言の解き明かし、それは、教会を建て上げるために、異言によるメッセージの意味を伝えることです(コリント人への手紙第一14章)。
- これらは、あまりよく理解されていない賜物であり、時に乱用の原因となり、しばしば恐れの原因ともなります。このシリーズでは、14章39節の精神、すなわち熱心に求めながらも「礼儀正しく、秩序をもって」という精神で、これに一つのメッセージ全体を割り当てる予定です。
13. 最も大切なこと、愛が賜物を働かせる
- パウロは12章で終わりません。すぐにこう続けます。「たとい私が人の異言、御使いの異言を語っても、愛がなければ、私は騒がしいどら、やかましいシンバル。たとい山を動かすほどの完全な信仰があっても、愛がなければ、私は無に等しい。」(コリント人への手紙第一13章1節から3節)
- そして14章1節はすぐにこう続きます。「愛を追い求めなさい。また御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。」順序が重要です。賜物を求めながら、ついでに愛も求める、というのではありません。順序は逆なのです。
- 「もしあなたの御霊の賜物への渇望が、愛を求める思いよりも大きいなら、それは賜物中心のものになってしまう。そして賜物中心になるということは、結局、自分中心になるということだ。」
- 「私たちは、仕えるためではなく、自己実現のために神の賜物を利用してしまう。神が栄光を受けるためではなく、自分が見られるためにそれを利用してしまう。私たちの教会を見てほしい。ソーシャルメディアを見てほしい。それはまさに災いだ。」
- 信仰は賜物を用いることを可能にします。しかし、それを働かせるのは愛です。もしあなたが自分の教会でもっと多くの賜物が現れるのを見たいと願うなら、神はすでにそれを与えておられます。それを解き放つのは愛なのです。
覚えておきたいポイント
- 御霊の賜物を熱心に求めることは、好みやスタイルの問題ではない。それは、パウロがコリント人への手紙第一12章から14章の中で三度繰り返す命令である。
- 御霊の賜物は、聖霊が「御心のままに」主権的に分け与えてくださる恵み(カリスマ)である。あなたは自分の賜物を選ぶことはできないが、それを熱心に求め、祈り、用いる責任はある。
- 賜物の目的は二つある。教会を建て上げること(パウロ)と、神の使命を果たすこと(使徒の働き)である。その両方をともに担うのである。
- 生まれ持った才能はある程度の結果を生む。しかし御霊の賜物は、たとえ肉がどれほどうまく機能しても決して生み出すことのできない霊的な実を結ぶ。
- 聖書のリストは網羅的ではない。神の御国を建て上げるために神があなたに与えるどんな能力も(壁を建てること、歌うこと、仕えること、困窮している人を助けること)、聖霊によって育まれるべき賜物である。
- 愛がなければ、どんな賜物も意味を持たない。愛は賜物の付属品ではなく、賜物を働かせるものである。愛を追い求め、そして御霊の賜物も熱心に求めなさい。
個人への適用
- 自分は「賜物を熱心に求める」ことを、従うべき命令として捉えているだろうか、それとも脇に置いてもよい性格上の好みとして捉えているだろうか。
- 自分は今、(家庭で、仕事で、教会で)自分の召しを、生まれ持った才能によって果たしているだろうか、それとも聖霊の満たしによって果たしているだろうか。自分が肉によって歩んでいることを示す、疲れや消耗のサインはどんなものだろうか。
- 自分は、神が自分の人生に置いてくださる人々に仕えるために、賜物(知恵、知識、信仰、癒やし、預言、識別)を受け取り、用いることを日常的に祈り求めているだろうか。
- 自分は、「それは自分の賜物ではない」という理由で、教会での具体的な奉仕(受付、駐車場係、調理、清掃)を断ったことがあるだろうか。その返答は、自分の愛についての理解について何を物語っているだろうか。
- 自分の愛を求める思いは、賜物への渇望よりも大きいだろうか。それとも、人に見られ、評価され、認められるために賜物を求めてしまっているだろうか。
- 愛が賜物を働かせるのだとすれば、聖霊がすでに自分の内に置いてくださったものを解き放つために、今週の具体的な人間関係の中で何を変える必要があるだろうか。
引用された聖句
- コリント人への手紙第一12章1節から11節
- コリント人への手紙第一12章31節
- コリント人への手紙第一13章
- コリント人への手紙第一14章1節
- コリント人への手紙第一14章39節
- ローマ人への手紙12章6節
- エペソ人への手紙4章11節
- ペテロの手紙第一4章10節から11節
- ヨハネによる福音書4章(サマリアの女)
- 使徒の働き5章(アナニアとサフィラ)
- 使徒の働き16章(パウロと女奴隷)
- 出エジプト記31章1節から6節(ベツァルエル)
よくある質問
御霊の賜物を熱心に求めることは、本当にすべてのクリスチャンへの命令なのでしょうか。
はい、そうです。デイビッド・ポティエはこの点を強調します。パウロは賜物についての大きな講話の中で、これを三度述べています。「最も大きな賜物を熱心に求めなさい」(コリント人への手紙第一12章31節)、「愛を追い求めなさい。また御霊の賜物を熱心に求めなさい」(14章1節)、「預言することを熱心に求めなさい。ただしすべてを礼儀正しく、秩序をもって行いなさい」(14章39節)。つまりこれは、性格の好みでも、気質でも、一部の人だけに与えられた「カリスマ的な」感受性でもありません。すべての信者に向けられた聖書的な命令です。命令に従うべきかどうかを知るために祈る必要はありません。従う力を求めて祈ることはできますが、従うかどうかを決めるために祈るのではありません。熱心に求めるとは、強く願うこと、求めること、祈ること、神が教会を建て上げ、その使命を果たすためにあなたの内に置こうとしておられるものに向けて心を差し伸べることです。
生まれ持った才能と御霊の賜物との違いは何でしょうか。
生まれ持った才能とは、あなたが生まれつき与えられた、あるいは自分で伸ばしてきた能力のことです。教えること、伝えること、料理すること、建てること、歌うことなどです。御霊の賜物とは、神の民が教会を建て上げ、その使命を担うことができるように、聖霊によって分け与えられる超自然的な能力です。この二つが重なることもあります(デイビッドは、自分は生まれつき伝えることが得意であり、同時に説教の賜物も持っていると説明しています)が、生み出す実は同じではありません。自分の仕事(教師、看護師、配管工、親としての役割)を、才能だけで行えば、それなりの結果は出ます。しかし聖霊の満たしの中で、その賜物とともにそれを行うなら、肉が決して作り出すことのできない霊的な実、平安、愛、心の変化、御国の前進が生み出されます。あなたは「良い仕事をする」以上のことに召されています。あなたは自分のいる場所にイエスをもたらすために召されているのです。
なぜ愛は、賜物よりも「大きいもの」として示されているのでしょうか。
それは、愛がなければどんな賜物も何の役にも立たないからです。パウロは、賜物に満ちた教会(コリントの人々には何一つ欠けていませんでした)に手紙を書いていますが、それでも彼は、まるで警笛を鳴らすかのようにコリント人への手紙第一13章を送ります。異言、預言、知識、山を動かすほどの信仰、極限の犠牲、「愛がなければ、私は無に等しい」と。デイビッドはさらに一歩進みます。愛は賜物を飾る道徳的な装飾にすぎないのではなく、賜物を働かせるものなのだ、と。愛の中で用いられない預言の賜物、信仰の賜物、奉仕の賜物は、詰まったまま、沈黙したまま、実を結ばないままになってしまいます。だからこそパウロは、13章のすぐあとにこう書くのです。「愛を追い求めなさい。また御霊の賜物も熱心に求めなさい。」この順序は決してどうでもよいものではありません。賜物を求める思いが愛を求める思いを上回るとき、賜物は自分自身の存在証明の手段になってしまいます。それは「自分についてのもの」になってしまい、神はそれを用いることができません。もし教会がもっと多くの賜物が働くのを見たいと願うなら、まず何よりも必要なのは、もっと多くの愛なのです。
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