はじめに
私たちの社会が繰り返し語るメッセージは、あなたは善良な人間であり、解決策はあなた自身の中にあり、自分を信じさえすれば道は開ける、というものです。しかし聖書はこの考え方を完全に覆します。人類の根本的な問題は罪であり、それは外側ではなく、あなたの心の内側にあります。マルコ14章53-72節が、同じ瞬間に交差する二つの姿を通して示していることです。一方には完全に潔白でありながら不当な扱いを受けるイエス、もう一方には完全に罪深く不正を行うペテロがいます。二つの態度、しかしメッセージはただ一つです。イエスは、赦されないはずの罪人を救うために、不当に断罪されることを受け入れられたのです。
メッセージの概要
1. 完全に潔白でありながら不当な扱いを受けるイエス(55-65節)
- 裁判は夜、闇の中で行われ、判決はあらかじめ決められていました。真実を求めているのではなく、ただイエスを死に至らしめようとしていたのです。
- 互いに矛盾する偽証人たちが呼び出されますが、それを見ているのは、偽りの証言をしてはならないという戒めを知っているはずの律法の専門家たちでした。
- 嘘に取り囲まれながらも、イエスは真実を語り、ダニエル書7章と詩篇110篇を引用されます。全能者の右に座る人の子、あの永遠の栄光の王とは、まさにイエスご自身のことなのです。
- 大祭司は「冒瀆だ」と叫んで自分の衣を引き裂きますが、真の冒瀆とは神の御子を拒むことです。マルコ15章10節は、彼らがねたみのゆえにイエスを引き渡したことを明らかにしています。
- やがて父の右に座り諸国民を裁くことになる方が、罪深い人間たちによって裁かれ、虐げられることを受け入れられます。イエスはご自分を弁護されず、一つ一つの打撃と唾を自ら進んで受け入れられました。
2. 罪あるペテロが不正を行う(54節、66-72節)
- ペテロは遠くからイエスに従い、中庭に入りますが、最初の否認の後、玄関の方へと退きます。逃げる準備をしながらも、身を隠そうとしていたのです。
- 一人の女中が三度ペテロに声をかけ、ペテロは三度これを否定します。三度目の否認では、「そんな人は知らない、もし嘘なら神に呪われてもよい」といった呪いの言葉まで口にします。これは冒瀆であり、まさに隣でイエスが告発されているのと同じ罪です。
- これらの否認は、突発的な数分間の出来事ではなく、おそらく2時間から3時間にわたって続いたと考えられます。ペテロには自分の言葉を撤回し、悔い改める時間が十分にありました。ペテロは紛れもなく有罪なのです。
- この箇所は、ペテロの突然の転落を描いているのではありません。それは、ペテロが本当は何者であり、これまでずっとどのような人間であったかを明らかにする啓示なのです。「私は決してあなたを見捨てません」と豪語していたあのペテロが、自分の本当の弱さを発見するのです。
- 二つの場面は互いに対応しています。ペテロが罪を犯すのに、打たれるのはイエスです。ペテロが否認するのに、唾を受けるのはイエスです。ペテロが冒瀆するのに、冒瀆の罪で不当に断罪されるのはイエスなのです。
心に留めたいポイント
- 人類の根本的な問題は外側にあるのではなく、私たちの心の中にあります。ですから私たちに必要なのは、より良い動機づけではなく、救い主です。
- イエスが十字架を受けられたのは、それを避けるには弱すぎたからではありません。ご自身がそれを受け入れられたのは、赦されないはずの罪人を救うために、自ら進んでそう望まれたからです。
- ペテロは未来のヒーローではありません。私たちと同じ一人の罪人です。彼の転落は、神がご自分の御国を建てるために求めておられるような、小さな救い主など私たちの中に誰一人いないことを示しています。
- もしあなたが自分自身に正直であるなら、この箇所であなたが重ね合わせるべきなのはダビデ王でもモーセでもありません。あなたなりの回避や妥協の中で、あなたが自分を見出すのはペテロの姿の中なのです。
- イエスはペテロを決して見捨てられませんでした。マルコ16章7節で御使いは女たちにこう告げます。「行って、弟子たちとペテロに、あの方はあなたがたより先にガリラヤへ行かれる、と伝えなさい。」この特別な言及こそ、倒れた者を捜しに行く恵みなのです。
個人への適用
- 最近いつ、まるで給湯室にいるペテロのように、自分がクリスチャンであると言う「価値があるかないか」を心の中で計算したことがありますか。
- あなたの人生の中で繰り返し現れる性格の欠点や弱さは何ですか。そのたびに「今回は例外だ、今度こそ立て直せばいい」と自分に言い聞かせていませんか。
- あなたが思い描いていた理想の自分の姿(こうなるはずだった夫、妻、親、クリスチャンの姿)が、ここ数年であなたに追いつき、現実を突きつけてきたことはありませんか。そのときあなたはどう反応しましたか。
- 自分の罪責感や落胆に直面するとき、あなたはまず何に解決を求めますか。さらなる努力の中にですか、それとも、すでに代価を払ってくださったイエスの犠牲の中にですか。
- もしクリスチャンでない人から「なぜイエスに従っているのか」と尋ねられたら、それはあなたが相手より優れているからではなく、あなたが失敗した場所でキリストが勝利を収めてくださったからだと、はっきり答えられますか。
引用された聖書箇所
- マルコ14章53-72節(中心テキスト)
- マルコ14章62節(全能者の右に座る人の子)
- ダニエル書7章13-15節(人の子の幻)
- 詩篇110篇1節(わたしの右に座せ)
- マルコ15章10節(ねたみのゆえに引き渡した)
- マルコ16章7節(弟子たちとペテロに伝えなさい)
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よくある質問
全能者であるイエスは、なぜ自分を弁護せずに断罪されるままにされたのですか。
それはイエスご自身がそう選ばれたからです。イエスがこのすべてを受けられたのは、自分を守るには弱すぎたからではなく、それを許容されたからです。マルコはまずこの疑問を宙に浮かせたままにし、その後ペテロの否認の物語を語ります。答えはそこにあります。イエスが不当に断罪されることを受け入れられたのは、ご自身の弟子たちをはじめ、すべての人間がペテロと同じように罪ある者であることをご存じだったからです。イエスがそこまで低く降られたのは、そここそが私たちのいる場所であり、そしてイエスが私たちを迎えに来てくださるためだったのです。
ペテロの否認がこれほど重大なのはなぜですか。
それは、それがほんの数秒間のパニックの中で起きたことではないからです。この場面は、イエスの裁判と並行して、おそらく2時間から3時間にわたって続いたと考えられます。ペテロには自分の言葉を撤回し、悔い改める時間が十分にありました。三度目の否認では、「そんな人は知らない、もし嘘なら神に呪われてもよい」といった呪いの言葉まで口にしています。これは冒瀆です。この箇所は突然の転落を描いているのではなく、ペテロが本当は何者であるかを明らかにする啓示なのです。
もし私がまだクリスチャンでないなら、この箇所は私にどう語りかけますか。
この箇所は、あなたの周りにいるクリスチャンたちが、あなたより優れているわけではないことを示しています。唯一の違いは、彼らが、自分たちが失敗した場所で勝利を収め、自分たちの代わりに断罪されることを受け入れてくださった方に出会ったということだけです。それこそが福音の良い知らせです。私たちは皆、赦されないはずの罪人ですが、イエスが私たちの代わりに断罪を受けてくださったゆえに、恵みによって神と和解することができるのです。
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